なぜ左翼は若者が自分たちの味方になるなどと、馬鹿面下げて思っているのか


もしくは、なぜ、若者はウヨクになるのか。


 

前書きと、論理の全体像

 どこかで、「なぜ若者たちは、自分たちが食い物になるのに、ウヨクを支持するのか。それが分からない」などと言っているのを見た。どこだったかは忘れたし、今さら探す気もない。
 そして、これが現代左翼層のリアルな認識だろう。「自分たちはいつでも生活者の立場に立っているのだから、生活者である若者は我々の味方につくはずだ」。いわゆるブルジョワジーとプロレタリアート的な社会理解は左翼の本分である。

 しかし若者は……若者といっても、ここでは「若者」の基準を明確にしておいたほうがいいだろう。ここからいう「若者」は特に断りのない限り、「フリーターやニートなど、学歴も収入も低い若者」であると考える。つまり、ネットで知識人気どった「ウヨ厨」の事を指す。年代はひとまず、若者というにはすでに厳しい25歳以上、30才以下を想定するが、もう少し上下広げても構わない。そのあたりは各自の「ウヨ厨」のイメージをそのまま使ってもらっても、話は十分に通じると思う。
 話をつづける。

 しかし若者は、自らも生活者で社会に忌避され、ワリを食わされている立場でありながら、なぜ小泉政権を支持し、左翼を罵倒するのだろうか?
 そのことを理解するには、彼らの思春期に当たる時代、つまり私が中高生の時代に、日本がどんな社会であったかを考えると分かりやすい。
 私の場合だと、1990年にちょうど15才。つまり、中高生という多感な時期に、マスメディアで散々バブル経済の「旨味」を見せつけられながら、その旨味を実際に味わうことのできる、まさに直前でバブル経済が崩壊した。
 結果、我々は約束されたハズだった享楽の日々。言葉が悪いなら自己実現と言い換えるが、それを目前にしながら我々は失うこととなった。その喪失は、バブルの旨味を存分に味わったサラリーマン層がリストラに覚えるような恐怖感などとうてい及ばない喪失感である。だって、我々は彼らの享楽を見せつけながら、結果なにも受け取れなかったのだから。
 しかし、マスメディアはサラリーマン層のリストラばかりを取り上げ、さも彼らだけが悲劇のヒーローであるかの様に祭り上げた。労組は要求を今までの「ベア」から「雇用維持」に切りかえ、その結果、若者の就職の夢は打ち砕かれた。失意のままなんとか採用してくれた滑り止め企業に入っても、もともと希望の仕事でないのに加えて、新入社員数の激減によって、ロクな研修期間もなく、過剰な仕事が押しつけられる。そんな現状に会社をドロップアウトする若者が続出した。そして、そのことをリストラ程度に脅えるサラリーマン層は、「最近の若者は根性がない」と揶揄した。

 こうした我々にとっての「暗黒の現実」は、現在においても「フリーター」や「ひきこもり」、そして「ニート」というワンフレーズで覆い隠されている。

 で、こうした暗黒の現実に対して、いわゆる左翼が何かしら援助の手を差し伸べてくれたことがあったであろうか?
 もちろん、口では言うだろう。「若者の雇用を」「ニート対策を」と。
 しかし、左翼の票田は労組である。先にも書いたが、我々若者は、まさに「雇用維持」を主張する左翼によって票を奪われたのである。
 経済的要因において我々を地獄に突き落としたのがバブルの崩壊なら、人為的要因において我々を地獄につき落としたのは、まさに労組。
 つまり、当然のように「左翼は我々の敵」なのである。

 これは左翼にとっては、単なる言いがかりに聞こえるかも知れない。
 「我々は、我々の生活を守っただけだ」と。
 けれども、我々にとって「被害」の事実は変わらない。あなたたちは生活を守ったのかも知れないが、我々の生活、すなわちバブルの夢は打ち砕かれたし、その上、就職という生活の基盤すら奪い取られたのだ。

 若者の心底には強大なルサンチマンが脈々と息づいている。

(05/11/21)
(後日、もう少し面白く具体的事例を含めて書き直す予定)


