憂国日記
2005年1月


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(「f」は上旬「l」は下旬です)

ご意見ご感想はメール、もしくは掲示板までよろしくお願いします。

著書、絶賛発売中:『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)

各日付ごとにnameアトリビュートを設定しています(日付の上部に薄い灰色で表記)。リンク等にご利用ください。


[#050128]

05/01/28

諌山陽太郎って、誰だぁ?(@∀@)

一応貼っておくか。
「南京虐殺はなかった」という人の捏造発覚。

「それがPSPの仕様だ」、久多良木SCE社長がゲーム機不具合騒動を一蹴
 2ちゃんねるで騒いでるだけなら、世間的にも「偏執狂が騒いでいるだけ」という評価になったんだろうが、社長がしゃしゃり出てきて、ボタンが反応しないことがあると認めたうえで、「著名建築家が書いた図面に対して門の位置がおかしいと難癖をつける人はいない」なんて言っている以上、一般人相手にもマイナス。つか、バカ?

 一応、詳細に解説してみると、冒頭の「対応するゲームソフトを作る会社や購入者が、この仕様に合わせてもらうしかない」というのは、PSのコントローラーの「○」ボタンを「決定をする重要なボタンだから」とワザと多少押しにくい位置に動かした前歴を意味する。
 元々、ファミコンが「A、Bボタン」であり、PSにおいてもメーカー、ユーザー共に「○ボタン=Aボタン」「×ボタン=Bボタン」と認識していたが、○ボタンの押しにくさから、アクションゲームについては、×ボタンをAボタン(=主にジャンプ)、□ボタンをBボタン(=主に攻撃)の意味として使うようになった。つまりユーザーやメーカーが「仕様に合わせ」たわけだ。
 そしてこの「○ボタンの押しにくさ」はPSPでも踏襲されており、アクションゲームについては「□ボタン=攻撃」の使用頻度がもっとも高い。そういうボタンの反応が悪いのであるから、批判されるのは当然である。

 だが、今回の久多良木の独善性は、決して久多良木一人の先走りではない。
 発売前からPSPを賛美してきたユーザーは、「DSは電車の中でやっていたら恥ずかしい」だの「液晶が大きいからPSPの勝ち」など、「世界で一番美しいものを作ったと思う」という久多良木の言い分を受け入れていたのであり、まさしく「著名建築家が書いた図面に対して門の位置がおかしいと難癖をつけ」なかったユーザーである。そうしたユーザーの支えがある以上、久多良木の勘違いを彼一人の責として批難することはできないだろう。

 あと、技術屋の名誉のために補足。
 この件で一番多くリンクを貼られているらしい「忍之閻魔帳」(重いのでリンク貼らない)というBlogで、「技術屋に商売はできない」などと、さも久多良木が技術屋であるかのようなことが書かれいてるが、デザインにかまけて、ゲームの本分であるボタンの反応の悪さを無視するような人間を技術屋とは言わない。単なる技術部門出身のデザイン屋崩れである。
 こんなバカを技術屋だというような言論を許していては、横井軍平に顔向けができない。


[#050126]

05/01/26

単なるフレーミングと化しているNHKの件には、もう触れないことにしました。
 確定事項は1つだけです。
 「NHKと自民党執行部は癒着している」以上。
 「圧力」ではなく「癒着」です。もうNHKは「NHK-PR」とか「ちゃんねる桜」とか名乗ればいいんですよ。公共放送だとかいう、紛らわしい呼称は二度と使わないでください。あと「公平中立・不偏不党」は放送禁止用語に。
 あと、別に朝日だっていろいろ癒着してるでしょ。「NHK VS 朝日」みたいに煽りたてる読売、毎日、オマケで産経はウザイウザイ。お前らとNHKの何が違うんだと。嫌朝日厨なんかゴミクズ以下。
 海老が辞めたからって、なんだっていうんだ。以上。

噴飯物である。
メールマガジン「インターネットで読み解く!」「もう気付こう、文科省なんか不要だ」
 学力低下論をいう人間には共通した性質があって、1つが「学力低下という人間自身が学力低下」で、もう1つが「やたら「大人」と「子供」という線引きを重要視する」。この2つ。

