憂国日記
2009年01月


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著書、絶賛発売中:『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)

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09/01/28

遭難したフリーターは、今ではしっかり陸地に立っていた

麻婆茄子を作った。

麻婆茄子とご飯

 市販の麻婆茄子の元だけでもいいんだけど、ちょっとオイスターソースと豆板醤を足して、辛めの味付けに。
 つか、使い切れなかった豚ひき肉が残ってたから作ったのだが、今度は茄子が余ってしまった。揚げびたしにでもしようかな。

『遭難フリーター』の試写会に行ってきた。
 で、作品を見ながら「大丈夫かなー」って思ってたの。
 何が大丈夫かって、この作品の立ち位置が、以下にも「底辺で転がっている若者に同情的な目を向けながら優越感に浸るサヨク」が大好きっぽい作品だったから。
 作中で岩淵さんの肩を叩きながら「お前は社会の奴隷なんだ」なんて、スーツという奴隷服を着ながら説教するオッサンがいたんだけど、あのオッサンはこういう映画が大好きだろうな。
 で、主題としては、刺激を求めるような「生き甲斐」や「働きがい」そして、「賃金」の問題あたりが軸になっているんだけれども、全体としては「生き甲斐」が主題になっていて、ラストも青春映画っぽい〆になっていた。
 だから、こういう映画でサヨクに持ち上げられて、「結局なにも岩淵さんが救われないような結果になったらやだなー」なんて思ってた。

 で、岩淵監督のティーチインがあって、その中で、今は派遣ではあるけれども、時給のいい仕事をしているから、仕事はつまらないけど、生活には多少の余裕があるらしい。そこで質問してみた。
「もし、今のつまらない仕事のまま、給料だけ上がって生活ができるようになるとするならば、今の仕事を続けることができますか?」と、こんな感じ。
 すると岩淵監督は、それならできると言っていました。その返答で、映画の中で生き甲斐というものにすがろうとしていた岩淵さんの姿は、あくまでも当時のものに過ぎないということが、よく分かりました。逆に言えば、生活が苦しいからこそ、生き甲斐にすがろうとしていたのかもしれません。
 社会運動で政治を動かせるとして、政府が国民に対して与えられるものは「お金」だけです。
 現在の偏った再配分を是正することによって、今苦しんでいる人の生活は激変します。
 しかし、政府は国民に「生き甲斐」を配ることはできないのですから、それを社会に求めてもムダなのです。生き甲斐は衣食住が保証された状況で、自ら社会の中で見つけだすものなのです。
 貧困問題は徹底して「金銭問題」であり、社会運動をもって生き甲斐を云々するような考え方はムダであり有害であると、私は考えています。
 実際、岩淵監督は映画内とは違い、極めて落ちついた好青年という印象でした。時給の高い派遣労働での賃金と、注目される映画監督という社会的立場が、彼にしっかりとした自尊心を与えているようです。

 また、他の質問の中で秋葉の事件の話がでましたが、そういう情報はシャットアウトしているそうです。
 岩淵監督は徹底して、自分のことだけを語り、非正規労働者の代表のような顔をするつもりはないようです。この様子であれば、岩淵監督がサヨクにいいように使われることはないでしょう。とても安心しました。
 まぁ逆に、映画だけを観ると、その辺を誤解しそうなんだけど。


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09/01/26

海賊対策こそ自己責任

最近、一人暮らしを始めた事は、もうアナウンスしたと思うけど、お金もギリギリなので自炊をいろいろとやっています。
 簡単な丼ものとかショウガ焼きとか作ってるんですが、こないだ作って大ヒットしたのが、手羽先。
 油で揚げて熱々の手羽先に、酒醤油みりん砂糖、そしておろしニンニクで作った調味液を付けて、塩コショウで味を整えてパクつくと、これが美味い。ビールが進む。でも、手がべったべたになるから、缶ビールを滑って落とさないように。
 火加減さえ間違えなければ、ホネの周りの肉がそもそも美味しいので、多分失敗しないはず。

