憂国日記
8月


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ご意見ご感想はメール、もしくは掲示板までよろしくお願いします。

著書、絶賛発売中:『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)

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[#040826]

04/08/26

元チェス王者を難民不認定 法務省
 共同通信の記事では、なにがなんだかわかりません。最低「フィッシャーと言う異物」あたりは押さえておきましょう。
 異物……実に的確な言葉だと思います。

安全安心以下略のあれで、リスク云々の抗議のなかで、美浜の原発事故の件をひいて、「周辺住民の立場になって、「安心」するためには、どのような情報提供、パフォーマンスが求められるか?」という設問が立っていた。
 なんか、この時点で内心笑ってしまった。だって、これって完全に行政側の論理でしかないんだもん。行政側の論理で「周辺住民の立場に立って」なんて笑うしかないでしょ。

 なにが行政側の論理かというと、アカウンタビリティってのは、原発を運用したい側が、市町村レベルの行政に対して行うパフォーマンスに過ぎないわけですよ。これこれこういう事情で原発を運用したく、安全対策としてはこれこれこういうことを行うという説明は行政間を中心に行われる事でしかないんです。後は反原発グループとかに対しての言い訳。
 じゃあ、住民の立場というなら何かというと、単純にジェニですよ、ジェニ。もちろんそんなに直接的な物ではなくて、市町村に対する多額の補助金であり、また原発関連施設ができることでの仕事の確保の2点が大きい。現に原発がそこにできた理由はこれなんだから。要は周辺住民の立場で言うなら、こんな事件が起こったんだから、もっと我々の利益を多く保証しろって事でしかありません。
 その前にリスク-ベネフィットの話もやったんだから、こういう発言もOKだと思ったんだが、なまじ「情報提供」なんて括りがあるんで、なんとなく躊躇して発言できませんでした。

 ただ、この事を考えたおかげで、「別に安全や安心が確保されなくても、それに見合った利益さえあればいい」という、理想的ではないけど非常にリアリティを持った考え方が自分の中で大きく現れた事に感謝したいと思います。



 ……これだけはどうしても言っておこう。
 今回の美浜の事故に限らず、原発事故で犠牲になるのは、そのほとんどが地元住民なワケです。ただし、「原発がある地区の人間」という意味でのあいまいな地元住民ではなく、「原発で働く人間」という意味での地元住民です。先にも書いた「仕事の確保」という意味での受益者です。
 そう考えたときに、今回のお題である「周辺住民の立場になって、「安心」するためには、どのような情報提供、パフォーマンスが求められるか?」という文章を眺めていると、これが酷く無神経な文章だと感じませんか?私は感じます。
 阿修羅に東京新聞の記事があがっていたのですが、これを見ると地元住民の生活基盤が大きく原発に偏っている様がよく伝わってきます。つまり、別に関電がどんな説明をしようが、パフォーマンスをしようが、地元住民の立場で考えれば原発に依存しつづけるしかないのです。正しく明確な説明だろうと、ウソとごまかしの説明だろうと、住民はそれを受け入れるしかないのです。
 こうした事故が起こると、マスコミの人間はこぞってアカウンタビリティを満たせと要求しますが、それが地元住民に対する助けになるんでしょうか。そうした姿勢は、結局は「アカウンタビリティさえ満たせばいい」と行政に逃げ道を与え、住民に対しては「説明だけで安心しろ(金の要求はするな!!)」という脅迫を行っているに過ぎないと感じます。

 リスクという側面だけで原発を見た際に、どうしてもリスクとベネフィットがトレードオフの関係であるかのように見えてしまいますが、実際にはリスクが高かろうと低かろうと、原発が生活の基盤である以上、住民は黙って、与えられる一定のベネフィット(この高低は行政と有識者(!!)との関係性による)を受け取るしかないわけです。
 原発事故をリスクコミュニケーションの視点で見るというのは、自らを有識者の位置に想定するということに他なりません。それに対して批判精神が働かないのでは、あまりに視座が高すぎると言わざるを得ないでしょう。


[#040824]

04/08/24

○テニプリ VS ●ナベツネ巨人軍

すっかりリンクするのを忘れていた。カート・ヴォネガット「I Love You, Madame Librarian」

そいえば、安心安全何ちゃらプロジェクトの課題を明日までに作らないと。
 あと、武田さんの方の水曜の課題もすっかり今の今まで忘れていた(〆切はとっくに過ぎてる)。
 小学生の夏休みの宿題のように、泣きながらやることにする。


[#040822]

