憂国日記
2005年7月


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ご意見ご感想はメール、もしくは掲示板までよろしくお願いします。

著書、絶賛発売中:『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)

各日付ごとにnameアトリビュートを設定しています(日付の上部に薄い灰色で表記)。リンク等にご利用ください。


[#050728]

05/07/28

勝谷がSPA!の連載で、銀行の手数料が無料になるスロットの件を批難していた。
 曰く「ギャンブルにうつつをぬかし、怠惰であることは許せない」ということらしい。もちろん、批判対象はATMそのものではなく、パチンコやスロットといったギャンブルである。
 しかし勝谷君ね。まさかあんた「保通協」を知らないわけではないでしょう。

 通称、保通協。正式には財団法人・保安電子通信技術協会
 保通協の歩みを見てもらっても分かるように、れっきとした公安警察の天下り団体です。
 そして、パチンコやスロットのすべては、保通協で検査をうけて、OKをもらわなければ商品として流通させることができません。
 現在、地方都市の娯楽といえば、パチンコ・スロットしかなく、その手の店ばかりが改装巨大化を繰り返している時代に、保通協が得ることのできる利益は巨大なものです。
 また、石原慎太郎がお台場にカジノを作りたがっていますが、これも都はもちろん、公安や警察の巨大な利権になります。

 結局のところ、カジノをやりたがっているのは公安警察です。
 実際、平沢勝栄など警察利権寄りの人間は、カジノに対して肯定的な発言を繰り返しています。
 先日、鹿砦社の松岡利康代表取締役が逮捕された事件は記憶に新しいでしょう。鹿砦社はパチンコ・スロットを製造する巨大企業「アルゼグループ」の批判本などを出していました。
 政府は社会階層を明確にし、下層の人間に低賃金で劣悪な労働環境を押しつけています。そして、警察はパチンコ・スロットという気軽に成功体験を味わえる、唯一の遊戯を提供し、下層の人間の財布を掠め取るのです。そういうコンボがこの国では積極的に容認されています。
 そうした、状況下で繁栄しているパチンコ・スロット業界に対する批判が、単純に「パチンコやスロットをやっている人間は怠惰だ」なんてことにしかならない、勝谷のジャーナリストとしての態度が一番怠惰だというのが、今回の結論です。
(そんなことを書きつつ、表紙のトップ絵がアレだから、俺もずいぶんお気楽だな)

あまりに醜悪過ぎて、軽く吐き気を催してしまった。
「高崎小1女児殺害事件・検察が遺族の希望により、被告に「人形の廃棄」を命じた事が報じられる」
 これが、「裁判の場を利用した脅迫」以外の何事であるというのか。
 リンク先ですでに示されている通り、この殺人事件に「フィギュア」はなんら関与していない。それをただ「被害者の親の要求」で破棄させられる。形の上は任意であろうが、これを任意であると肯定できる要素はいっさいない。法に基づかぬ脅迫である。
 まさに裁判の場で犯罪が行われたのだ。

 「被害者の家族の人権を守る」という名の下に、加害者の人権を軽視、侵害して平気であるという、悪質な現状。
 人権は憲法の元に平等なのであって、決して加害者の人権が損なわれていいということはない。もし加害者の人権を否定すると言うなら、それは裁判制度自体の否定である。人権が存在するからこそ、法の下においてしか加害者を裁くことができないのだから。もし、それを否定するというなら、裁判所なんかいらない。私刑で構わない。

 フィギュアを廃棄させるなどという、セコいマネをするぐらいなら、被害者の親が自ら加害者を殺せばいい。もちろん法の下に裁かれるが、個人的にその心情は否定しない。もし逮捕されたとしても、理解し支えてくれる人も多いだろう。
 けれども、自分の社会的立場は守りつつ加害者に対して犯罪を行う、被害者の親の態度は極めて醜悪である。彼らは「子供の死」を利用して、犯罪行為を行っているのである。子供の死を自らの悲哀の解消のために利用しているのである。その姿が醜悪以外の一体なんだというのか。それは決して、親が子供の死を悲しんでいるなどという素朴な心情ではない!

