憂国日記
2010年03月


Homeへ戻る  日記内を検索できます。  深夜のシマネコBlog
 (↑上記Blogが現在のメインです。このアーカイブはBlogから数日〜数カ月後に更新されます)

2011年
N1111  N1110  N1105 
2010年
N1012  N1011  N1010  N1009  N1008  N1007  N1006  N1005  N1004  N1003  N1002  N1001 
2009年
N0912  N0911  N0910  N0909  N0908  N0907  N0906  N0905  N0904  N0903  N0902  N0901 
2008年
N0812  N0811  N0810  N0809  N0808  N0807  N0806  N0805  N0804  N0803  N0802  N0801 
2007年
N0712  N0711  N0710  N0709  N0708  N0707  N0706  N0705  N0704  N0703  N0702  N0701 
2006年
N0612  N0611  N0610  N0609  N0608  N0607  N0606  N0605  N0604  N0603  N0602  N0601 
2005年
N0512  N0511  N0510  N0509  N0508  N0507  N0506  N0505  N0504  N0503  N0502  N0501 
2004年
N0412  N0411  N0410  N0409  N0408  N0407  N0406  N0405  N0404  N0403  N0402  N0401 
2003年
N0312  N0311  N0310  N0309  N0308  N0307  N0306  N0305  N0304  N0303  N0302  N0301 
2002年
N0212  N0211  N0210  N0209_l N0209_f  N0208_l N0208_f  N0207_l N0207_f  N0206_l N0206_f  N0205_l N0205_f  N0204_l N0204_f  N0203_l N0203_f  N0202_l N0202_f  N0201_l N0201_f 
2001年
N0112_l N0112_f  N0111_l N0111_f  N0110_l N0110_f  N0109_l N0109_f  N0108_l N0108_f  N0107_l N0107_f  N0106_l N0106_f  N0105_l N0105_f  N0104_l N0104_f  N0103_l N0103_f  N0102_l N0102_f  N0101_l N0101_f 
2000年
N0012_l N0012_f  N0011_l N0011_f  N0010_l N0010_f  N0009_l N0009_f  N0008_l N0008_f  N0007_l N0007_f  N0006_l N0006_f  N0005_l N0005_f  N0004_l N0004_f  N0003_l N0003_f  N0002  N0001 
1999年
N9912  N9911  N9910  N9909  N9908  N9907  N9906  N9905  N9904  N9903  N9902  N9901 
1998年
N9812  N9811  N9810  N9809  N9808  N9807  N9806  N9805  N9804  それ以前 

(「f」は上旬「l」は下旬です)

ご意見ご感想はメール、もしくは掲示板までよろしくお願いします。

著書、絶賛発売中:『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)

各日付ごとにnameアトリビュートを設定しています(日付の上部に薄い灰色で表記)。リンク等にご利用ください。



[Permalink]
10/03/26

都条例改定の件について

都条例の問題は、審議継続と言うことになり、あと1ヶ月ぐらいの危機は回避されたわけですが、決して廃案ということではないので、もう少し詰めて考えておきたいと思います。

 まず、基本的な私の考え方については、当然、改定には反対です。「【赤木智弘の眼光紙背】青少年育成条例の改定に反対する」に書いてあるので、読んでいただけると。
 問題をまとめて明示しておくと、以下の通りです。

・実在児童の児童ポルノの存在は問題である。なぜなら被害児童が存在するからである。
・「青少年性的視覚描写物」なる概念は、被害児童が実在しない以上は、決して児童ポルノではありえない。
・描写物が規制されうるとすれば、実在の青少年を性的に描いた場合である。(実在18歳未満のアイドルのセックスシーンを描いたものなど)
・都条例について、規制を実際に行うのは行政ではなく、流通サイドである。故に単純に焚書などと比較することはできない。
・もし、表現に「健全」「健全でない」という色を付けるのであれば、それを付ける側の責任を明確にし、また異議申し立ての窓口が明確に存在しなければならない。
・都側の「曖昧な不健全指定」と、流通側の「強制無き自主規制」という構図では、誰も規制に対する責任をとることができない。

 とりあえずこの辺が眼光紙背で書いた問題ベース+αです。
 他にも、さまざまな人たちが論じている通り、都条例改定案にはなんら正当性は存在しないにも関わらず、産経新聞がこういうことを書くわけです。