04/08/22

巷では義務教育費どうのこうのが話題になっているようですが、私にとってはどうでもいいことです。本当の問題は義務教育と教育が混同され、さも6334の16年のみが正当な教育期間であり、階級選別の正当性だと思い込まれてしまっていることですので。
 スポーツで早期教育が効果的なのは、肉体のピークが20〜30歳という比較的早い時期に来てしまうために、どうしても子供のころから訓練を積む必要があるからですが、脳味噌のピークは早くはありませんし、また早期学習などの効果も世間でいうほど実証されていませんから、別にそれを義務教育プラス7年の範囲でやる必然性はありません。
 まぁ、結論としては、ゆとり教育をエリート教育にすげ替えようとする連中も、反ゆとり教育の連中も、単なる現行システムである、時間制限つきの学歴取得による階級選別という、リバタリアニズム的制度に対する無自覚な翼賛者であるということにかわりはありません。

撮影者の自覚の無さに呆れます。
 水子地蔵を拝む女性の写真ですが、文脈から見ても女性に対する許可を得ずに撮影されたモノであるらしく、当然非難の対象になっています。
 面白いのは、この写真掲示板の常連なのでしょうか、必死になって擁護していますが、その分だけ写真撮影者の被写体に対する思いやりのなさが浮き立つ形になっています。特に、この掲示板の管理者である土屋勝義の、管理者としての自覚のない常連擁護書き込みはあまりにも痛すぎです。被写体を人間としてなど考えていない事は明白です。
 また42の投稿者の書き込みも「当分の間シャッターを封印します」などという、チョンマゲ切って反省などと言いたれたどっかの議員のような同情をかおうとするだけの逃げを打っています。本当の解決は、この写真の削除を管理人に申し出るか、当の被写体の女性にアップする許可を得る以外に無いでしょうに。もっとも、許可を得ずに撮影した被写体の名前も連絡先も知っているハズは無いでしょうけど。


[#040819]

04/08/19

今は文章を書けなくなってる周期。

なんか、アディダスがコマネチのオリンピック演技を使って「一生懸命打ち込めば」云々言うCMを流しているけど、こういうことを分かって放送してるんですか?
 一生懸命打ち込んだって、才能のある無しは……

<小泉首相>「感動した」谷亮子、野村忠宏両選手に祝福電話
 千葉すずさんの言った「メダルキチガイ」の言葉はバカ首相には届いていないらしい。
 勝者のみを賞賛し、敗者を排除してまで人気回復を図るバカ首相必死だな。
 そいえば、バカ首相はつい先日「スポーツに政治を持ちこむな」云々言ってなかったっけ?痴呆かな?

さて、墜落した在日米軍のヘリが運んでいたものはなんじゃろか?

夢のシンプルライフ
 2、3週間前の週刊プレイボーイで、ダウンタウンの松本人志(以下 松本)が面白いことを言っていた。
 シンプルなのがいいという話で、いろいろ物を持つのが面倒だというので、お金は電子マネーで、音楽もTVも、なにからなにまで携帯電話に入ったら楽でいいという話だった。
 松本といえば、JフォンのCMで「話せりゃいいんですよ」とシンプルであることを売りとしたキャッチフレーズを呟いていたのだが、実際の松本は非常に多機能な携帯電話を欲しているらしく、その対比が非常に面白かった。

 さて、ここで重要なのは「シンプル」という定義が、松本の定義とJフォンの定義で全く真逆になっているということだ。
 松本の定義だと、携帯が多機能であればあるほど、持つモノが少なくて良い。これこそがシンプルとなる。
 Jフォンの定義だと、携帯に変な機能をつけず、電話という本分を明確にすることがシンプルとなる。
 すなわち、多機能である上での身体のシンプルさと、電話そのもののシンプルさ、それぞれが「シンプル」という言葉の上で対峙しているという構図である。