 そもそも、東京都の「日の丸君が代」押しつけ教育をしている現状で、反ゆとり教育というバックラッシュ的行為を行うということが、どういうことかを分かっていない時点で学力低下しすぎである。特に普段、日の丸君が代の押しつけに反対しながら、反ゆとり教育をやっている人間には怒りを感じる。このメクラ野郎め!!
 そして、「教育」という問題を論じる際に、無責任の発露としての「子供」をやたら強調すること。いわば子供をダシにして、自分の偏った思想がさも自身の社会責任を論じているかのようなマヌケさ。
 そんなことをしているヒマがあったら、自分が勉強しろよ。親が真摯に学んでいれば、子供もその背中を追うようになる。逆に、家に帰って酒飲んで寝るだけの親がいくら「勉強しろ」と喚いたって、子供は聞きはしないだろう。
 そして、子供を育てることを「自分たちの責任」だと思っているクソマヌケの多いこと多いこと。

 この文章の一番最後の部分。

教育の主体を地方の手に取り戻し、自分達の責任で子ども達を育てるしかない。

 プーーーーーッ。
 責任を取るというのは、NHKの海老もそうですが、「失敗をした後に、自分自身がそれ相応の償いをする」ことです。

 実際、この文章の最初に、別のサイトを引用する形で

失敗の責任は誰もとらず、文科大臣を変えることによって、その気まぐれ発言により方向転換を図ろうとする、全く無責任な形で教育改革が進んでいます。

 という一文がある。「責任=事後責任」であることが明白になっている。

 で、今までかつて、「失敗の責任をとる」という形で、子供の教育に責任をとった親っていますか?つか、あなたはとれるんですか?とれる人など一握りでしょう。
 というか、そもそも「人生の失敗」において、たいていの親は責任なんかとれません。責任をとれるとすれば、たとえば三田佳子だったら、次男の成長を失敗させた責任を、子供に金を出し続けることで(社会に対しての責任ではなく、子供に対しての責任であることに注意)とることができるでしょう。この際人間の成長だのどうでもよく、どんなボンクラの金でも1万円は1万円だというのが、資本主義の原則です。
 上記で括弧書きにしましたが、私が言っているのは「子供に対する責任」であり、「社会に対する責任」ではありません。だって、少なくとも反ゆとり教育派の言う「教育」というは「親の子供に対する行為」であり、行為の対象に対して失敗の補填をすることが「責任」という言葉の意味です。これが分からないというなら、分からない人の語彙力がない。
 そして、反ゆとり教育派は、本来の「子供に対する責任」を「社会に対する責任」にすり替えて、「親の責任」と主張します。

 しかしそれは、親が無責任なまま、子供に「教育」を行うことに他ならないのです。

 そして、親が多少でも責任を果たそうとすれば、子供に対する教育は、社会における「いい教育=いい大学に合格する」という文脈にしたがって、学校や塾に行かせることしかできない。そうした流れの中で、学校は子供の実直な精神だけを養なおうとし、受験産業はただ記号的に受験勉強を理解させようとする。
 そこにはお仕着せの「お勉強」はあっても、批判精神はない。そんな「学力」はクイズゲームのジャンル程度の低俗なものであって、知識であったり知性であったり知能であったりという、人間の真摯たる知的活動とは全くの別物。

 結局のところ「知性」というものを、「学力」という言葉に置き換え、単純に「学」という1文字を持つものをすべて「知的」であるということにしてしまった、我々の読解力のなさが問題なのである。学校なんぞ、学ぶことの1つの形態でしかなく、大人になったからといって、勉学の機会がないわけでもない。
 そんな当たり前のことに気付かずに、ただ「子供の問題」として学力問題を語ることのマヌケさに私は呆れますね。


[#050122]

05/01/22

寝坊したので宮台行けなかった。
 つか、昼に起きようとめざましセットしたのに、鳴らなかった。よく見たら12AMにセットしてた。

QMA、平賢で初決勝進出。4位だったけど、青サビぐらいまでなら何とかなる自信はついた。

【大阪】フェスティバルゲート
 写真ウプされてるサイトみたけど、すごいことになっているな。
 なんかすごく行ってみたくなった。

「PUBLICITY」に掲載されていた、反グローバリズム集会のお知らせ
 これの【背景】を読んでいて思ったんだけど、指摘の総体は正しくても、じゃあこれを「グローバリズムの問題として取り上げましょう」というのは、何かが違う。書かれている個々の問題になると、的外れもいいとこ。

