まぁ、あれだし
11月の日記。


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(「f」は上旬「l」は下旬です)

ご意見ご感想はメール、もしくは掲示板までよろしくお願いします。

著書、絶賛発売中:『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)

99/11/29

頑張れ紀伊国屋BookWeb



 ソフトバンク、セブンイレブン、トーハン、ヤフーが共同出資で始めた新しいサービスイー・ショッピング・ブックスが非常によい。
 何がいいって、無制限で書籍が検索できるところがよい。今まで少なくとも俺の知っているかぎりで、日本の書籍が無料で検索できるデータベースってのがまったくなかったわけ。
 で、今までの日本の書籍のデータベースって言うのは専ら紀伊国屋BookWebだった。
 ここは何を勘違いしたのか、書籍の注文はまぁいいとしても、たかが検索を行なうだけでも有料会員にならなきゃいけない(検索はできるが、10件しか表示されない)という、よく分からないアホなサイトだ。それでもこれしかなかったので、日本のユーザーはここを使うしかなかった。実際、データベース目当てで会員になっている人も多いと思う。

 そもそも「紀伊国屋BookWeb」が何を勘違いしているかというと、データベースの類なんてのはそのうちどこかがやりだすんだよ。実際ヤフーなんかでたどれば商業ベースだけでなく、個人で作ったデータベースなんかがいくらでもでてくる。もちろん信頼性の問題はあるにしてもね。
 で、そうやって量の多いものなんだから、価格的価値ってのは限りなく0に近いわけ。そのゼロに近いものでお金を稼ごうとしたのがまずは第一の間違い。
 第二には、これが致命的なんだけど、結局会費をとって初めて利用できるってのは敷居が無駄に高いんだよね。確かに一回1,500円を払えばいいだけなんだけど、それでも本を買うのにいきなり1,500円かかるってなれば、やはりちょっと考えてしまう。実際配送料だって、本という比較的低額な商品であることを考えれば安くない(もっとも、これは宅急便代だから仕方ないし、最初から全国への独自流通システムをもっているセブンイレブンと比べるのはかわいそうなんだけど)んだし、最初っから割高感を見せてどうするんだと。だったら注文時にWeb利用料とか言って100円くらいをとったほうがまだマシ。

 ちなみに現行の「イー・ショッピング・ブックス」にしても、検索方法がいまいちだったり、洋書の取り扱いをしていない等、いろいろ不備な点はあるわけだから、今からだって紀伊国屋が本気でWeb通販に打ち込めば巻き返しはできるんだよね。
 それにはやはり、有料会員制ってのを取り払ってしまうのが一番である。いっちょ、気合入れてやってみない?
99/11/28

たまにはね



 なんかガキが殺されちゃった事件をいいことに「お受験批判」。バカじゃねぇのか?
 じゃあ、てめぇの会社に中卒はいるのか?言ってみろバカ。

 なんてことを書いてからちょっと仮眠(ていうか、ウィスキー飲んだら寝てしまった)してて、目が覚めたら「朝まで生テレビ」をやっていた。寝ぼけながら聞いてたら亀井君が「アメリカの情報ハイウェイみたいに日本の政治家も夢を語らなきゃいけない」なんて、何となくインチキ臭いことを言っていて、まぁ、その時点で失笑物なんだけど、亀井静香ちゃんが「物心ともに美しい日本を作るという夢がありますよ」なんて言い出したから、一気に目が覚めちゃったよ。笑いすぎて。何が悲しくて、政治屋ごときに心を規定されなきゃいけないんですかね?

 しかし、しばらく戯れ言を聞いてたら、この亀井君が非常に怖い。
 こいつひたすら「弱者救済」「中小企業」「老人」なんていう口当たりのいい言葉ばっかり言い出すんだな。そしてその上で「夢」だとか「新しいこと」なんて言う。なんかアムウェイっぽいな。
 で、当然亀井君からの話からは「既存利権階級」なんて話は抜け落ちてるんだけど、こういうあいまいな話し方ならいくらでも世間を騙せるんだよね。
 もちろん民度が高ければ、これが「現在の日本の保身」でしかなくて、新しい動きを阻止しようという考え方であることはすぐにわかるんだけど、残念ながら日本の民度は高くない。
 田原宗一郎なんか「亀井さんはヨーロッパ型」なんてキチガイ入ってるしさ。
 あのねー、ヨーロッパの社会保障ってのは「保証を受ける側の責任の所在をハッキリさせたうえでの保証」で、亀井君が言っているのは「保証を受ける側の責任の所在をあいまいにした保証」ですよ。
 いくら既存利権階級が愚鈍なことをしても利権階級にしがみつける「社会保障」なんてのは百害あって一利無しだっての。

 なんて書いたのが昨日。
 その後出掛けて帰ったら会社から4回も電話が。
 ていうか、出られません。ちゃんと予定表書いたじゃん。なんのための予定表だ?
99/11/26(追記分)

雑談



 久しぶりに「虹色定期便」を見た。
 「虹色定期便」といえば、初代は中途半端なSFっぽさが最高のあのキレまくりの作品。2代目はいたって普通になったものの、大泉という多国籍の人が一緒に暮らすという特殊な場所を舞台に、それなりに「社会道徳」としての根拠はあった。
 そして今やっているのが3代目。見た感想「ふつー」。
 新しい道徳表現を求めた虹色定期便はいたって普通のNHK道徳になってしまっていた。
 家族がいて、みんながいて、みんなが温かい。
 NHKはこういう「嘘」を子供に教えることに良心の呵責を覚えないのであろうか?
 「生きる」という根源問題を問おうとした初代。
 「共生」という社会問題を問おうとした2代目。
 では、3代目は子供に何を問おうとしているのか?
 その答えはまったく見えない。