どうやって書こうか迷ってきたんだけど、ゲバってきましたよ。
 試写会にご招待いただいたので、今公開中の「29歳の革命」はもちろん、31日から公開の、「39歳別れの手紙」も見てきました。
 で、感想なのですが、まぁネタバレ配慮はいらないですね、史実的にキューバ革命は成功し、ボリビアでは死ぬというのは明らかなわけですから。
 だから、「29歳の革命」は右肩上がりの物語で、「39歳別れの手紙」は右肩下がりの物語です。

 結論から言うと、ゲバラは自己責任ですよ。自己責任論。
 他人のために戦って、自己責任で死ぬわけです。
 革命に生き、革命に死ぬというのはカッコいいように見えるけど、要はゲバラはそういう生き方しかできなかったわけです。
 保身のための長期的な視野を持つより、目先の「成すべきこと」に命をかける。それが凄いかどうかは、私は判断を避けます。ゲバラはキューバ革命においては象徴的に扱われますが、別にゲバラがいなければ革命は成功しなかったというわけではないのですから。実際ボリビアでは革命に失敗してますので。
 革命がなにかと言えば、「反政府」という空気の醸成であって、そのための闘争は醸成のための道具でしかありません。私が「希望は戦争」を書いた時に「革命は目指さないのか」なんて言う人がいましたが、革命できるような空気があれば、俺があれを書いただけで自然発火するでしょうよ。そうじゃない以上、革命なんか目指しても意味がない。俺は戦いに生きるなんてことのできない俗物ですからね。

 まぁなんだ。俺は映画評論家じゃないから、娯楽ではない作品に対して、映画を語ろうとは思わない。娯楽なら「あのシーンが迫力があった」でいいんだろうけど。
 というわけで、「チェ」についてはあんまり語れません。

民主・平田議員「海賊は漫画で見たことあるがイメージがわかない。日本の船舶が襲撃を受けて被害を受けた事があったのか」

 現状すら把握していない、民主のアホ議員なんてどうでもいいんだけど、むしろ俺が思うのは、「なんで企業の船舶には自己責任論が適用されないの?」ってこと。
 海賊がもし「相手の船に乗り込んで、乗組員を斬り殺して積み荷を奪って船を沈める」ような連中だったら、これは退治しないといけない。
 けれども今の海賊は「乗組員を人質にとって、企業に対して金銭的要求をする」わけですよ。それは「公海」というルートをとる以上は、企業が負うべきリスクに過ぎないのです。
 リスクは商売の上での自己責任なのだから、企業が金を出して傭兵会社にでも護衛を頼めばいいはずなのです。
 というのが、昨今の自己責任論を演繹(用法あってる?)した場合に、本来社会が至るべき結論だと考えられます。私は自己責任論者ではないので、そんなことは思ってませんので念のため。

 ところが、上記スレの2ちゃんねらーの反応もそうなのですが、これだけ個人に対する自己責任論が大合唱される中で、企業に対しては自己責任の自の字も出てこないのです。
 ならば、海賊の件だって、どうして日本が海自を出す云々の話になるかといえば、実際に命の危機に去らされる乗組員の命を守るためではなく、身代金という企業の不利益を無くすために自衛隊を出せって話になっているのですよ。それは「人が襲われているのだから、守るのは当たり前」などという純粋な論理ではありません。
 そういうわけで、私はこうした反応に自己責任論のダブルスタンダードを見るわけです。


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09/01/20

「仕事もどき」を「仕事」と言うな

いろいろと書くべきことを書いてませんでした。
 芹沢一也さんがやっているメールマガジン「αシノドス」のvol.18,19合併号に、「待ち望んだ大不況を迎えて」という文書を書きました。バックナンバーも購入できますので、よろしくお願いいたします。
 
JCCastも更新中です。私がどこに住んでいるかがバレていますが、まぁいいです。
 あとは、ちょこちょこ、新聞とか雑誌に顔を出していますので、見かけたら読んでやってください、できればアンケートハガキなんかに反響を寄せていただければ幸いです。

革命的非モテ同盟のイベントに出席します。

1月29日(木)「阿佐ケ谷ロフトA」です。

古澤克大プロデュース
「革命的非モテ同盟〜プリン体増殖ドクトリン」

あの革命的非モテ同盟による香ばしいニュース群のスピードメニュー化。
女優、言論人、映画人、アーティストが正月ボケに鉄槌を下す!!