 人々が「便利さ」、「安さ」を求めるのはグローバル云々の問題じゃないし、外国人労働者の参入云々は、差別問題にも繋がってくるので、反グローバリズム集会でこれを取り上げるのは差別的な結論でオチが付きがち。その後の農地云々はギャグにすらなっていない。農家だって収入を得るために野菜を作っているんであり、なんか勘違いした「農耕」感が見える。定年サラリーマンが老後の生活を充実させるために田舎で自然と共生みたいな(藁)。本職で農家やってる人たちはもっとシビアにやっているだろうに。

私たちは、消費者として広告に踊らされ、安さと便利さを追求する生活が「豊か」な生活であると信じ込まされてきました。

 そうか?
 広告で踊るような消費者は、多少不便で高くても、なんかブランド品を買うのが「豊か」だと思っている気がするが?
 ユニクロの服を着る生活が「豊か」?100円ショップで買い物をするのが「豊か」?
 「物がある」という意味で、日本というのは客観的に豊かであっても、広告で踊るような消費者が思う「豊かさ」はまた違うものだ。

結果として、私たちの地域の食文化や生活文化、歴史、人間関係など、大切な価値が、失われようとしています。

 だから、みんなで靖国に参拝しようという話ですか?

 グローバリズムの問題というのは、結局は経済問題ですから、その本質は「金銭」なわけです。
 その金銭の問題を、食文化というものに置き換え(=マイルド化)て理解しようとするのがスローフード運動です。わたしはこのことを、真の問題(=金銭)から目をそらす胡散臭い行為だと考えています。実際、スローフード問題は単なる「自国文化へのヒキコモリ」であり、現実の超大国による第三国からの搾取の問題を正面から見据えることはありません。(「小金持ちのオナニー」と化した、日本のスローフード運動の無残さは見るまでもない)
 そして、このような「大切な何か」のような、いい加減な言い回しに酔っぱらったような反グローバリズムも同じ穴のムジナであり、これに賛同することは、反グローバリズムという名前のグローバリズムを蔓延させることになります。だって、超大国が第三国から作物などを買わなければ、第三国の生産者は首を吊るしかないんだから。

 つか、これってどっかの家族会が言ってる「北朝鮮からアサリを買わなければ、そのアサリが子供の口に入る」なんていうデタラメと何が違うんですか?


[#050119]

05/01/19

おらが村に宮台先生がやってくるだぁよ。(リンク先はPDF。これしか資料がない……)

ヘンリー王子の件については、日本政府はただちにイスラエルのシャロン首相に対して抗議文を提出するべきである。「内政干渉である」と。
 ちなみに、この件に関してイギリス国民の7割が間違いだと考えているそうだ。日本人が靖国参拝を間違いだと考えている割合はどのくらいだろうか?

校内全面禁煙、誓約書も 名古屋女子大が効果上げる
 こんなのを教育だとも、効果だとも、絶対に認めない。言質を取っての脅迫だ。
 かといって、これをジェンダーの観点で批判する勢力に理があると言うつもりもない。「たばこを吸う女性=自立した大人の女」のイメージは、極めて貧困かつ有害な男女平等のイメージであって、これを助長してはならない。

15日の続きは、一度書いたんだけど、JCのジャーナリストサイトの件に比重が偏り過ぎてわかりにくいので、もう少し一般化させてから掲載します。
 内容としては、単純に「いくら内容について厳選しようとも、最終的なアウトプットがWebでは、書き手の努力が報われないよ」といいたいだけです。


[#050116]

05/01/16

NHKの件について。
 あれは圧力ではないでしょう。
 あれがNHKの正常です。
 要は、放送内容に対してOKAMIにお伺いをたてて、放送内容を彼らの都合のいいように変更することがNHKの「公正中立・不偏不党」なのです。つか、自局のニュースでそう主張してたし。
 もちろん、安倍同士や中川同士も、放送前の内容に文句をつけて、内容を変更させることを圧力とは考えていません。あくまでも一国民の意見であり、それに従うか従わないかはNHKの自由です。まぁ、従わない時はどうなるか知りませんが……。
 右翼による攻撃や街宣車でのがなりは圧力ではありません。国民感情です。NHKは国民感情に配慮した番組を作らなければなりません。ちなみにこの国民は自ら路線内に逃げ込んで電車に轢かれることはありません。……チッ。