 ルサンチマン。そう、ルサンチマンである。

 哲学者ニーチェは、自らの努力により自己肯定(「自分は正しい」)を勝ち取るのではなく、相手を「悪視」し「相手と違う自分は正しい」とする観念を「奴隷道徳」と呼んでこれを批判した。
 ウヨ厨の主張を読めば分かるとおり、彼らの言い分はそのすべて(!)が奴隷道徳のそれである。やれ、韓国が悪いだの、中国が悪い。民主党が悪いだの左翼が悪いと、よくこれほどまでに他人を罵倒できるなと、変な感心をしてしまう。
 けれども、よくよく考えてみれば、彼らがこのような態度を正しいと感じる心証はどこから生まれているのか。と、いえば、マスメディアや年寄りによる若者批判であろうことは、想像に難くない。

 我々若者は、まるでバブルの責任を押しつけられるがごとく、常に批判されてきた。やれ、根性が足りないだの、自分勝手だの、わがままだの、モノに囲まれて恵まれているが、精神は腐ってるだの、これからの日本はどうなるのかだの、よくこれほどまでに他人を罵倒できるなと、変な感心をしてしまう。
 そして、マスメディアがこうした老人を平気で持ち上げてきた。それに対して右翼はもちろん、左翼も批判はしなかった。私は今でもNHKの特番でフリーター問題を扱った時の、経団連と連合の両会長が、フリーターを語る時に見せた、心底相手をバカにした笑みを決して忘れていない。

 結局、この国は奴隷道徳が肯定される国になってしまった。
 物質的権威の象徴としての金と、精神的権威の象徴としての奴隷道徳が、日本国民の心底に脈々と息づいている。
 ならば、若者の立ち振舞いを誰が批判できるというのだろうか?

(05/11/24)


小泉純一郎という希望

 最初にも書いたが、左翼は「若者がなぜウヨクを支持するのか分からない」のだという。
 今一番分かりやすい「ウヨク」的なものといえば、小泉政権に他ならないだろう。
 靖国神社に参拝しながら、平和への意思を語り、国際貢献といいながら、アメリカに対してしか貢献しないその支離滅裂さは、まさにウヨクのそれである。
 そして、ウヨ厨たちは彼らを支援する。

 それはなぜなのか。
 ハッキリいってしまえば、こんなクエスチョンを投げかける必要性がないほど、問題は簡単だ。郵政問題において、自民党を翼賛し、民主党を非難する文章を引用する。

旧態勢力を完全に絶ち、わが国を普通の国として自立させる政策を示し、新党に見間違うまでに生まれ変わりつつある自民党。 郵政労組の支援から郵政民営化に反対し、さらにわが国を解体する政策を次々に掲げている「旧態勢力」の民主党。

任天堂新聞より URL:http://www.mother-jp.net/news/current/20050830-3.html

 これを見て笑うのは簡単だが、この文章に示されたあまりに素朴な感情は、素朴過ぎるが故に左翼には理解できないのだろう。つまり「新しい自民党と、古臭い民主党」ということだ。

 新しい自民党は、まさしく「改革」を連呼する小泉純一郎のイメージに寄っている。
 一方、民主党に対しては、労組の支援、つまり「左翼=我々の敵」イメージを明確にし、中国との関係性から「わが国」なる概念(彼らの言う「わが国」であって、決してそのまま日本を指すものではないことに注意!)を瓦解するものであると主張する。
 ここまで書いても左翼にはこれを「若者は新しいものにすぐに飛びつく」としか理解しないのだろう。この先を理解するなら、そもそも「若者がなぜウヨクを支持するのか分からない」などということはないだろうから。

 小泉純一郎が流布する改革のイメージは「改革=自民党をぶっ壊す」である。現実に小泉の言う改革は、アメリカから押しつけられる「年次改革要求」に描かれる改革であるが、そのことはナイショだ。
 とにかくここでは「改革=ぶっ壊す」というイメージで捉えてもらいたい。ウヨ厨は、実質など考えずに安直なイメージでしか捉えないからこそウヨ厨なのだから。
 そして、左翼は「現状を守るもの」である。左翼は今までの利権構造を守り、硬直した社会をつくる。これが左翼のイメージである。
 そのワリに「わが国を中国や韓国に売る」というイメージが入り込む余地があることが、私にはよくわからないのだが、きっとそれは戦後一貫してきた、アジアとの対話路線を批判するものなのだろう。

 若者は強烈なルサンチマンを抱え込んでいる。
 それは、バブルの狂乱を目前に見ながら、社会によって裏切られ、バブルの狂乱に踊った世代からの批判を一身に浴びることとなったゆえの憤りである。
 憤りを抱えたまま、我々は経済の低成長を前提にした社会に暮さなければならないという、生き地獄を味わっている。下品な言葉を使えば生殺しである。
 小泉純一郎は「ぶっ壊す」のだという。何をぶっ壊すのかは分からないが、何かをぶっ壊すのだという。
 一方、左翼は「守る」のだという。現状をこのまま守るのだという。我々の生き地獄をそのままにするというのである。