【主張】漫画児童ポルノ 子供に見せないのは当然

 もうこのわずか数文字の見出しだけで「非実在」なのか「実在」なのか、さらに児童ポルノの問題が「被害者児童の人権」なのか「児童に対して不健全だから」なのか、そうした細かな諸問題が、産経にはなんら理解されていないということがハッキリと分かります。というか、この記事だと「児童ポルノが存在しても、子供に見せなければいい」などという、被害者児童を無視したとんでもない内容として読むことすらできてしまいます。日本においては「児童ポルノ=実在児童ポルノ」だという前提が産経の記者にはないのでしょう。 (「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」第2条
 改定案の「非実在青少年」や「青少年性的視覚描写物」といった定義は、実在児童の児童ポルノと、実在しない児童を描いた性的描写を明確に区分するための定義であり、産経の記事はそれすら無視しています。
 けれども、世間の多くの人はこうした産経的な考え方でしか、この問題を理解していないのであり、これを「産経クオリティだから」と卑下することは、自らの首を絞めるに等しいでしょう。
 また、この記事自体が包有する問題については、「マナミちゃんブログ エンカウンター」さんの指摘が的確です。産経の記事は条例案も見ずに、あることないこと書いているようにしか読めません。

 さて、ここからが本題ですが、もう少し考えてみると、そもそも規制を望む側が何を考えているか。ということが、この問題のキモになりそうです。
 規制派というと、前田雅英を筆頭に審議会連中の差別意識満々で、オタクを精神障害者に貶めたり、とにかく自分たちが正義だと思いたい、おつむがアレゲなメンツが思い浮かびますが、市民でこの改定案に賛成するような人たちが望んでいるのは、子供が安全安心に生活できる社会でしょう。
 しかし、データを知っていれば当たり前のことですが、そもそも「子供の安全安心」と「非実在の子供がセックスをするようなマンガが存在すること」には、なんら相関関係はありません。というか、そもそも「昔と違って、最近の日本では子供の安全安心が脅かされている」という事実すら存在しないわけです。
 この問題に対して「親たちの気持ちを汲むべきだ」などと言う人がいますが、「ありもしない恐怖感から、とりあえず危険だと思われるモノを排除しようとしている人たち」に対して、「アレが危険ですよ。コレが危険ですよ」と言うがことき言論を繰り広げたところで、実際に危機(思い込み)を排除することはできないのですから無意味です。
 それこそ、ナイフ類の規制や、町中に設置された監視カメラ、そして今回の条例案のような規制と、彼らの危機感(思い込み)は、留まるところを知らないのです。
 ならば、彼らを安心させるためには、偽りの危険分子をほのめかすのではなく、「それは関係ありませんよ。違いますよ。子供は安全ですよ。」と丁寧に解いていくことでしょう。
 反規制派の弱いところは、どうしても「表現の自由」という私たちの生活に直接関係がないように見える理想を最上段に掲げないといけないところです。その点「子供がオタクに狙われるかも知れない!」という危機感は、妄想ですが条例案に賛成するような親御さんにとって、きわめて近しい問題点なのです。
 「ゾーニングの徹底」なんてことがよく言われますが、規制派にとっては「LOのような本を読んでいるオタクがいる」ということが恐怖の対象ですから、そう考えるとゾーニングも「ちゃんと分別してますよ」というぐらいの意味でしか有効ではないでしょう。

 話がすこし飛びますが、都条例改定問題で問われている本質的な問題は「他人への恐怖」です。
 かつて日本が「一億総中流」といわれたのは、経済的にはもちろんですが、日本人の質が統一されたという実感もあったのでしょう。今の「格差社会」は、経済的にはもちろんですが、日本人の質が、よい悪いではなく、違った価値観でバラバラになっていること。それが恐怖の源泉なのだと、私は考えています。
 ただし、この「質」に関しても思い込みです。稀に「日本は単一民族国家だ」などと発言して自爆する政治家がいますが、アイヌなどの少数民族の例を出さずとも、日本には朝鮮の人たちもたくさん住んでいますし、アメリカ人やブラジル人もたくさん住んでいます。さらに日本人だって、多様な考え方の人たちが住んでいるのが、日本という国です。変な「国民性」とか「県民性」などを挙げて「私たちの社会は、同質な人たちが住んでいるのだ」などと思い込むことは、他人の存在を無視することに等しいし、そうした考え方をしている限り「多種多様な人たちが同じ社会に生活している」という現実から逃げ続けることになってしまいます。
 今回の条例改定案に賛成してしまうような人たちは、そういう現実から逃げてしまう性格の人たちだと、私は考えています。
 彼らに対して言説を行うとするならば、現実にはオタクの人たちもたくさんいて、普通に生活している。ということを伝えることが必須でしょう。次の危機が訪れるまで、あまり時間はありませんから、早急にそうした人たちに、多様な人たちが多様な生き方をする日本社会を認めさせる必要がありますね。


Homeへ戻る