【出演】
赤木智弘(フリーライター)
増山麗奈(画家)
昼間たかし(ジャーナリスト)
大塚麻恵(女優)
増田俊樹(映画監督)
古澤克大(プリン体27)

OPEN18:30 / START19:30
¥1,500(飲食代別)<当日券のみ>

 以前にのトークショーで不完全燃焼に終わった増山さんとの対談が再び。
 私がどんなことを言うかといえば、多分「お金がなければ恋愛はできない」ということを言います。結論だけを言ってしまうと、資本主義社会においては「お金=社会性」だからです。
 まぁ、そんな感じで。

産経新聞が労働者間対立を煽ってますねー
「職ないはずなのに… 100人募集にたった8人 さいたま市の臨時職員採用」
 これを見て、情報リテラシー能力のないクソどもは「派遣村にいるような連中は働く気がないんだろ」などと言うわけですが、では、この仕事がどういう雇用条件なのかというと、ググればちゃんと出てきます。
 産経新聞のこの記事を書いた記者や、「働く気がない」という人たちは、ググる方法を知らないのでしょうから、ここで丁寧に解説しますね。

 「ググる」とは、googleという検索サイトでインターネット上に散らばる情報を調べると言う意味です。
 今回の場合、臨時職員を募集しているのは「さいたま市」ですので、さいたま市のサイトを探すことを考えます。ニュースサイトのリンクには産経新聞の煽動記事がリンクされていますが、さいたま市の募集要項のページにはリンクが貼ってないので、自分で探す必要があります。ところが、ニュースサイトを解説している人は、そうした責任感をもたないクソ野郎ばかりなので、新聞社のサイトや他のニュースサイトの内容をコピペするばかりで、自分で調べるということをしません。マスゴミ云々言うクセには、産経新聞とかチャンネル桜といったマスコミを盲目的に信用するバカなのです。バカほど自分がバカだということを自覚しないから困ります。
 さて、googleはhttp://www.google.co.jp/にあります。このサイトにアクセスして、入力欄に「さいたま市」と入れて「google検索」というボタンを押すと、さまざまなサイトへのリンクが出てきます。このうち「さいたま市Webサイトへようこそ」と書かれているのが、さいたま市のサイトです。市町村のURLは「*city.地名.*」という形式が多いですね。
 さいたま市のWebサイトを見ると、いろいろなリンクがありますが、トピックスにある「●緊急経済対策に伴い臨時職員を募集します」というのがそれっぽいですね。早速クリックしてみましょう。