 そんなに犯罪が楽しくて仕方がないなら、犯罪者になればいい。法の下に裁かれればいい。
 犯罪者にならずして、犯罪ができる特権階級。それがきょうびの「被害者」という連中である。それを裁判所が支援するのだから、お話しにならない。
 日本はいつからこんな醜悪な……いや、元々醜悪だったのが、札束に隠れていただけか。


[#050727]

05/07/27

つい、長々と放置してしまった……

kitanoのアレ 「ゲーム業界の自主規制強化について」

自主規制がゲームが有害であるとの認識を前提にした措置であって、ゲームは有害でも無害でもなく各人の価値観に基く選別の便宜、すなわち本来の意味でのゾーニングのためではないという点です。

 TVゲームが有害であるという(擬似ではない)科学的根拠がいっさい存在しないにもかかわらず、「有害ゲームだから有害なのだ」だとかなどという言葉が通用してしまう現状において、純朴なレーティング論は単なる差別の助長に過ぎません。
 そもそも、ここで言われる「有害」の意味は、非常に曖昧なものです。「青少年に影響を与えるから有害だ」などと言うのでは、世の中はすべて有害なものでできていることになります。我々が社会の中で生活している以上、全てのものからまったく影響をうけないことなど、あり得ないからです。そして、全ての影響は、その善悪を単純に区別することはできないのです。
 同じくkitanoのアレにリンクが貼られている「ドキドキまあちゃんゲーム」を見ると、「親と警察はいい人、その他は全部悪い人」という、極めて単純化された社会が構築されていることが分かります。現実には親が子供を虐待したり、警察官が子供を連れ去る事件も起きているのですが、それは子供たちにはナイショです。

 TVゲームと多少話がズレました。
 レーティング論は、個人の人権や自由(!)を前提とした論です。(日本では「自由」というと、無責任の意味を包有するのですが、民主主義的な意味での「自由」とは、自由の内部に規範を包有すると考えます。この点については、また後日)
 そういう意味で、業界がコントロールし、我々が選択するものが「ゾーニング」なのであって、政府が規範を作り、法的に関与されるものは「規制」です。
 そして最初に書いたように、その規制の理由が客観的根拠をいっさい証明し得ない「有害ゲームだから有害なのだ」ではお話しになりません。

みごとに、ニートとヒキコモリが混同されているな。
 ニートといえば、ニート君が有名ですが、彼がヒキコモリならば、顔出しでテレビなんかに出るはずがないということなんか、想像もつかないのでしょう。つか、最近「家事手伝いもニート」になったという話が出ましたが、知らないんでしょうか?(きっとそのうち、子供の居ない主婦もニートということになるんでしょうね)
 何度でもいいますが、ニートとヒキコモリとフリーターはそれぞれ、まったく異なる概念です。
 特にニートという言葉は、政治的な手垢の付きまくった差別表現ですから、ニートという言葉自体を論じる場合以外は使わないのが、文章書きとしての良心でしょう。


[#050718]

05/07/18

♪弱いもの達が夕暮れ さらに弱いものを叩く
 甲本ヒロトは趣味じゃないけど、こんなことを書かずにはいられない。
「専業主婦 何もしない人多い」5月の政府税調で委員が発言

 社会学的に言えば、高度経済成長時代に専業主婦という生き方が諸手をあげて歓迎されたのは、家のことを主婦に任せることで、夫を会社でこき使うことができたからだ。もちろん、こき使ってもそれに見合う報酬を与えることができたので、この制度は維持された。
 ところが、会社がさほど儲けられなくなった現在、専業主婦の制度のまま、1つの会社が夫と妻の二人を養うことが困難になった、よって妻にも働いてもらいたいというのが、産業界の要請だ。
 社会が経済グローバル化に突き進む現状で、日本の企業ものっぴきならない状態に追い込まれていることは自明であり、そのことに対して決して理解を示さないのではない。
 けれども、それならそれで、報酬を出せないなら出せないで、せめて相手に対して敬意を示せ。
 家族がどうの、専業主婦がどうの、ぐちゃぐちゃ居酒屋談義してるんじゃねぇよ。

 でも、もっと大きな問題は、このことが決して税制調査会だけの問題じゃないということ。
 さっき、テレビ朝日がこの問題を報じていて、とんでもない発言だみたいなことを言っていたけど、ここで言われてることって、マスゴミやマスゴミ大好きの主婦が、いつも若者や子供に対して言ってることと同じなんだよ。
 子供や若者は役たたずで、犯罪予備軍で、礼儀知らずですぐ切れて、ゆとり教育で頭が悪くて、etc.....。
 その結果がこれだ。
「自分嫌い」な子供たち 中学生の半数以上 心の意識調査
 そりゃそうだ。社会全体(といっても、マスコミで見えるだけの全体だが)でアレだけ否定ばかりしていて、その中で自分を信じられる方がおかしい。
 でも、これが産経の記事だっていうのが、皮肉なのかバカなのか。こういう記事ですら子供の否定に利用しようとしているんだから、世も末だ。