 ところで、このページにスタイルシートを採用することを検討中。
 とはいえ、スタイルシートを使うには、なぜかJavaScriptをONしなきゃいけないから、面倒くさいんだよね。
 なんでスタイルシートだけONできないんだろうか?JavaScriptなんて、いらないのにね。
99/11/26

日本的フェミニズムの極北



 最近、山形浩生氏周辺が面白い。
 とりあえず一つ目は上記ページの「山形なんか嫌いだリスト」を読んでもらうとして、もう一つが去年当りからやっている、いわゆる「オルタ裁判」だ。
 詳細は各自かってに調べていただくとして、要点は、山形氏が「オルタカルチャー」という本に「小谷真理という「男」」という一文を書いたところに、小谷側が「山形が「小谷が女である」という理由で、「小谷の本は小谷自身ではなく、夫である巽(名前忘れた)によってかかれている」と根拠もなく断定した「女性蔑視の一文」だ」と訴えたということなのです。訴えを簡潔にすると「山形は「女」である小谷にはこれほどの文章は書けない」という女性蔑視をしたってことです。
 ところが、山形氏はこれに対して「僕はどっちの文章も、元々たいした評価はしていない」という。つまり、問題になった一文は「夫婦そろって同じような(つまらない)文章を書きやがって」というレトリックであるというわけです。
 しかし、そういう反論はあっても、小谷側にひっついたフェミニスト達は「女性蔑視だ」と言い続ける。そのフェミニスト達を端的に表したページがこの「女性の著作権を考える会」。

 さて、いったいこのページはなんなんでしょうか?
 だいたい「女性の著作権を考える会」って名前にしながらも、このページ内には一切客観的な内容がなく、一見の読者には、何が何だかわけがわかりません。ていうか「山形浩生が女性蔑視をした」ということは定説になってしまっているようです。
 さらには日付すらなく、この件が「現在進行形」なのか「すでに判決の出た過去の事件」なのかまったくわかりません。
 そしていちばん凶悪なのが「山形浩生が女性蔑視をしたという定説」と「現在進行形」なのか「すでに判決の出た過去の事件」なのかまったくわからない」の相乗効果として、まるで「山形浩生が女性蔑視をしたことが確定していて、それについて話し合っている」ような雰囲気が出てしまっていることです。

 さらには中身の文章もフェミニズム特有のヒステリックな思い込みを中心にした、客観も主観もごちゃまぜにした物ばかり。
 だいたい「自分が知人である(主観)」ということと「小谷の文章は素晴らしい(客観)」ということになんのつながりがあるの?

(私にとりまして、お二人がきわめて貴重な存在であるのはまず、それぞれの仕事内容に由来することはいうまでもありませんが、加えて、お二人が互いに切磋琢磨しつつ、それぞれのユニークな個性および才能を育ててきた希なカップルであるという認識からもきています。)

 それにこの連中の文筆業に関する特権的意識も気になる。

(女性が自分自身の名前で作品を発表したり、何かしらの創造的行為を行った場合)

 だいたいね、こいつらは「読者」をバカにしてますよ。山形氏の言うように「オルタのような、比較的読者層が限られる本」の中で山形氏があのような文章を書いたとして、果たしてそれをフェミ連中の言うように「そうか、小谷の素晴らしい文章は旦那が書いたものなのか。やっぱり女はダメだな」なんて思うものかと。
 もちろんそんなわけはなくて、思ったとしても、山形氏と同じように「どっちの文章もつまんない」と思っている人間にすれば「わはははは、ホントに似たようなことばっかりやってるよね」で終わりだし、「別に彼等になんの意見もない」人間にすれば「まぁ、似てるね」で終わりである。


 結局なにがこの話をおかしくしているかというと、山形氏が元々感じている「小谷、巽の文章はつまんない」という比較的客観であるそれと、小谷側の「小谷の文章は素晴らしい創作活動である」という主観的な認識のズレね。後は文筆に関する特権意識。
 もはや文章なんて、どこの小林よしのりですら書けるものになってしまっている。ということは、文章を読む読者(一般大衆的な事じゃなくて「オルタ」等のコアな文章を積極的に読む層としての「読者」だからね)としては「自分がそれに関して、どこまでを信用するのか?」と考えて読む(客観的に読む)なんてのはあたりまえのことになってしまっている。小林富久子は

けれども山形氏はやはりフェミニズム批評をもう一度見直すよう努めるべきでしょう。

 というけれども、むしろ小林自身が読者の力をもう一度見直すように努めたほうがいい。貴方達が思うほど、読者は受け身で文章を待っているわけではないのだから。
99/11/23

TVCMの将来の形



 本当は今日もよしりん周辺のこと(反自虐史観連中のアホさ加減)を書こうと思ったんだけど、この件少々お休み。とりあえず関連本を読んだ後にでも。
 今日は趣向を変えまして、TVCMの将来の形を考えて見ようと思っています。

 さて、当然TVCMという物はTVで放送されるものなので、まずは将来のTVの形というものを考えなければなりません。
 で、今は「電波の垂れ流し」という形式で放送されていますが、今後はTV信号のデジタル化とともに「サーバー&クライアント型」に移行していくと考えられています。
 「サーバー&クライアント型」とは何かといえば、このインターネットのようにクライアント(いわゆる視聴者)からのリクエスト(INET的にいうと「URLを指定して、そのデータを送るようにリクエスト」ということです)によって、サーバーからデータを送るという形のことです。
 これがTVに適用されるとどうなるかといえば、ユーザーは時間を気にせずに見たい番組を見ることが可能となります。ぶっちゃけた話、金曜の夜にお昼のタモさんを見た後に、夜のタモさんを続けて堪能するということすらできるようになります。(タモさんというのは冗談だが、たとえば自分の好きなタレントがでている番組ばかりを見ることも可能となる)
 もちろん「生放送」という形式は残るでしょうが、これだってその時間に見られなければ、後でも見られるわけです(電話やFAXなんかの視聴者参加型の場合は、生放送の時のみにFAX番号を表示させたりすることだってできる。なんせ放送素材自体がデジタルなんだから)。
 また、新聞なんかのTV番組表は現在の時系列を中心としたものではなく、映画館の上映スケジュールのように「サーバー保持期間」が中心の紙面構成となるでしょう。