 さて、後は要点だけかいつまんで。
 まず応募資格が「さいたま市に在住しており、平成20年10月以降に、勤務先の業績悪化等により解雇された方」とありますね。つまり「さいたま市の住所」が必要なわけで、解雇とともに住所を失った人は応募できません。この時点で派遣村などの人は対象外です。もう論証終了です。さいたま市の臨時職員に応募が少なかったことは、派遣村の人たちには何も関係ないのです。
 他の待遇もダメダメですね。時給830円じゃバイトですよ。田舎ならともかく、さいたまあたりなら、もっと時給のいいバイトはいっぱいあります。1日6時間で週5勤務という事ですから、6時間勤務の場合法定で45分の休憩が定められていますので、1日の賃金は830円×5.25時間=4357.5円ですね。これに月22日勤務と概算すると、月95,865円です。ちゃんと見たら、労働時間は1時間休憩込みで7時間ですから、賃労働時間は6時間ですね。1日4,980円。22を掛けて109,560円です。
 しかも、国民の休日は休みになりますから、月平均90,000円弱10万円強ということになるのでしょうか?
 しかも、この給料が支給されるのが、月末締めの翌15日支給ですから、1月19日月曜日から働いたとしても、2月15日までは給料無しで凌がねばならず、しかも支給される額は10日分43,575円49,800円です。1ヶ月分フルの給料にありつけるのは、さらに1ヶ月後になります。
 こうした労働開始から、給料受給までのタイムラグが問題だというのは、派遣村で中心に立って働いていた、もやいの湯浅さんがよく言っていることです。
 ハッキリ言えば、この賃金で働けるのは、夫が働いている主婦や、少なくとも2,3ヶ月、生活を保てる貯金があるなど、生活に余裕がある人だけです。今回応募した8人というのも、そういう人たちなのでしょう。

 今、職がないからと言って、糊口を凌ぐレベルの「仕事もどき」をしても、職も住居もない人にとっては、なんのスキルアップにもなりません。
 本当に市町村がこうした人たちを救済したいと考えるのであれば、100人をバイトレベルの待遇で雇うのではなく、その6分の1の17人ぐらいを、6倍の待遇、月額30万程度の収入と、1年間の労働期間などで雇うことが必要なのです。

 私は、バイトレベルの雇用を「仕事」と呼ぶべきではないと考えています。
 「仕事」とは、働くことにによって、労働者自身が社会性を得て生活できるような行為の事です。
 そうではない「仕事まがい」を「仕事」と称して、自治体やハローワークが提供することは、道義的に許されるべきではありません。


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09/01/02

世代間対立から逃げるな!

はい、というわけで、今年もよろしくお願いいたします。

 さて、年始から重っ苦しい話題を。
 はい、この記事ちゅうもーく!!
「働かない中高年リッチ解雇せよ 「正社員」保護しすぎ論が台頭」
 まぁ、この記事自体に対しては、編者が恣意的すぎますね。
 そんなに世の中には「あきらかに遊んでいる中高年」なんてほとんどいないわけで、城繁幸の「職務給」の考え方を、池田信夫の「ゴルフで遊んでいる中高年(苦笑)」などというくだらない妄想で上書きしてしまうことに、編者の悪意を感じます。

 私としては、問題は「働かない人間」よりも「働く無能な人間」だと思っています。
 無能な人間が「正社員として働いている」という状況によって、有能な人間であるかのように社会に受け入れられ厚遇を受ける。それが今の格差の源泉なのです。
 それに対して、もう少し厳密な査定を加えようとするのが城さんの「職務給」の考え方なのだと、私は理解しています。
 じゃあ、職務で十分な給料を得られない無能な人々はどうすればいいのかといえば、低賃金労働に従事しながら、「国の」福祉によって生活できればいいのです。
 そして、有能な人間が、社会で活躍するために、有能な人々は福祉のために多額の税金を払って、無能な人々に「会社という仕事の場」から退場していただけばいいのです。
 よく「福祉を厚くすると、働かない人たちが出てくる」なんてことを言う人がいますが、そういう、働きたくない人は無能なのですから、働かないでいてくれた方がいいのです。ついでに言えば、「福祉を厚くすると、働かない人たちが出てくる」なんてことを言うような「無能な人間」が働いているつもりになっているからこそ、日本はいつまで経っても低成長から抜け出せないのです。
 別に働くということは、賃金を得るためだけの行為ではないはずです。労働を通して社会に接することで得るものもたくさんあるのですから、有能な人間はそういうものを求めて働けばいいのです。
 そうした賃金以外の部分に労働の価値を感じられず、「税金を多く取られると、有能な人間のやる気がなくなるので、高額所得者の所得税率を下げるべきだ」などと主張する無能な人間は、それこそやる気をなくしてくれた方がありがたいですね。日本からでていく? どうぞどうぞ。

