黒い郵便船 別役実童話集


著者名 :別役実
初版  :1975/11/30
書いた日:1999/10/10


 世の中に創作文というものは多数存在する。
 まぁ、これをざっと分類してみる。
 まず最初に世の中で普通に「小説」と呼ばれるものは「現実的 → 現実的」だ。
 また、新進気鋭アングラ系の作品などは「空想的 → 空想的」となる。これはヘタをすれば、単に作品としてまとまってないだけのものになる。
 さらに、「現実的 → 空想的」というのも存在する。これはどんどん物語が壮大になっていく構図だ。まぁ「突拍子もない」ということもできるが。

 さて、ここで「現実的」と「空想的」がどのような区分であるかをはっきりさせておくと、これがひどく単純で「現実的=小」「空想的=大」と考えておけばよろしい。もうちょっと詳細にするならば、「現実的=理性的」「空想的=飛躍的」ということになるだろう。

 それでは、この作品はこのマトリックスで表すとどういう構図になるかといえば、これがなんとも珍しい「空想的 → 現実的」。上記の説明で行くならば、最初は壮大な物語が、どんどん小さく萎んでいく、ということだ。
 自分はいくつかの別役実の図書に接し、演劇を観てきた。
 そして、そのほとんどが「空想的 → 現実的」という構成なのだ。
 じゃあ、そうやって最終的に萎んでしまう物語がつまらないかといえば、これが大変に面白いのである。
 小さくなるのに「面白い」というのは、大変おかしい。
 普通、大きいものだと思い込んでいたものが小さいものだと知らされたときには「なーんだ」となってしまい、それは大変つまらないものなのだ。
 しかし、別役氏の作品は違うんだな。
 感覚としては「夢から覚めたような」というのに似ている。
 けれどもそれは「夢オチ」ではない。夢オチは「空想的(断絶)現実的」だから、この2者の間にはなんの繋がりもない。
 彼の作品はちゃんと空想的な部分を引き継ぎながら、しかしそれが現実であることを明確にしていくんだ。
 「黒い郵便船」も「にらいかない」も「読み手」も全てが単純な現実に落とし込まれていく。
 けれども、ストーリーは単純な現実にされても、ファンタジーは残っている。全てが解決するわけではなくて、余韻は残される。それは言うなれば人生のひだのようなものだ。

 人生を知っていればいるほど楽しめる作品。それがこの作品の凄いところである。
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