 後を書く必要があるだろうか?
 社会に対して強烈な憤りを感じている若者にとって、小泉純一郎の「ぶっ壊す」姿勢が小気味良く映るのは、当然の事である。
 その結果、郵便局員が職を失う事が合っても、それは「ざまぁ見ろ!」と嘲笑を向ける対象でしかない。我々は彼らによって罵倒され、地獄に突き落とされたのだ。
 バブルの頃の郵便局員は公務員だから、バブルのときも給料が急激に上がるような事はなかったなどということは、若者にとっては関係ない。
 とにかくバブルの御恵に授かった世代のすべてが敵なのだ。
 全ての既得利権、これは決して左翼のいうような一部高級官僚の話ではなく、誰かが正社員である、生活に必要十分な定期収入を得ているというだけで、それは既得利権なのである。
 「既得権益層を全部ぶっ壊せ!」
 それが我々の嘘偽りざる、唯一の悦楽であり、希望である。
 だから、その希望をかなえてくれる小泉純一郎を応援するのだ。我々が幸せになれない日本などという存在価値のないものはぶっ壊してしまえ!!

(05/11/24)


問題は「金」という言葉が有するイメージ

「CLick for Anti War 最新メモ」の2006-03-03 より
 個の中で引用されていた「嫌韓厨が顔まっかにして泣きながら怒る一言って?」スレッドの引用に、こんなものがある。

【一言】
「山野車輪って、一生『嫌韓流』しか描かないのかなあ?」

【解説】
「代表作は『嫌韓流』です」・・・かなり香ばしい漫画家人生ではある。
思うに山野車輪は、一般的な漫画家が持つメリットのほとんどすべてを
捨ててる気がするんだが。つまり、

・サイン会ができない
・友人に自慢できない
・親戚に自慢できない(「親戚が口をすべらして正体バレ」が怖いので)
・漫画家の友人ができない(同上)
・海外版が発売されない
・テレビに出演できない
・メジャー誌に書かせてもらえない

等々。

 確かに、箇条書きにされた内容はその通りだとしか言いようがない。
 ただ、問題は箇条書きの部分ではなく、ここでされている前提に隠されている。
 具体的には山野車輪を「漫画家」と称している部分である。

 私はハッキリいって、山野の絵がうまいとは思えない。同人誌レベルだと思う。
 具体的には、現在の劣化した富樫の絵を、さらに劣化させた同人作家の絵だなぁ。と思う。
 普通のマンガを描いていたんじゃ、絶対に売れなかったと思う。

 しかし、現状、多くの人が山野を知っている。
 少なくとも、山野の名前は知らなくても、彼の描いた作品を多くの人が知っている。
 そして、多くの厨が山野の作品を買っている。
 山野にはかなりの印税が入ったはずだ。

 結局、山野は嫌韓流を描いたからこそ、こうして「漫画家」と呼ばれて、それが社会に認知されているのだ。
 つまり、山野はそもそも嫌韓流がなければ漫画家として認知されることはなく、引用先の人の言う「漫画家が持つメリット」などを得られなかったわけで、そう考えれば「嫌韓流」は、山野にさまざまなメリットを与えはしたものの、何も奪うものは無かったのだ。

 山野は、ウヨに支えられ、ウヨのおかげで漫画家と社会に認知され、十分な収入を得ている。そしてこれからもウヨのさまざまな出版物に、その生活を支えられるだろう。

 じゃあ、左翼は誰か若者の生活を支えているのか?
 ……ここに支えてもらいたいのに、全く支えてもらえない人間がいるじゃないか。

 小泉政権は決して意図的ではなかったが、杉村太蔵という「ニートみたいなもの」を手に入れた。
 その存在はマスメディアにとっては「面白いもの」であったが、一方でいつも批難され、仕事はもちろん人間性すら団塊の世代に奪われ、底辺で這いずりまわらずをえない若者たちにとっては「うらやましい」対象となった。
 山野も同じで、冴えない漫画家みたいなものが、ウヨの力添えによって本当に漫画家として認められ、収入を得られるようになった。
 それは若者たちにとっては、まさに「シンデレラストーリー」だ。
 当然、彼らはこう考える。
 「俺も、自民党を支持して、韓国の悪口を書けば、いつか認められる日がくるのではないだろうか?」と。