 さて、このように視聴者が自由に番組を見ることが可能になったときに、TVCMはどのような形になるのでしょうか?
 デジタルで、視聴者に番組の自由選択権がある、となると「ユーザーはCMなんか見なくなるのではないか?」というふうに考えるのが普通なのだと思いますが、私はそうは思いません。どっちかといえば「ユーザーは今までより積極的な姿勢でCMに向かい合うことになる」と考えます。
 なぜなら、形式的には「ひとつの番組は現在の番組前のスポットCM(番組と番組の間のCMのこと)から、番組の終わりまで」という物となると考えられるからです。つまり「CM → 番組」という形式になるわけです。
 「今だってそうじゃないか」と思われる方がいるかも知れませんが、今までは「番組前半 → CM → 番組後半」であって、CMは中央に挟まれる形になっています。
 要は視聴者が番組を「見よう」とする意識がどこで現れるかの問題です。
 既存のシステムでは「とにかく見たい番組」というのは別として、だらだらと見るような番組の場合「見よう」という意識は番組開始後に起こるわけです。その場合に番組前のCMというのは目に入りません。そして、番組に興味をもたれないような最悪の場合はそのままチャンネルを変えられてしまい、視聴者は一本のCMも目にすることがないのです。
 これが「サーバー&クライアント方式」の場合は、視聴者に「見よう」という意識が起こってから、サーバーに番組を要求するわけです。ということはその「見よう」という意識が持続したまま最初にCMを見せることができるわけです。

 実はこのシステムを利用した便利なシステムがあって、私はこれを半年以上愛用させてもらっています。
 それはこの「UHA!」というシステムです。もっともこれはTVではなくて電話なんですが、市外電話が3分間無料で使えるサービスです。
 システムについては上記のページにもありますが、無駄に図を使っていて分かりにくいので言葉で補足しますと、まずユーザーは自分の個人情報(年齢、性別、未婚or既婚)を登録します。登録が完了したら、自分のアクセスナンバー(俺は6桁です)+相手の電話番号(ただし、市外の一般加入電話のみ)を使って電話をします。電話がつながると最初に10秒のCMが2本流れます。その後に相手宅に電話がかかり、ユーザーは3分間を限度に無料で電話をすることができるわけです。つまり上記の流れ図でいえば、まさしく「CM → 番組」という形式であり、UHA!のページのアンケートにもありますが、98%程度の人がCMを聞いているわけです。
 もちろん、耳に付けっぱなしの電話というメディアの特殊性はありますが、それを差し引いても「CMが前にあることはCM視聴率の増加に繋がる」という話の根拠になるでしょう。
 また、今までの流しっぱなしのCMと違い、セグメント情報により、ユーザーごとに関心のありそうな情報を送ることができるため、ユーザーが「必要な」CMを選んで送ることも可能です。

 と、まぁ、CMが番組の前につき、有効に使えるようになる。というのがTVCMの将来の姿のような気がします。とりあえず今回はこのシステムのマイナス面についてはあまり考慮していませんので、悪しからず。
99/11/21

死の概念について 続き



 かとおくん0点。廊下にたって、おしっこでも漏らしていなさい。後で先生がケツの穴によく焼けた鉄の棒を突っ込んであげますので。

 というわけで続き。

 実は昨日は話の展開を間違えた。どおりで煮詰まるはずだよ。最後の部分を「「肉体的な死」と「精神的な死」」なんて書いちゃったけど、元々言いたかったのは「「医学上の死」と「死の見なし」の2者がある」ということだった。
 というわけで、各自昨日の分の最後の2行をそれぞれこの言葉に書き換えておくように。
(しかし、どこから「肉体的な死」とか「精神的な死」なんてのがでてきたんだ?あ、これは俺が自殺のことを書くときの常套句か)

 さて、いわば宗教で言うことろの「生死観」とは「死の見なし」のことである。では「死の見なし」とは何かといえば「自分や他者が「自分が死んだ」と了解すること」なわけ。
 そして今回の話はS.P.G.F.の「死の見なし」と我々一般常識の「死の見なし」ということが大幅に違った事による騒ぎなわけだ。
 新聞なんかでよくどっかの医者が「ライフスペース(だからS.P.G.F.だっての)の言い分はヘリクツだ」なんてことを書いているけど、それはもう見当違いも甚だしい。だって彼等の言う「定説」ってのはイコール「教義」であって「真実」ではないんだ。おおよそ精神的である「教義」とまったく精神的でない「真実」を並列で比べて、その違いを「でたらめです」なんて言うことでいったい何が解決するんだ?バカじゃねぇの?
 閑話休題。
 まぁ、記者程度の短絡君は「その「死の見なし」が違うなんて、とんでもない宗教だ!!」なんていうんでしょうが、だったら彼等は「脳死の問題」についてどう考えているんでしょうか?
 脳死の問題を簡潔に記すと、いわば「脳が死んだら人間的活動ができないから死んだと見なすことができる」という人と「脳が死んでも心臓は動いているのだから生きている」という人の対立でしょ。そして、この問題ってのは医学的にもこの「どの状態をもって、死とするか」まったく解決してない。
 ここで面白い事実が明らかになる。今日の日記の最初で「「医学上の死」と「死の見なし」の2者がある」と書いたが、実は「医学上の死」はあくまでも医者の間での「死の見なし」でしかないということだ。
 つまりこの世の「死」とは「死の見なし」そのものであるに過ぎず、一般的にも「何をもって死とするか」という総意など一切存在しないのだ。
 単に「心臓停止」「脳機能停止」が「死の見なし方のトップ2」であるというだけだ。

 ところで皆さんはヒューマンドキュメント系の脳死を扱ったダメドラマでこんなセリフを聞いたことはないだろうか。
「お父さんの身体はまだ温かい。お父さんはまだ生きてる!!」
 これはまぁ、脳死判定をされた亭主の死を信じられない妻あたりが医者に向かって叫ぶセリフのプロトタイプであるが、これをS.P.G.F.的な言い方にすれば、
「小林さんは生きています。まだ体温が11度ありますから」
 ということになる。さて、お父さんは生きているんでしょうか?小林さんは生きているんでしょうか?そしてそれを断定できる人はいるんでしょうか?