[#050115]

05/01/15

今週から、ジャーナリストコースの授業が再開なので、東京の方へ。
 普段、東京へ行く時は東武線は久喜、もしくは北千住で乗り換えるのだが、今回はりょうもう号で浅草まで。いや、浅草寺に初詣しようと思って。
 おみくじを引いたら凶だったので、結んでくる。
 凶は「現時点では凶だが、ここ一年、常に上向き」という解釈をすることにしている。

 授業まではまだまだ時間があるので、秋葉に行ってQMA2を適当にプレイ。ついに賢者になってしまう。さて、このまま続けて廃人の皆様に挑むか、新しいカードでのんびり楽しむべきか……うむむ。

 ところで、先日「晒しスレ」で見つけた、エエェエェエェェなこと

486 名前:ゲームセンター名無し メール:sage 投稿日:05/01/13 22:15:00 ID:???
金剛含め12人全員が間違った芸能3連想問題。

鈴木茂
林立夫
細野晴臣
松任谷正隆


1、はっぴぃえんど
2、ティン・パン・アレー
3、ナイアガラトライアングル
4、シュガーベイブ


答えは2

 エエェエェエェェ全員不正解かよ……。つか、大滝詠一が出てこない時点で、2しかありえねーじゃん。山下達郎でも3と4はハズせるし。
 QMAの芸能ランダムに「70's and 80's」というジャンルがあれば、戦えるかも。……いや、洋楽の方が全然分からないからダメか。

 授業は、ロシアで拘束されたことでおなじみの常岡浩介さん。今後は世界を見るうえで、今まで以上にイスラムを理解することが重要になる。特に日本では教会はよく見かけても、モスクはほとんど見かけないしね。
 その後、飲みに行って、なぜか常岡さんの家に泊めてもらうことに。武田さんは「うちのコースの若干一名は常岡邸に泊めて貰ったらしい」などと他人事のように書いているが、飲んでいる時に「常岡さんに泊めてもらったら?」などと唐突に言い出したのは武田さんだ。本当に「悪いやつ」だ。
 ちなみに常岡さんは、このサイトの存在をご存じだったそうで、恐縮である。なんだかんだとサイトを続けてるカイがあったというものだ。

 翌日、本屋などを巡って、その後マンガ喫茶で時間を潰してから再び授業へ。
 ジャーナリズムサイトを立ち上げるという話だが、私はどうもこの話にピンと来るものがない。
 その後の飲み会でも発言はしたが、あれから時間がたってある程度まとまった自分の見解を書いてみる。

 問題の根幹は、もはやネットがそうした真摯な文章を書くのに適してないのではないかという疑問である。
 ……えと、疲れたので後日。


[#050109]

05/01/09

すごい説得力だよ山丘さん!!
 ネタが全体的に古いけど、いつごろ作られたんだろう?

日本で実現するには?『スーパーサイズ・ミー』
 こういう文脈でこの映画を理解、紹介するというのは「ああ、サヨのイチャモンつけか」という結論しか導きません。
 前提として、アメリカには多数のその日の食事すら取ることが困難な人たち(ホームレスとはまた違う)がいて、そうした人たちの多くは食事を安価なファーストフードにたよらなければならないという前提があります。そういう現実があってこその『スーパーサイズ・ミー』です。
 むしろ、アンチ・ファーストフードという文脈においての「スローフード思想」や、「ベジタリアン思想」のほうが私にとっては危機的に感じられます。それは個人を否定し、「家族を社会の最小単位とする」かのような思想を強力に後押しするからです。
 日本ではまだ十分に「個人の選択肢の1つ」としてのファーストフードの立場がありますし、また決してハンバーガーだけがファーストフードではなく、和食(牛丼屋は当然として、「はんだや」や「大戸屋」などもファーストフードでしょう)や中華(ラーメンはファーストフードだろう)のファーストフードもあるわけで、「バーガー屋=ファーストフード」という見方も疑問です。

ミーガン法の恣意性について。続きというかなんというか。

(キタノ)さんの所のどっかの大学のボケ教授とフジテレビの捏造演出より

政井:警察庁の調べでは、平成15年度のわいせつ罪の検挙者数は3,769人、そのうちおよそ三割が再犯というのですが、これ、諸澤先生、三割に留まらないということなんですよね?

