憂国日記
2009年07月


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著書、絶賛発売中:『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)

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09/07/18

『精神』

『精神』見てきた。

 えーと、この映画を「精神病の内側を描いた作品」だと思ってみると、拍子抜けすると思います。
 まぁ「育児に対する精神的ストレスや、周囲の無理解から、赤ん坊を殺してしまった女性」なんかもいますが、そういうことが、この映画のベースではありません。
 あくまでも、私たちは「開かれた精神病院」を背景に、談笑したり、自分の過去と対峙する普通の人々を見るだけです。あれが居酒屋であっても違和感はありません。
 ちなみに一番笑ったシーンは、街角のシーンで、意図的に共産党の「確かな野党」というキャッチコピーで志井さんが微笑んでるあのポスターが映されているところですね。
 というわけで『精神』には、政治的なものが意図的に含まれています。精神病患者は周囲によって生かして貰っているというのが現状でしょう。それは行政からの福祉もそうだし、山本所長の尽力でもある。
 福祉は「障害者自立支援法」によって切り捨てられ、山本所長もスタッフの話から、10万円ぐらいのお金しか貰っておらず、生活は年金によって支えられていると語る。
 ということは、年金がまともに貰えない世代には、山本所長のようなやりかたはできないということでもあります。
 作品中で、患者さんの一人が「生活は、人間関係とお金が半々」というようなことを言っていました。
 生活だけで言えば、彼らは「精神病患者」という結びつきで、俺なんかよりもはるかに豊かな人間関係を築いている。けれども、福祉が切り捨てられる中で、今後の生活の目処は立たない。お金がないのは俺も同じか(笑)
 だからこそ、この作品には患者たちの姿だけではなく、「政治の話」がいっぱい出てきます。というか、政治の話に触れざるを得ないのです。

 そして、この作品を見た私たちが、彼らに対して何かできるかといえば、政治のことを何とかするしかできないわけです。
 というか、精神病でも貧困でも老人でも片親家庭でも、そうなのだけれど、私たちが彼らに近しい存在であれば、「生活」の半分側、人間関係をなんとかすることもできる。
 しかし、遠方の縁もゆかりもない私たちが、彼らに対してできるのは、やはり政治的な側面、すなわち、福祉を維持することによって、お金を回すことでしか、彼らを支援できないわけです。
 ところが、それが日本だと「人間関係を何とかしましょう」という方向ばかりに寄りがちなんですね。ボランティアとか、そんな一時的な人間関係を作って、それで「私は弱者に対していいことをしました」みたいな、満足感を得てしまう。

 だから、日本においてタブーなのは、精神科のカーテンだけではなく、精神病患者の生活が、福祉によって、つまり「政治とカネ」によって守られているということの方が、より強いタブーなのではないかと、思いました。
 「“豊かな日本”で、一生懸命生きている人たちが、生活に困るハズがない。生活に困る人間は、サボっているのだ」というのが、日本の常識ですから。
 『精神』は、このような「普通の人々」と政治の関係をあぶり出す作品である。そう感じました。


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09/07/04

本日、阿佐ケ谷ロフトAで、イベント出演します

【告知】本日、7月4日(土)18:30から「阿佐ケ谷ロフトA」で神沢敦子さん主宰のイベントに出演します。よろしくお願いします。

 共著の告知とか、児ポ関係とか、書くべきことはいろいろ溜まってますが、今日の更新はイベントの告知のみで。


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