 で、本題はこれではないのですよ。ここまではイントロダクション。

 本題はこの記事に対する、はてなブックマークの内容です。私はこれを見て、頭が痛くなりました。
 やれ「分断統治」だ、「経営者や派遣会社の思うつぼ」だ、「中高年もリストラをされた」だ、果ては「今の中高年は若いときに低賃金で働いたから、今は高い給料をもらっているのだ」まで、中高年を守るための屁理屈大集合という感じで、ぐったりしております。
 だいたい、中高年のリストラは本当にそうなのか、怪しいですね。
 『若者を見殺しにする国』でも指摘していますが、中高年のリストラは、山一倒産などの象徴的なトピックによって印象づけられたイメージに過ぎない可能性があります。平成19年度版の国民生活白書などを見ても、あれだけ中高年のリストラが喧伝されたにも関わらず、団塊世代付近の勤続年数だけが増えています
 あと、中高年は若いときに低賃金で必死に働いた」なんてのもありますが、それはそもそも「年功序列」の日本型雇用の特徴であって、中高年だけが若い頃に低賃金だったわけではありません。そうした中高年も30代になれば結婚して家やマンションを買っていたわけで、今のような「30代になっても非正規で月収15万だ20万だ」なんていうのと比べれば、まさに天国です。つか、今の若い人が高賃金で働いているとでも思っているのか?

 あと、「世代間対立を煽ってはいけない」なんてことをおっしゃいますが、それは単に世代間格差から目をそらしているだけでしょう。それこそ、この「”年金破綻”は本当か――年金の誤解を解く!」というお笑い記事に、「世代間対立を煽ってはいけない」という言葉の最も正しい利用例が掲載されています。

現役世代は少子化によって減少し、年金受給者の高齢世代は寿命の延びによって増えてきた。そうなれば保険料は高くせざるをえない。世代間で不公平が生じるのは、賦課方式では当然です。では積み立て方式にすればよいかといえばそうは簡単でない。世代間対立をあおっても仕方ありません。

 賦課方式の致命的な欠陥を放置し、開き直るために「世代間対立をあおっても仕方ありません」という口当たりのいい言葉が使われています。(*1)
 これと同じように、現在の労働システムの欠陥を放置し、開き直るために「世代間対立を煽ってはいけない」という言葉が使われています。

 私の問題提起に対して「世代間対立を煽っている」などとおっしゃる方がいますが、私はありていに現在の現実を提示しているにすぎません。煽っているのではなく、世代間対立が現実にあるのです。
 それを無視して「世代間対立なんかせずに、一緒に戦おう」などという労働左派や、それに賛同する人たちは「労働者を守る」ことと「正規労働者を守る」ということを混同しているとしか思えません。
 大切なのは、すべての人の権利を守ることであり、肥大した正社員の自尊心(それは、金や車という誇大な顕示欲だけではなく、「家族を守りたい」という、かつてであれば素朴であったはずの感情ですら、もはや肥大した自尊心と言うべきだろう。それが非正規労働者に許されないものである以上は)を守ることではないのです。
 もう、労働左派の口車に乗せられて、世代間対立から逃げるような言論はうんざりだ。

*1 この文章の下の票もすごくて、85年生まれ以降の保険料比率の「2.3倍」という数字が、無根拠もいいところ。
 必要な額を若者からとって、そこに2.3倍かけて、それを給付額ということにして、「2.3倍だから払い損にはなりません」とか。なんだよそれ。
 05年生まれの9500万円は誰が払うの? 2035年産まれぐらいの人は、1億円払って、2億3000万円貰うの?
 若者は金がわき出る養老の滝だとでも思ってるの? 馬鹿なの? 死ぬの?
 だから俺は言うんだよ「無能な人間は働かない方がいい」って。
 元厚生省の上智大学教授、堀勝洋のような無能が一生懸命働いた結果がこれだよ!!!


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