諸澤:ええ。これは日本の統計の取り方と申しますか、そもそも犯罪者登録ができておりませんので、ということは犯罪者ひとりひとりに番号がついておりませんので、バラバラにデータが存在しています。それで国際的な常識で言えば、性犯罪者の再犯率というのは七割八割と言われておりまして…

<中略>

政井:引っ越してしまうともうデータがなくなってしまうんですね。

諸澤:しかも警察の中でも所轄が違う、県が違うとそれがつなかってこないという決定的な問題があるわけです。本来であれば犯罪者情報と言うのは全部一括して国が管轄していなければならないし、それが犯罪者の処遇と社会復帰に有効に使われなければいけない。そこをしっかりやることが大事。その次に、その情報を地域や社会にどう出すかというようなところでメーガン法のような話があるわけですよね。

 どうせ捏造報道なので、もう「七割八割」なんて部分は相手にしません。もっと細かいレトリックについて。
 まず、実際の警察白書の該当データ(44 罪種別 前科数別)を見れば一目瞭然ですが、ほぼ全ての犯罪において、その再犯率は三割以上なわけです。総数で見てしまうと、占有離脱物横領の例外的な数値に騙されますので注意。
 そして、管轄移動でデータがなくなるなら、それは性犯罪以外についても同様なわけです。つまり、どっちにしたって「性犯罪の再犯率「だけ」が高い」などという理屈にはなり得ない。
 というわけで、とりたてて性犯罪者「だけ」の情報を公開する理由など、どこにもありません。

 ここからが本題。
 本来、ネオコン的意味で国民の安全云々言うなら、全ての人間の全ての犯罪履歴を公開するべきなのです。
 しかし、それでは社会が著しく混乱する。そこで一部の犯罪者を選んで、見せしめにしようとする。それがミーガン法の本意なわけです。性犯罪者が公開されても、オレオレ詐欺やニセ札騒ぎが減るわけではない(なんでこの2つの例を出したのかは、後日書きます)のですが、それでいいと考えているようです。
 そしてミーガン法によって、現実の性犯罪の多くを占める、家族や親族、または近しい人による性犯罪がもみ消されるなんて話は、いろんな人が書いている通り。
 なるほど、ミーガン法で見かけの性犯罪数はもしかしたら減るのかも知れませんが、ヘイト・クライムを含む犯罪自体は増加します。
 犯罪を増加させたければどうぞミーガン法を実施してください。


[#050108]

05/01/08

ミーガン法の問題点
 しかし、本当に「性犯罪者の再犯率は、その他の犯罪より高い」などというデタラメはどこから出てきたんだろう?
 まさか「テレビ朝日から」なんていう簡単なオチではないだろう。

ヒーローものゲーム、子供の攻撃性増加の可能性
 さて、自分がいまやっていることを考えても、この話題には触れておかなければならない。
 しかし、もうこの手の話題には自分自身飽きてしまっている。読者さんのように「商売」で突き放せてしまえばこんな楽なことはない。だって、実質的には研究として無意味だもの。
 詳しい定義は報道のみからは確認しようもないが、ここでいわれる「敵意」が社会的にいわれる語意と変わらない意味であれば、TVゲーム(以下、ゲーム)とは関係なしに人間が社会化するにつれて、自分と他者という存在の個別性が明確化されるにつれ、当然「敵意」という感覚は強くなる。この際、同時に「融和性」も強くなり、子供よりも各々が強いレベルで均衡を保つのが、大人ということであろう。ならば1年での「敵意」の上昇というのは、子供の成長とも言え、けっしてゲームとの関連性だけから抜き出される事項ではない。
 また、人が同じゲームをプレイするのはせいぜい1ヶ月程度だ。多数のメディアに接するなかで、ゲームの与える影響だけを測ろうとするのは相当難しいのではないか。
 調査方法も多分聞き取り調査であろうから、生徒が聞き取りに答える時点である種のバイアスが介在している可能性は高い。むしろ、こうした調査に「暴力的描写の高いゲームを遊んでいます」と答える子供は、調査に対して自ら都合のいい存在を演じているともいえ、そうした子供の「敵意」が低いのは自明であるような感がある。
 そして当然、昨今の特定の国家に対し、「敵意」を煽る政治的動向が子供に与える影響を無視するわけにもいかない。