 それを「あまりに単純過ぎる」と笑うのは簡単なことだ。
 だが、それを笑えるのは、笑う側が若者たちの苦境を理解せず、さも自らが「ちゃんと生きてきた」かのように錯覚しているからである。特にウヨ厨を嘲笑う左翼は、自らをエスタブリッシュメントだと思い上がっているから尚更。


 私はそうした思い上がりを「金」という単語のイメージに見る。
 若者は「お金が欲しい」という。そうした風潮を、いわゆる「大人」は批難する。
 やれ「拝金主義」だの「働け」だの「努力が足りない」だの。
 しかし、高度経済成長という幸福な時代に育った人間には分からない。
 「金は天下のまわりもの」であって、決して当人の努力や才能に応じて、正確に分配される物では無いということが。

 そもそも、いわゆる「大人」が年齢を経るにしたがって、給料が順調に上がり、「いつかはクラウン」「いつかは持ち家」などと夢想し、それを実現してきたのは、彼らが生きているのと平行して、経済の驚異的な成長があったからだ。
 あの時代は誰もが「普通に会社にいれば給料が上がった」のであり、決して当時の会社員が何か重大なことをなしとげたからこそ給料が上がったなどということでは、決してない。
 高度経済成長の当時、給料が上がるのは当然だったし、そのことを誰も疑問視しなかった。人は成功を確信している時は、そのシステムを疑問視などしないものだ。
 そうして成長したいわゆる「大人」達は、「給料を得る」事を、空気のように扱っていた。
 誰もそのことに疑問を持たなかったし、それでも日本経済は成長していたのだ。

 それからのちはバブルが崩壊してなんとかかんとかでこんな状態。
 ところが、それでもいわゆる「大人」達は、決して給料を手放そうとはしなかった。彼らはそれを受け取るのが当然だと考えていたし、社会もそれを当然として考えることで成り立っていた。
 そこで、彼らは若者に与えるべき金を奪い取った。
 そうした行為が問題視されなかったのは、ひとえに「大人が若者の金を奪い取っても、若者は当然給料を受け取るものだと考えていたから」にすぎない。
 ここで、「一体どこからその給料はでるのか?」と疑問が浮かぶのが当然である。しかし、給料をもらうことを空気としてしか考えていなかったいわゆる「大人」達は、そんなことを考えもしなかったのだ。

 やがて案の定、若者たちの中で給料をもらえない人が出てきた。
 そこで彼らは疑問に思った。「なぜ、彼らは給料を得ることができないのか」。
 もちろん答えは「経済が停滞しているのに、大人の給料の水準を維持し、その分を若者に支払うべき給料から奪い取ったから」だ。
 しかし、彼らはそうは考えなかった。給料は「普通」に生きてさえすれば、貰えて当然のものだと信じて疑わなかった。
 別にその結論を書く必要性はないだろう。現在の若者に対する無責任な視点のほとんどが、この答えなのだから。


 さて、ここまで書いて、ようやく本題に入れる。
 問題は「金」である。

 給料を空気のように貰ってきた大人にとっての「金」は、「自分たちの標準的な生活に対するプラスα」である。
 給料という土台自体は空気なのだから、「金が欲しい」と言えば、具体的には「もっと贅沢をしたい」「もっといい車に乗りたい」「もっといい服を着たい」という意味になる。逆に「金なんか欲しくない」と言っても、それは給料を貰うことを前提にした言葉である。「清貧」などと言う言葉が流行ったことがあるが、その意味は決して「貧困」ではなく、ただ「あまり金を使わない」という、基礎的な生活に立ち返るという意味でしかなかった。

 一方、給料を貰うことが困難な底辺を這いずるしかない若者にとって「金」というのは、人間の尊厳そのものである。
 もはや給料を「空気」と感じられない若者にとって、「金がない」のは死活問題である。土台は既にないのだから、金を得て初めてそれを土台にすることができるのだ。
 そして、給料という土台の存在を前提としてきた日本社会において、土台が存在しない人間など、人権がないのと一緒なのだ。だから社会は「ニート」などという言葉を捏造してバッシングをくり返しても「おかしい」などとは考えない。
 だから若者は「金が欲しい」という。それはすなわち「人間として認めてほしい」という魂の叫びですらある。


 山野車輪や杉村太蔵は、ウヨや自民党によって「あなたは人間である」と認めてもらう事ができた。
 その実績の存在は、這いずり回る若者たちを十分に引きつけ、魅了した。そして若者たちは希望を持った。

 で、左翼は若者にいったいなにを与えてくれるんだい?

(06/03/06)


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