 まぁ、せめてこのくらいのことを考えてから記者やコメンテーターは発言してくださいな。一応プロなんだからさ。
99/11/20

死の概念について



 昨日の文章が上手くまとまってないので補足。
 昨日リンクしたよしりんのマンガを引用しているページの上から2番目のコマであるが、結局ここがよしりんがよしりんたる所以である。
「論点2、これはマンガ批評なのか?意見批評なのか?」とよしりんは書いているが、なんのことはない、あの批評は「意見漫画に対する批評」である。
 だいたい「意見」とは「表現したいこと」であり、「漫画」とは「表現の手段」なのである。つまりよしりんは「漫画というアイテムを使って、自分の評言をしている」のであり縦の繋がりなのである。
 ところがよしりんは「意見」と「漫画」を並列に扱えるものと勘違いしている。まぁそういう考え方ならば「意見をするなら漫画ではあり得ないし、漫画を書くなら意見ではない」というよしりんの考え方(だからこその「(これ意見ではなく漫画だから)「ウラはとらん!」」なんでしょ)は確かに納得(「そういう考え方をする人間なら、そういうことを平気で書くよなぁ」という意味で「納得」しているのであって、よしりんの考え方そのものに納得しているわけではないので念のため)できるのではある。
 しかし、この世界のどこに「ゴー宣は意見ではない」と言うやつがいる?いないよ。だってゴー宣は「意見を表明する漫画」以外の何物でもないんだからさ。
 ていうか、だいたいこれが「漫画批評」だったとしても、作品に込められた作者のメッセージみたいなものを批評するのもフィールドのうちなんだから、まったく問題ではない。
 だからさ、結局文筆で意見を表明している人達がなんでよしりんに勝てないかって言うと、よしりんが「意見だと思っていない」ものに意見で対抗してしまうからだよね。これをたとえると、よしりんがマワシを付けて土俵に上がってシコ踏んで「俺と勝負しろ」と叫んでる、それで本職の力士さんが土俵に上がって、よしりんを投げるんだけど、よしりんは「3カウント入っていない、これはプロレスだ」なんて言ってるようなものだよね。
 だからさ、よしりんを黙らせてしまういい方法はやっぱり「名誉棄損」で訴えることでしかないんだよね。だって「意見ではない」で「ウラはとらん」だったら、どう考えたって「自分の思い込みで特定人物の誹謗中傷を行なっている」に過ぎないわけだし。
 だからね、そもそもよしりんの漫画を「意見」として捕らえてしまった時点でよしりんには勝てないって事なんだ。
 世の中一番強いのは、自分が死んだことをしらないゾンビだって事だね。


 さて、前置きが長くなりましたが、表題の「死の概念について」。まぁ、ライフスペース(っていうかこれはS.P.G.F.の話だよな。混同してはいけない)の話題なんだけどね。
 ところで皆さん。ライフスペースってどんな犯罪をしたんですか?当然ホテル側の民事裁判はあるだろうけど、刑事事件としては「死体を適切に処理しなかった」ってだけですよね。刑法みてないんでわかんないですけど、せいぜい「罰金5万円」程度の話でしょう。なのにまるで「地下鉄にサリンを蒔いたか?」ってくらい騒いでますね。なんでですかねぇ。
 で、先日グルである高橋弘二氏の記者会見をみましたが、気持ち悪かったですね、マスコミ陣が。
 神奈川県警の時も思ったんですが、記者ごときが被会見者に嘲笑を浴びせるというのは論外ではないのですか?たかだか記者のクセに、なんであんな態度とれるんですかね。いやぁ、気持ち悪かった。
 で、その中でS.P.G.F.が小林さんの「現代医学の常識で言うところの」死体を治療として保持していた件に対して「死者への冒涜ではないか」なんて言ったやつがいたんだけど、お前「死者への冒涜」って言葉の意味を知ってんのかっての。それ以前に「死」についてまともに考えたことがあるのか?
 もともとね、「死の定義」ってのは宗教にとっては大事なもので、どの宗教でも教義の大切な一角をになっている。大ざっぱに「宗教というものは常に生死観の規定をするものであった」と言い切ることもできるだろう。
 宗教のことにあまり詳しくないので、間違っていたら申し訳ないが、まず、「最終的に死体をどうするか」という話をしてみる。
 キリスト教なんかはいまだに土葬が基本でしょ。チベットには鳥葬があるし、インドではガンジス川に流す。海の民族なら海に流すだろうし、宇宙だったら宇宙葬だ(笑)。同じ「死者の弔い」にしたってこれだけバリエーションがある。
 そして、実際の「生死観」を見るに、仏教では「輪廻転生」なんて事がよく言われるし、これはなんの宗教かは知らないけど古代の日本では人の心臓が止まったとしても、死骸を処理せずに数日から数ヵ月、棺の中に安置した「殯(もがり)」という風習があった。というように、宗教は「生死をどう捕らえるか」ということを規定してきた。