[#050715]

05/07/15

久しぶりに「フリーターが語る渡り奉公人事情」を見に行ったら、終了宣言をしていた。
 私もなんどか、注目を集めているサイトがあっさりと更新を辞めるのを見てきたが、そのたびに思うのは、「こうやってサイトを辞められる人は、幸せなんだろうな」ということだ。
 私がここ数年サイトを続けている理由は、一応書きたいことがあるということにはなっているが、実際はサイトで物事を書く以外に、社会との繋がりがなにもないからである。
 キチガイの住む土地に閉じ込められている自分にとって、自分が望む社会関係はネットの中にしかない。そうした中で、とてもサイトの更新を辞めることなんてできない。辞める時はまさしく「死」の時である。

 サイトが注目を浴びるというだけでも十分にうらやましいのに、それを辞められるという幸運に、サイトを辞める人たちは気づいているのだろうか?


[#050713]

05/07/13

ここ最近は、本当に何か考えることがあまりに面倒くさくなっている。

 子供のころは、もうちょっと考えることが好きだったハズだ。
 小学生の頃は、教科書をもらったら、まずそのもらった日にほとんどを読んで、内容をある程度理解していた気がする。
 ただ、そうしたことも両親(キチガイ)の「宿題しろ」の言葉に完全否定された。
 学校の成績がそれなりに良いことが誉められた覚えはないが、宿題をやらなかった一点で怒られ続けたことは覚えている。怒られ続けたから、宿題に手をつけたことはほとんどない。自分は「宿題をすること」の本質が学校の成績の向上であることを理解していたから、そんなことをする必要性はなかったのだ。
 両親はバカなので、そのことを理解せずに、宿題をするという形式だけを重視していた。そして、宿題をしろ以外のことで、勉強に口添えをしてくれたことなど1つもないのだ。
 もっとも、それは教師もそうだった、町全体がそうだった。この栃木の片田舎に、知的な興味を煽るような人間など、ひとりもいなかった。
 私の周りの大人は「誰も何も考えていなかった」。そういう連中に育てられたのだから、思考能力が向上しないのも仕方のない話だ。元々私は考えることが嫌いなのだ。嫌いだけと考えなければならないから、苦悩する。考えなければならないことに気付かない人間は、何の苦しみもない。ただ、会社のデスクに座って、ボケーッとして月給をもらい、一生を過ごす。私も本当はそんな普通の大人になりたかったのだ。でもなれないから、さらに苦悩する。

 そして、自分は生まれてこのかたずーっと苦悩し続けているにもかかわらず、なんにも利益を得られないでいる。
 考えること、悩むことで利益が得られないから、考えるのが面倒になってくる。考えたり悩んだりすることが、自分の人生にとって良いことであるという信念で今までやってきたが、それがどうも見当違いらしいということに気づいているから、考えるのが面倒くさくなる。
 考えたって誰も認めないし、悩んだって誰も振り向かない。
 一方で、何も考えずに会社のデスクに座ってボケーッとしている連中は、たくさんのお金をもらって、一人前の人間として認められている。
 本当にバカみたいだ。

 努力をすればいつかは報われるだの。
 止まない雨はないだの。
 情けは人のためならずだの。
 笑顔でいれば幸せになるだの。

 そんな言葉を冷笑しつつも、結局心の奥底で「きっと、いつかは……」そう信じていた自分がいる。

 宗教なんかで、現世利益を謳うカルト的宗教って良くあるけど、あれだけ多いってのは、やっぱり努力とか苦悩とかと、この世界で幸せになることとの間に、なんにも関係がないってことだよな。
 現実の世界で利益を得ているヤツは、現世利益なんてもういらないんだから、信者がいるわけないもの。
 努力しても苦悩しても、それが報われないやつらがあまりに多いから、そういう宗教が多いんだ。

 社会を批評するお利口さんたちは、社会を良くするための文章をいっぱい書いている。
 書店にはそんな本がたくさん並んでいる。
 けれども、社会はまったく……いや、俺の生活はまったく良くならない。
 そういう本を読んで考えれば考えるほど、そういうお利口さん方の世界と、自分の世界が離反していることがよく分かる。
 どうして、あいつらはあんなに社会を客観的に見られるんだ?要はお金に困ってないからだろう。自分の生活が苦しくないからだろう。幸せだから社会を客観的に見られるんだ。社会を客観的に見て、それだけだ!!
 2ちゃんねるが右傾化しているなど言うが、彼らの気持ちもよく分かる。少なくともお利口さんの雲の上の生活を語った本を読むより、愛国心を語り「お前は日本人だから正しい」なんて言ってくれるお馬鹿さんの本を読んだほうが楽しいもの。そして、その楽しさを「それはウソだ」なんてことで否定したって、自分にとってなんのメリットもないもの。
 「自分は正しい、それは日本人だからだ」なんていう、努力も苦悩もいらない、生まれながらに絶対的に有している権利で、正義を主張できるなら、それほど楽しいことはない。楽しいから右傾の論理が流行するのだ。