 そんなこんなで、こうした研究そのものに何らかの存在意義を感じることはないのだが、その中で唯一ある意味としては、「サラリーマンのスーツ」という意味であろう。実質ではなくてポーズ。
 つまり、坂元らの研究グループに資金を提供するCESAが「我々もちゃんとゲームの悪影響というモノを科学的に研究していますよ」というスタンスを示すものでしかないということだ。要は広報活動の一環だ。

 ところで、実のところ私がこの記事で一番注目したのは、

 ゲームソフトのメーカーなど、約170団体が加盟する業界団体「コンピュータエンターテインメント協会」(辻本憲三会長)では、「テレビゲームと子どもの攻撃性については、まだ研究データが少なく、因果関係がはっきりしていない」(渡辺和也専務理事)という。

 この部分である。

 因果関係というのは「ない」ことを絶対に証明できない。どこまで証明しても「因果関係のある可能性は低い」ということに留まる。理屈的には「風が吹けば桶屋が儲かる」の言葉を想像してみるといい。つまり、全ての件に関しては「因果関係がハッキリしない」か「因果関係がハッキリしている」のどちらかでしかあり得ないということだ。
 しかし、現実には「因果関係がない」ということになっている事柄というのはいくらでも存在する。
 たとえば、毎日梅干しを食べていた人と、その人が心筋梗塞で死んだことの間に、因果関係は追求されない。この事実があったとして「梅干しの常食が心筋梗塞を引き起こすのではないか?」などと研究が始められることはないだろう。まぁ、日常に「梅干し」という食べ物が存在しない国であれば、あるかもしれないが。
 一方でタバコの常飲者が心筋梗塞で死んだとすれば、それに対して「タバコの常飲が心筋梗塞を引き起こすのではないか?」という研究が始まることは十分に考えられる。
 つまり、同じような条件から、片や因果関係が追求されず、片や因果関係が追求される、恣意性が存在するということだ。そしてゲームは「因果関係を追求される側」に属している。

 いわゆる「オタクメディアバッシング」が顕著になったのは宮崎勤事件からであるが、宮崎事件自体にはゲームは登場していない。しかし、ホラービデオやロリコンマンガ(って登場してたっけ?)とひとくくりに「オタク的メディア」として、世間的に忌避されている。現在でも運良くゲームが生き残っているのは、この事件が起きたのが88年から翌9年であり、当時ファミコンブームが最も強かった時期(ドラゴンクエスト3発売)であったということが大きく影響しているように思える。

 ……ここまで書いて、さて、これ以降どういう話をするべきなのかが分からなくなったので、今日はこんなところでやめとく。


[#050106]

05/01/06

2005年、クイズマジックアカデミー初登校。
 去年の授業修めは優勝で締めくくることができたけど、初登校はどうか。

 なんとか決勝に進出、HUM3人のCOM1人。
 緊張のなか出た問題、確か雑学連想。第1ヒント。

「「富士山」「コンセント」」

 湯河原猿!湯河原猿!湯河原猿!湯河原猿!湯河原猿!
 すぐさま見慣れた(見飽きた)あの名前を押しました。

 結局、最終的に2位だった人がこの問題を長考したおかげで、数点差でみごと新年初登校も優勝。
 ありがとう湯河原猿。応援してないよ湯河原猿。

TDL、TDS年間パスポート購入者の個人情報流出か
 Y!BBみたいに、一人頭500円ですますんだろうか?
 一番いいのは、お詫びに流出被害者限定グッズを送付することだろうな。会社にとっては500円ぐらいの品物でも、もらった方は飾って優越感にひたれる、もしくはヤフオクに流して、けっこうな利益を得られる。
 要は、被害者を赤狩りネズミ錬金術の末端に加えてあげればいいんですよ。

<水戸黄門>子孫と偽り現金詐取 57歳男逮捕 千葉・松戸
 これは新種のクヒオ大佐ですね。
 しかし、500万円も自由に使える金があっていいですね。(他人事)


[#050105]

05/01/05

安心安全なんちゃらのあれで、私が書いた前期課題「伝染するゲーム脳」がようやく公開できるようになりました。
 本腰を入れてやりましたが、まぁ私の実力はこの程度です。
 この話題に関しては、後期課題でも継続でやりますが、前期課題を書いた頃とは考え方が多少変わってきています。
 ゲーム脳というよりも、我々の社会においての「脳」の扱われ方についてが今、自分に課している課題です。
 つまり、我々の社会にとって、人間を人間たらしめる基幹としての脳という通念がありますと。