 さて、ライフスペースは宗教ではないが、S.P.G.F.は明らかに宗教的性質であるため宗教として考えると、S.P.G.F.の教義(というか「定説」)では「肉体的な死は「ある程度の期間」死ではない」としていると考えることができる。ちなみにその「ある程度の期間」がハッキリしないのだが、多分「死が無い」というわけではないと思う。(少なくとも小林氏の呼吸が無くなったときに「まだ生きている」と言っているわけだから)
 で、ここでマスコミ連中が混同しているのは「肉体的な死」と「精神的な死」という2者の存在がわからないからである。記者の中に「現代医学の否定」云々言ってはいたが、「精神的な死」は現代医学の守備範囲外なのだ。

 えっと、何となく煮詰まってしまったんで、次回に続く。
99/11/19

絵が描けるのがそんなに偉いのか、よしりんさんよ



 さて、先日のどっかの祭典にニコニコ出席していたであろう小林よしりん(まったくこんなやつを呼ぶなんて、日本は戦争責任に対する謝罪も反省もしてないな(笑))であるが、彼がそのクソバカさが露になった「脱ゴーマニズム宣言裁判」をご存知だろうか?詳細は「脱ゴー宣裁判を楽しむ会」のサイトで見てもらうとして、要はよしりんが「脱ゴーマニズム宣言」という本において「自分のマンガ(ゴー宣)が無断で複製された」として、脱ゴー宣側を訴えた裁判である。

 んで、このページを見て欲しい。
 これを見れば、よしりんが裁判で著作権法を曲解したバカな事を言い、それを指摘されたからといって、判決を下した裁判官までをもバカにするという、幼稚園生のような態度が手に取るようにわかる。
 だいたい、上記のページに引用(正当な引用ですよ)されたマンガを見ても、小林の悪意をゴー宣を普段読んでない読者に伝えるためにも、絵の引用が必要不可欠なのがわかるだろう。もしこれから台詞のみを抜き出したとしたら、まるでよしりんが単なる無視しようと思えば無視できる、単なるアホな人という印象しか残さないだろう。大事なことは、よしりんが「単なるアホな人」なだけでなく「アホにも増して、ところ構わず悪意をまき散らす迷惑人間である」ということなのである。それをしっかりと伝えるのにはやはりマンガの引用は必要不可欠なのだ。
 だいたい「宅八郎 VS よしりん」の時もそうだったが、ゴー宣の性質として「自分が敵と見なしている人間を、恐ろしく醜い人間として描く」というのがある。上記のページに裁判長が「ごーほー(合法)」と木づちを打ち降ろす中、悪魔のようなものが原稿に墨を入れていく絵がある。もしこれが文字だけの引用だったとすればこういう文章になる。
「「自分に都合の悪いものは改ざんしていい」という発想は言論や表現の弾圧に間違いなく直結する!」これでは小林の悪意をまったく伝える文章にならない。ゴー宣の問題というのはまさしく言論がいくらいい加減でも、それを絵でカバーできてしまう点であり、結果として自分と敵対する(と小林が思っている)人間の人権を恐ろしく侵害してしまっている点である。もちろんそれは絵を用いた論文という形式をなんら否定するものではなくて、小林のいいかげんな論理(?)に起因するものである。実際よしりんは「新ゴー宣」第40章において「わしは普段からウラなんかとらん『ゴー宣』は報道ではないからだ!」(参考資料 教科書が教えない小林よしのり ロフトブックス 編)などと言い切っているのである。他人の実名(とか書くと、よしりんだったら「「宅八郎」は芸名ですぶぁい」とかいいだすんだろうなぁ。バカだから)出して非難するのに「ウラはとらん!」なんて威張るバカがどこにいるんだろうか?

 ところで私が上記ページの中でいちばんむかついたのが上から10コマめ、
「しかも文章は一人でどこでも書けるが、漫画家の場合はアトリエを備えスタッフを雇って全員の技術を終結しなければ絵は完成しない、元手がかかっているのだ、たやすくコピーされちゃたまらない! 絵一枚一コマにかかる才能と重労働に対する敬意があるから、出版界にはマンガの引用には許諾がいるという礼儀や「慣例」があるのだ!!」
 あのね、よしりん。君のいいかげんな文章と違って、たいていの文筆家ってのは一つのことを書いたりするのに、ウラをとったり、文章を推敲したり、本をいろいろ調べたり、現地調査を行なったり、文章の構成に頭を悩ませたり、まぁいろいろと努力をして、文章を書き上げているわけだ。当然漫画家の仕事が重労働で元手がかかるのはわかるが、文筆家の仕事だって勝るとも劣らないほどの重労働で元手がかかっているのであり、それを自分のヘリクツを通すために一方的に「文章なんて簡単にかける程度のものでしょ。だから引用なんかが当たり前なんでしょ」などと貶めるなんてのは最低である。「マンガの方が文章よりもエライ」などと言っているのと同じことではないか。
俺はこの言動を「世界中の全文筆家、もしくは文筆家を目指す人達に対する侮蔑である」と考える。
 だいたい、文章が「引用を認める」としているのは、引用者がその引用をもって自分の作品を絶賛するにしろボロボロに叩くにしろ「引用者の意見をちゃんと受け止める覚悟」があるからである。よしりんも考えてみたらいいんだ、なんで自分が「名誉棄損」で訴えられないのか?って。それは小林に批判された人達が「相手も文章(絵も含めて)で書いてきたんだから、当然反論も文章であるべき」という真摯な態度のおかげではないか。つまり、小林が敵だと思っている文筆家は、小林がいくら酷いイラストでその人を揶揄しようとも、それをもちゃんと一つの「意見」としてくみ取るとこのできる「大人」なのである。

 この裁判といい、いままでのゴー宣で繰り広げてきた引用といい、非常に面白すぎる。ちょっと詳しくよしりんの本を読んでみようかな。
99/11/17

まいったなぁ



 例のサイトから一部引用。

しかし、この文献は日本では最高裁附属図書館以外には不充分なので、しかし THE GURU は、外出こそ不可能なので、しかし pick up して open にしなければ、解ってもらえないので、どの様に行て来たかと申せば、昨日あたりの Homepage の様にTHE GURUの要件の一つ、channeller としての能力を使って、どの pass wolde を使って、……