 景気が良い時代にはみんながお利口さんになって、悪くなればみんながお馬鹿さんになる。どっちも楽しいほうに振れているに過ぎない。本質的な違いはどこにもない。
 けれどもどうして、自分だけはこうして苦悩し続けているのだろうか?つい、何か考えてしまうのだろうか。

 ここ最近は、本当に何か考えることがあまりに面倒くさくなっている。


[#050712]

05/07/12

ロンドンのテロの件。
 一番面白かったのは、たしかワールドビジネスサテライトだと思うんだけど、軍事評論家だか、その手の人を呼んでさ、その人が声明文が誰でも書けるようなことしか書いてないとかいって、どうもアルカイダの関与に疑問を持ってるみたいなのよ。
 でも、アナウンサーは必死に「アルカイダの関与」を連呼し続けるという、なんかアナウンサーが評論家に「空気読め」と言ってるようで、非常に面白かった。つか、お前はアルカイダの関与という、耳覚えのいい結論に貶めたいだけだろ。
 安直なアルカイダ関与連呼は、実際に関与していればいいのだが、逆に別のテロ組織の仕業だったり、国の自作自演だったりすると、テロを擁護することになる。

鹿砦社の松岡社長逮捕
 いやぁー。これまた露骨な見せしめ逮捕だね。
 アルゼ帝国と警察権力の強権マンセー(藁)

なんか、板橋の両親爆殺事件が、まだマスコミで報道されているけど、あの件で「少年の心の闇」なんてことばかりが報道されて「両親が子供からの家事手伝いの名目で、搾取目的の労働をさせていたのではないか?」という件にはまったく触れられないのはなんでだろう?
 日本も批准している「子供の権利条約」においても、児童労働は子供の権利を奪うものであると規定されており、そのことで子供が親の殺害を考えたとしても、けっして不思議ではないハズなのに、あるマスコミは報道当初の時点で「親としては教育として手伝いをさせていたはず」などと発言し、それ以上のことに決して踏み込もうとしない。特に子供の言った「親との労働時間が逆転していた」という発言には耳も貸さない。
 あの事件において、親を爆殺するという手段、つまり確実に誰かに発見され、自分が疑われるであろう手段をとったというのは、確実に世間に対する自己アピールであって、それに耳を貸さないというのは、社会の子供に対する無理解さを明確にしてしまっている。
 「子供の闇」だとか「ゲームの影響」だとか、そんな耳覚えのいい言葉で子供を差別し続けるのではなく、子供たちの言葉を誠実にしっかりと受け止めるのが大人の役目だろうに。

さっき、NHKで新幹線が「在来線」を経由して、新幹線の駅に納入するんだか運んでるだけだかなんだかの報道をしていたのだが、気になったのが1回も「広軌」「狭軌」という言葉が出てこなかったこと。
 つまり、新幹線を在来線を使って運ぶためには、新幹線で採用されている国際標準サイズである「広軌」と、日本の在来線独自の「狭軌」の2つに対応しなければならず、新幹線が在来線で運ばれているというからには、この説明を省くことはできないはず。

 件の福知山線の事故の時もそうだったのだが、JR線に使われている「狭軌」と、関西の私鉄の多くで使われている「広軌」。
 その2つでスピード勝負をすれば、狭軌側で事故が起こりやすいという至極当然のことがほとんど報道されずに、やれ置き石だ、やれ運転手の目がおかしいだ、そんなことばかり報道されていた。

 ひょっとして、日本の報道では「広軌」「狭軌」という言葉がタブーになっているのか?それとも単純にマスコミに知識がないのか?