 ……書くと長いし、まだ考えがまとまってないことをムリにまとめるのはやめておこう。

 同時に、安心安全なんちゃらジャーナリストコースのサイトも公開です。
 projectの「書評」に私の書いたものもあります。

産経信者の恥ずかしい文章
 ここまで読んでいる人間になんにも伝わってこない文章も珍しい。単語の切り貼りだな、こりゃ。(カットアップではない)
 やっぱり、景品で吊ってる安い新聞を読んでいると、人間も激安になるんだな。ドン・キホーテみたいに燃えちゃえばいいのに(暴言)

売国ウヨちゃねらーに告ぐ
 人のフリ見て、我がフリ直せ。
 どう見ても「KLACK=ちゃねらー」(藁)
 ちなみに、上の産経信者のリンク先の文章なんかを見ると、ウヨって、自分たちが「少数派の正しい人」だと信じているのね、と。明らかにマスゴミ&権力迎合なのに(禿藁)
 社会の歯車(あってもなくてもどうでもいい)は、油をさしてもらえないからキーキーうるさいんだね。


[#050102]

05/01/02

僕は、神山満月ちゃん!(新年のあいさつ)

アマ・アカ入手。
 アマ・アカは元々好きなアルバムで、シングルカットされたM.I.J.以外は全部好き。
 中でも「NO.OH」と「BLDG」あたりがお薦め。

さてと、新年に何を書こうかと考えたんだが、昨年の話題を少し。
 オープンコミュニティーの百科事典サイト、ニュースに進出

 私はこれをみて、純粋に「怖いな」と感じるわけです。怖いというのはこの点。

 プロジェクトの掲示板では、「あらゆるテーマのニュースを中立の視点から共同で報告し要点を明確にするための」取り組みだと説明している。

 これは、2ちゃんねるのクズウヨが、「俺は中道だ」とか言ってるのと変わらない。中立という欺瞞を本気で信じているのだろうか。

 使ったことのない人もいると思うので説明すると、Wikiのインターフェイスというのは、編集者として登録された人すべてに、記事の編集権が存在する。つまり、編集者であれば誰でも他の人の記事を修正、削除できるということ。自分が気に食わない考え方などあれば、それを修正、削除できるということだ。
 そうした中での「中立の視点」というのは、こういうことになる。

 「修正されずに残る文章を書くことが、ウィキを使う上での腕の見せどころだ」とウェールズ氏は語る。「文章が生き残るか否かは、広範な層に受け入れられる内容であるかどうかにかかっている」

 「広範な層に受け入れられる=マイノリティーの抑圧」である。大多数の凡庸な意見に、小数の意見が削除されるということだ。何が中立だクソが!!

 Webにおいての中立性とは、それぞれのWebスペースが誰かの所有物であるという「共有性」によって成り立っている。誰かが明確にそのサイトの持ち主であるからこそ、「他人の介入を受けない」という、自由な言論の場が生成されている。
 企業などが個人サイトに対して、その場の持ち主である個人にたいしてではなく、プロバイダーに対して苦情を入れることがあるが、上記の理由からこうした行為はネットの共有性を乱す行為であり、許容されない。
 しかし、このWikiは「公共性」をもったプロジェクトである。Wikiに投稿されたニュースは誰のものでもなくなる。自分の言論が保証されないとすれば、それはその場がただの「イデオロギー取りの場」としてしか機能しないことを意味する。Wikiは間違いなくフレーミングの嵐が吹き荒れる場と化す。
 フレーミングがされているうちは、まだいい。フレーミングが止んで、運営がうまく行きだしたと思った時、それは「イデオロギー取りが終わった」状態である。要は、少数意見が排除され、大人数による「場の論理」が明確に形成されている状態であり「中立性」などという話とはほど遠い。

 悪貨が良貨を駆逐するように、ネットの「公共性」は「共有性」を駆逐する。公共的なネットは、ユーザーの言論を保証しない。そしてユーザー自身が「言論を保証されることの重要性」に無頓着になる。
 ネット上の言論は、編集者やマジョリティーに介入されないからこそ自由なのであり、その意味を全てのネットユーザーは明確に把握すべきだと思う。


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