 そっか、Homepageってのは定説語だったんだね。

 さて、今朝おはスタなどを見ながらギコギコしていたところ、突然テレビの電源が落ちました。
 ブレーカーかと思ったのですが、ブレーカーはちゃんと上がっておりました。ていうか、今までブレーカーが落ちたのって、クーラーやヒーターと一緒に電子レンジを使ったときだけなので、ブレーカーなはずが無いんです。
 原因をあれこれ考えているうちに、腹が減ったので、昨日作ったカレーを暖めることにしました。ご飯は残ってたので。
 で、いつものクセでふと換気扇のスイッチを入れたらまわるんですよ、これが。
 もしやと思って、洗濯機のスイッチを入れたらこれも動く。しかし、テレビの電源は入らない。
 それで原因がわかりました。部屋の中の電源系統がいかれたんですな。台所の電源は生きてるわけだから。

 というわけで、今は台所のコンセントから全ての電源を取ってます。
 とはいえ、このままにしておくわけにも行かないんで、明々後日当りに不動産屋に電話するとします。

 んでは。
99/11/16(追記分)

善良な一般市民の言うところの「定説情」



 高橋弘二氏の文章を読むのに必ず理解しなければいけないのが、彼が言うところの「定説語」という概念だ。
 これは高橋弘二氏が規定したもので、彼はこれを根拠として「自己肯定」を行なっている。
 つまり、「自分の言うことは正しい」→なぜならば→「自分は定説語で語っているからだ」なんだけど、これをひっくり返して「定説語は正しい」→なぜならば→「自分が言っているからだ」とすることも可能なわけ。つまり回帰しちゃってる。
 要は、彼の言葉の気持ち悪さってのはこの「自己肯定の極致」というところにあるわけ。「俺が俺が」なわけ。

 さて、一方これを報道するマスコミやら、それを気持ち悪がる一般市民だけど、彼らは「こわい」「気持ち悪い」といった「定説情」という概念を根拠として「自己肯定」を行なっている。
 つまり、「ライフスペースはとんでもない」→なぜならば→「自分は定説情で語っているからだ」なんだけど、これをひっくり返して「定説情は正しい」→なぜならば→「ライフスペースはとんでもないからだ」とすることも可能なわけ。つまり回帰しちゃってる。
 要は、彼らの言葉の気持ち悪さってのはこの「自己肯定の極致」というところにあるわけ。「俺が俺が」なわけ。

 あ、なんだ、おなじじゃんか。
 というわけで、私は高橋弘二氏の言葉と同様の気持ち悪さをマスコミや善良な一般市民の連中に感じているわけです。
99/11/16

ライフスペースなんて怖くない



 MLやメールマガジンのアドレス変更を一気にやった。
 ついでに不要なマガジンの登録も解除した。
 まぁ、メールも消えたし、すっきりしていいね。

 さて、昨日は天皇陛下即位十周年の記念式点が行われまして、こういうイベントに参加することの意味のわからないマヌケ芸能人の一同がバカヅラさげて挨拶してました、ちなみにこんな人達が参加してたようです。
 あ、よしりんだ(爆笑)

 さて、最近最高にキレまくっている素晴らしい団体が東天王ヨブの言うところのクソマヌケの「ライフスペース」なんですが、彼等は潔くていいね。
 だって、各種マスコミや紀藤弁護士のところに腐乱した小林氏の写真を「生きている証拠」として送り付けたっていうんだから。しかも、記者会見で「警察を殺人罪で告訴する」ってんだろ、最高だよ。
 ちなみにニュースでは捨て台詞のように「殺人罪の適用もあるのではないか?」などと言ってますが、少なくともそれは法の無茶苦茶な拡大解釈です。ハッキリ言って、この件は事のセンセーショナルさと比べれば、その罪はハッキリ言って、無きに等しいです。
 だいたい、小林氏は自然死であり、当然ライフスペースに殺人罪が適用されないのは当たり前ですし、そもそも腐乱した人間を「生きてる」と正々堂々と断言するような連中ですから、精神病院直行で刑事責任がないということになるかも知れません。ていうか、これは別に事件でもなんでもないでしょ、異常であるだけでさ。
 ただ、俺がこの件で心配なのは「不要な宗教弾圧に繋がらないか?」とか「精神病患者に対する偏見を助長しないか」という、いわば「普通の人達が自分たちが普通であることを確認するために行なう他者への弾圧がより強く行われるのではないか?」ということ。
 確かにライフスペースの連中はおかしい。しかし、「おかしいこと」と「普通でないこと」というのはまったく違う。普通の奴だっておかしいやつはとことんおかしいんだからさ。
 結局のところ、ライフスペースなんてのはちっとも怖くないの。怖いのは普通の連中だ。こっちの方が全然怖い。
 え?「愛する二人、別れる二人」がやらせで「信頼していたのに騙された」なんて苦情があったって?
 うわー、怖ぇ。


シャクティパット・グル・ファウンデーションのサイト(高橋弘二氏公式サイト)
紀藤弁護士のサイト
ライフスペースを考える会のサイト
99/11/13

介護保険って何?