[#050705]

05/07/05

ツール・ド・フランス始まった!!
 初日はいきなりタイムトライアルでウルリッヒが、1分遅れでスタートのランス・アームストロングに追い越されるという大波乱!
 フランスの雄大な風景と、チームの緻密な戦略をお楽しみあれ。
 つか、スカパーが見られる環境の人は、騙されたと思って、J Sports契約して今からでも見て欲しい。

長期入院の食費・居住費、自己負担に 厚労省が方針
 これは単体でどうのではなくて、ちょっと前に報道された「ヤミ専従」とか、なんかこの手の「私ではない誰かがズルをしている」という類の喧伝をつかって、こういうセコい改革みたいなことをしている例が目につくな。
 規模で言えば、明らかに政府の各種無策や省庁自体の無駄づかいの方がはるかに国の財政を圧迫しているのに、そのことを無視して、「ズルをしている誰か(個人)」を設定することによって、さも彼らのせいで経済が悪化しているがごとくの印象操作をしている感がある。
 愛国心云々もそうだけど、現実には大した害でもなんでもない人たちをつるし上げて、その裏でこっそり自分の利益を謀る。そういう策略に日本人が気付かなくなっているということは、やはり日本人の知力が全体的に低下しているんだろう。

産経が一面でなにか韓国や中国の教科書をあげつらう特集をしている。
 韓国や中国の教科書は、自分たちに都合のいいことばかりが書いてあって、日本の教科書を批判する立場にないと言う。
 たしかに、その通りなのだが、ならば扶桑社の低俗教科書を産経が推進しているのは何故なんだろう?
 扶桑社の教科書は、自国に都合のいいことばかりを書いた「韓中レベルの教科書」であり、私はそんなレベルの低い教科書を子供に使わせたくないのだが、産経はそんな低レベルの教科書を日本の子供に使わせたいらしい。韓国などで日本の国旗を燃やしていることを批判しているが、じゃあ、日本人が韓国の国旗を燃やすのは良いとでも言うのだろうか?
 一部の韓国人や一部の中国人の蛮行は、あのような自国に都合のいいことばかりを書いたレベルの低い教科書をつかっているせいではないのか?日本の教育を韓国や中国と同じレベルまで貶めていいと思っているのか?
 産経新聞の考え方は、まったく不明である。
 まぁ、彼らは自分たちが日本人だという意識を持ってないんじゃないかと感じるのだが……


[#050701]

05/07/01

「しつもん1 パソコンの安全を守るには、いつも最新の状態に更新したほうがよいでしょうか?」
 はーい。ヨブさんが自信をもってこたえまーす。答えは「No!!!」
 アプリケーションに関しては、正式版ならともかく、β版やα版を安易にインストールするべきではありませんし、OS全般に関する大きな変更であれば、ネットなどで人柱になりたがる人たちの情報を見て、十分にバグ情報が出たと思われる時点で導入するのが正解です。
 また、ネットに繋がっていないスタンドアローン状態のマシンが、現在の状態で正常に動いていて、必要十分の機能を満たしているのであれば、新しいものは極力導入すべきではありません。もっとも、それはマシン自体の寿命との相談にもなりますが。

 結局のところ、最新の状態にするかしないかは、そのマシーンの置かれた環境やユーザーのスキルによるのであって、決してYesとは言えません。よって答えはNoです。

「交通事故より確率低い」 米農務長官、BSEで発言
 最近「リスクコミュニケーション」なんて言葉が流行っていて、行政側はさかんにこれを利用しようとしていますが、ぶっちゃけ「これ(BSE)はこれ(交通事故)よりリスクが小さいから、許容できるのではないか」、こういうことを国民側に必死に押しつけることを、もっぱらリスクコミュニケーションと呼ぶわけです。
 だいたい、リスクに対して個人が責任をとれる範囲なんてのはタカが知れていて、それは間違いなく行政レベルの問題に対応できるものではないにもかかわらず、行政側が国民とのリスクコミュニケーションを望むというのは、要はリスクに対して国民側の言質を取りたいということです。
 そもそも我々は「BSE or 交通事故」なんて2択問題を迫られる立場にはないはずですが、アメリカ牛の輸入だとか、原発の建設だとかいう、前提ありきの「リスクコミュニケーション」というアリバイをもって、なぜか2択問題を解くように求められてしまうし、その2択問題が意味のあるもののように思えてしまうから不思議です。

 何か最近は、こういう論点ごまかし系の言葉が増えている気がしませんか?
 たとえば「フリーライダー」なんて言葉は、かつての「ブルジョアジーによる労働者からの搾取」という思想が180度転換し、経済人が労働者を罵倒する際の常套句になってますし、「ニート」にしても本来の労働賃金問題から、若者を罵倒することによって目を逸らしているだけ。
 そして、そうした言葉の構造に気がつかない人が、あまりにも多いのも不思議です。やはり日本人は知力が低下してしまっているんだろうな。


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