 亀井静香がこんなことやってます。
 なーにが「姿無き犯罪」だ。犯罪は犯罪であって、姿なんか関係ないんだっての。インターネットが特殊だとでも思ってるんかね。自分の利益が少ないとこは規制すりゃいいと思いやがって。

 ところで、この亀井静香、介護保険に対して「子が親を介護する美風」などというエセ人権発言もしてるんだよね。
 まぁ、その発言のせいで介護保険も無茶苦茶ですわ。
 ていうかさ、元々介護保険の趣旨って「介護資格者、すなわち介護のプロを養成して、将来の高齢化に備えよう」だったり「若い人に介護士という職を提供しよう」って事じゃないの?ていうか、こういう目的でしかあり得ないはずなんだよな、本来さ。
 ところが亀井発言のせいで「介護家族に金を出す」とか言いだして、無茶苦茶になってしまった。その上、半年分の費用を赤字国債で埋めようってんでしょ。いっとくが赤字国債は「うちでのこづち」じゃないぞ。まぁ、それを払うのは亀井静香じゃないから、彼的にはOKなんだろうけどさ。

 あ、そういえば。先月末に日記に書こうと思って書き出したはいいが、途中でやめた文章があるので、それを掲載して、その話をしましょうか。

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 さて、混迷を極める介護保険ですが、凍結反対派の意見ってのが「凍結すると、差し戻しの可能性があるから反対」だってさ。ていうかさ、ダメな制度だからこんだけごちゃごちゃしてるんであって、ダメな制度を差し戻して再審議するなんざ当たり前のことであって、何を甘えたことをいってるんでしょうか?ていうか、おまえらの仕事はなんだ?
 んで、結局半年間金を取らないだとかくだらない事言ってますが、行き着く先は消費税引き上げによる強制徴収になるであろうことは想像に難くありません。
 ちなみに私はずいぶん前に「消費税賛成」と書きましたが、それは消費税の目的が直間比率の是正である場合に限りなので、現在の福祉目的税化した消費税は大反対です。なにが悲しゅうて、金持ってる年寄りに金をやらなきゃいけないんでしょうか?
 まぁ、それはいいとしても、この福祉目的税ってのが実に場当たり的なんですな。
 だいたい、福祉関連の項目の悪いクセってのは「すぐボランティアに頼る」ってことです。
 今回も家族介護を美化してなんか言ってたバカ政調会長がいますが、こういう態度が日本で福祉のプロが育成されることを阻害しているんです。
 一回やれば分かるけど、介護ってのは重労働です。で、その重労働を家族やら、ボランティアが行なうと。するとこれが老人にとっては「こんなことしてもらって悪い」という、すごいストレスになる。(まぁ、普段から人をアゴで使ってる政治屋の皆さんはそんなこと思い付きもしないんだろうけどな)
 さらに介護のやり方によっては、逆に年寄りの身体に必要以上の負担を与えてしまう可能性すらある。(仮に身体がきつくても「せっかくやってくれているんだから」と思えば、言えないわけだ)
 つまり、最初の立場「自分」と「家族」)が対等であるがために、そこに介護が加わったときにそれが「自分(介護される、従)」「家族(介護する、主)」という、一種の主従関係になってしまう。これでは安定した介護など、望みようがないんです。
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 と、ここまでで書くのやめちゃったんだけどね。
 ちなみにこの文章のタイトルは「ボランティアが日本の福祉レベルを下げている」です。
 で、結局「福祉はプロの仕事だ」ってことを書きたかったんだけどね。
 だからね、福祉って言うとすぐ「ボランティア」って事になるじゃない。けれどもボランティアってのはあくまでも「できる範囲でしかやらない」であって、技術革新ってのはやっぱりプロの仕事なんだよね。
 まぁ、どっちにしろ、プロを育成するんだったら、やっぱり「介護費用の一部を国が負担する」という、健康・社会保険見たいな事をするしかないんではないか?
 ただし、当然現行の健康・社会保険のように、高いサービスばかり行なって業者がウハウハって、事もあり得るから、ちゃんと何割かのお金を上限を儲けずにとることが当然だけどね。
99/11/12

あーあ、やっちゃった(泣笑)



 OS9があまりに不安定なので、OS8に戻しました。
 んでさ、やっちゃったよ。
 いやぁ、バックアップってのは忘れたころに必要になるんだよねぇ。
 ええ、消えましたよ、メールが全部。
 結局OS9は俺から1万3千円強のお金と、メールを奪っていきました。

 まぁ、しょうがねぇか。
 というわけで、私とコンタクトをとっていた、もしくはとりたい方はメールください。
 今ならもれなくアドレスを登録します。
 今日は疲れた。もう何にも書きたくないです。

 ちなみに、Eudoraのアクセスキーが部屋から見つかったのはラッキーでした。
99/11/10

僕たちは広告に騙されているんだろうか?



 OS9がようやく安定に向かいつつあります。
 まったく、ネットスケープが立ち上げて2秒で落ちるわ、コントロールパネルが変な落ち方するわ、揚げ句の果てには立ち上がらないわと、散々てこずらせてくれましたが、フォーマットや再インストールを繰り返して、ようやく主要アプリケーションが安定してきました。
 さすがに8.1と比べると、ファインダまわりのPPCネイティブ度がかなり上がったようで、特にポップアップウィンドが快適です。
 あと、Nickeyでのキーボード入力も快適になった。文字入力が良くなったのは非常にうれしいですね。

 さて、ここから本題。
 よくさ、現在の消費社会の異常性みたいなのを言うための枕詞として「電通や博報堂に騙される」なんて言い方をするじゃない。けれどもさ、じゃあ現在の消費社会のせいで本当に日本全体の人々が「騙され」て「損をしたのか」というと、本当にそうか?
 広告がつかさどるのは「消費」なんだよね。「広告をして消費者にいかに消費をさせるか」というのが広告の使命。
 「騙される」っていうのは、「消費をしたが、その消費は本来ならば必要ではなかった」という点について言っているんだろうけど、けれども、その消費を決定したのは広告なんだろうか?
 広告というのはいくら双方向のフリをしたとしても、本質はやっぱり「一方的」なのであって、広告は強制的に「あなたはこの商品を買わなければいけません」というのは、モチーフとして、つまり、ダイエット食品を「太っていると、死亡確率が格段に増えます」なんてやって、強迫観念で買わせることはできるとしても、それはやっぱり脅迫ではあるけど、強制ではない。
 また、先日マイクロソフトが「独占企業だ」って判決になったけど、マイクロソフトがあんなダメなソフト群を量産しつつも、あれだけの規模の会社になったのは、やはり世界中のプロパガンダコンピュータ誌の広告効果が大きいわけだ。
 しかしだ。確かにプロパガンダ誌は世界中の企業ユーザをまんまと騙したけれども、実際に騙されなかった人々の中にMacとかLinuxとかメインフレームなんてのがあったわけだ。
 さらにはWinユーザーの中でも「会社で使わされているから、いやいや使ってる」なんてユーザーだっているわけ。
 これは、世間的には騙し通せたけど、ユーザーの実感を騙すことはできなかったということ。

 以上の例を見るに、やはり広告は「人を騙せない」んだ。
 そりゃ、一時的に騙せるかも知れないけど、結局商品が悪ければいつかはバレる。

 ただまぁ、一時的にも騙されるのは嫌かも知れない。
 でも、それなら自分の「見る目」を強化すればいいんだ。
 だいたい、広告なんて、単に情報の一つ似すぎない。情報を取捨選択するなんてのは現代の人間にとっては当たり前のことなんだからさ。それをサボって責任を広告代理店になすり付けるなんて、原始人のすることだよ。
99/11/09

まいったなぁ



 いやぁ、前々からネットワークまわりの調子が悪かったからさぁ、システムを再インストールしようと思って。
 で、どうせ再インストールするくらいだったら、OS9にしてしまおうと思って、入れたんだよ。そしたら、もう大変。
 まず、外付けハードディスクが認識されない。起動すると、しばらく待たされた後に「読めません、フォーマットしますか?」などと、すっとぼけたことを聞いてくる始末。とりあえず、起動後にマウンタでマウントさせちゃえば大丈夫なんだけどね。
 あと、ネットスケープが起動できない。すぐに落ちる。念のため、OS9に入っていた4.5をインストールしてみたが、それもダメ。しょうがないからiCab(意地でもIEなんか使わない)を使っている。
 ちなみにシャーロック2もバンバン落ちます。

 まぁ、落ちるのは徐々にこなれて落ちなくなるんだろうが、マウントだけはなぁ、どうにかなんないかねぇ。
99/11/06

休んでいる期間にあったこと



 ひとまず「自分が自分で「ある」ということ」を雑感の方にアップしました。ので、日記を再開します。

 さて、DDR3rdMIXを初プレイしました。
 ひとまずベーシックをあっさりクリアできたので、次からはアナザーでやりますが、やっぱりしばらくDDRをやってなかったので、終わった後は思いっきり息切れしてしまいました。

 次、お薬の安いサイトを友人が教えてくれました。
 価格をみれば分かりますが、安いというか、通常価格で薬を売っています。
 これを見た後に雑誌なんかの個人輸入代行の店の広告なんか見ると、平気で10倍値とかついてて、笑ってしまいます。(亜鉛100錠一万円ってなんだ(笑))
 ちなみに友人に「プロザプレックス」を少し譲ってもらって服用しています。そのせいかはわかりませんが、非常にいい状態です。頭も冴えてるしね。

 なんかもう、介護保険はボロボロですね。
 年寄りからは半年金を取らないとか、40歳以上は優遇だとか変なことやってます。
 保険っていうんなら、普通はその保険が適用になる可能性が高ければ高いほど、保険料も高額になるってのが当たり前ではないんでしょうか?
 しかも、その分の財源は赤字国債だそうです。「赤字国債は借金だ、借金を返すのは俺達なんだぞ」と連中の腐った頭がい骨をこじ開けて、脳みそに直接つっつんでやんなきゃ分かんないんでしょうか?
 ちなみに今後の財源についても、消費税を福祉目的税化して賄おうってのが見え見えですな。それだったら俺は完全に消費税反対です。パーセンテージなんか関係ありません。まったくこのカツアゲ国家は。

 あと、ちょっと前の日記で
>(「中小企業に救済を」なんて自自公が言い出しそうでやだなぁ。また税金がドブに……)
 なーんて書いたら、今期の国会が「中小企業国会」だってさ。
 例の山一のときもそうだったけど、そういった特権企業が大変なことになったってだけで、いちいちこうやって国家単位で身内の囲い込みなんて事をすると。そりゃそしたら中小企業は大企業の傘下に入りたがるのが当然であって、正常な企業の発展なんて望めませんよ。日本がいくら「ベンチャー育成」なんて調子のいい事言ったとしても、なんの意味もない。

 あと、法務大臣のなんとかとかいうどこぞの馬の骨が「オウムは家を取得すると、覆いなどを建てて、中を見えないようにして、住民の不安感を煽る」とかなんとかと気違いじみたアホ発言をしておりました。こいつは原因と結果の区別もつかないんでしょうか?だったらお前の家はいつも窓を全開にして、中を見られるようにしておくんだね。
 ちなみに「近くにオウムの施設があると知らない住宅地」というのが放送されてましたが、そこはいたって静かなものでした。覆いもなかったしさ。

 まぁ、そんなところで。
99/11/03

ちょっと時間をいただきます



 最近まったく日記を更新できませんが、書くネタがないんじゃなくて、ちょっとあることを考えているために、日記の方に力を注げないということなんです。
 で、その「考えていること」というのが「自分が自分で「ある」ということ」と、「友人と友達の違い、そして「場」の論理」の2つです。
 これは自分のここ半年の総決算的なものになりますので、ちょっと突っ込んで書きたいなと思っています。
 つきましては、今度の日曜日くらいまで、日記の更新を休ませていただきます。

 ちなみに日記で書きたいネタとしては、オウム新法や介護保険へのツッコミや、子門真人にスターボー(笑)と多岐にわたるんですけどね。

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