 そして私は松本のいうシンプルさというのが、まさに消費者が望むシンプルさだと思う。
 シンプルさというのは、極力モノを持たないということだ。それは逆に言えば数少ない持つモノに極限まで機能をつぎ込むということになる。
 特に出かける際の荷物にはその要求が大きい。私は今は夏休みだが、週に2日ほど、安心安全以下略プロジェクトに出かけているのだが、持物が資料や筆記具は当然として、暇つぶし用にゲームボーイアドバンスに携帯ラジオ、ポータブルCD、そして携帯電話などを持ち歩いている。いつも全部持ち歩くわけではないが、やはりそれなりの重量になる。
 もし、これらが携帯電話(その時にそれを携帯電話と呼べるのかは疑問であるが……)1つに収まったらどれだけ幸せかと思う。ついでに着替えのTシャツも携帯電話に入って欲しいものだ。
 しかし、このような純粋な欲求は、最初に企業の論理によって却下される。iPodを始めとしたMP3プレイヤーがあれだけ売れているのにも関らず、ほとんどの携帯電話がMP3に対応していないというのは、着メロや着うたを売りたい企業の都合だ。
 次に、携帯の形状によって却下される。携帯のカーソルキーはゲームをするのに全く向いていない。320*200という液晶サイズなら、横向きにして両端にカーソルとボタンをつければなんとかなるような気もするが……。
 最後に、携帯の電池が致命的である。機能が複雑になれば消費電力は自ずと増えるのだが、充電池の容量がそれに追いついていない。かつて、メールと電話しかできなかった頃の携帯(俺のはPHSだったけど)は、5日くらい充電しなくても平気だったが、今の携帯では2日がせいぜいである。普通に使えば毎日充電する必要がある。
 あと、電子マネー。最近はコカコーラの自販機やコンビニのAM/PMが「iモードFeliCa」の機能を使って電子マネー機能を実現している。
 ところで、インターネットなどでもWebmoney等の電子マネーサービスは何社かあるのだが、どこがやったとしても民間がやる以上は手数料が入ってくるので、現金と比べるとその価値が目減りしてしまう。じゃあ、国が電子マネーをやればいいのかもしれないが、それをやれば北朝鮮も真っ青の監視社会が完成する。

 そんなこんなで、夢のシンプルライフはまだ遠い。もっとも、そうなるのが本当にいいか悪いかは別問題だが……。


[#040812]

04/08/12

まさかのボーリングフォーコロンバイン地上波放送決定。
 木曜洋画劇場見てたら、いきなりCMでそう言われた。マジか!!
 詳しい日にちは今後のラインナップに出るハズ。

「村八分」行為と提訴
 年寄りのしょうもない思いつき行事に参加しなかったと暴行、村八分……

風邪はだいぶよくなりました。まだ治ってないけど。


[#040809]

04/08/09

風邪ひいた。

「6・3制」変更可能に 市町村の独自判断で
 足して9年の右と左をいじるだけの何が抜本的改革なのかは全く分かりません。
 そもそも教育の問題とは、決まった年数だけのチャンスで国民の社会的階層を決定してしまう選別に偏ってしまっている問題であって、あるのかないのか分からない学力低下の問題など、どうでもいいことです。つか、大人が先に勉強しろよ。
 結局、この改革案の最重要点は「教員免許の更新制」で、10年ごとに更新するらしいけど、これが何を現すかは明白ですね。
 都教委が再発防止研修 君が代不起立の教員らに
 奇しくも先日上記のような洗脳セミナーが行われたばかりですから。
 どうにせよ、思想信条の自由を持たない教員が思想信条の自由を教育することなどできるハズがありません。そんな教師、そしてそれを育てる国家は憲法違反の存在です。
第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

そいえば、10年ぐらい前のワールドカップ予選で、日本がイラクと引き分けてワールドカップ出場を逃したとき(ドーハの悲劇)、日本人がイラク大使館の国旗を引きずり下ろした事件はアンタッチャブル?


[#040808]

04/08/08

気がついたら誕生日過ぎてました。

本日の不思議。
 フクダさんの所より。<ブーイング問題>石原都知事「民度低いからしょうがない」
 この2ちゃんねらーといい、慎太郎といい、この人達はなんなんでしょう?鏡持ってないんでしょうか?自分の姿をもっとしっかり見た方がいいと思いますけど。

問、次の文章の「ああいう独裁政権」が示す部分を答えなさい。


「ああいう独裁政権というものは自分を維持するためには仮想の敵を作らなくてはいけない。それが日本ということになっている」


(答え 日本)


[#040803]

04/08/03

(キタノ)さんのところですごく面白い写真を見つけたので、表紙にしてみた。

ちょっと面白い文章を見つけた。「ゲームは「テレビやマンガと同じ」?」
 あまりに単純な部分で筆者のゲームに対する偏見を見せており、全体的に破綻している。

まず、テレビ・書籍・漫画・映画は、「情報が入ってくるだけ」のもの。

 本当にそうか?
 ネットサーフィンをしながらつけっぱなしになっているTVは間違いなく「情報が入ってくるだけ」であろう。しかし、普通に見ている場合のテレビ・書籍・漫画・映画は能動的に見るという行為をするものである。我々は見るテレビ,読む書籍、読む漫画、読む映画、これらを能動的に選択して見聞きし、その情報を反復したり、深く読み取ったりする。そうでなければ、本や映画に感動したり、感化されるなどということはあり得ない。
 つまり、テレビや本を読むとき、ゲームの部分に書かれている「判断をし行動を選択する」ということを、現実レベルで行っているのである。ならば、ゲームに関する行動選択どうのこうのという話は、ここにもあてはまってしまう。

 ゲーセン(アーケードゲーム)とかでオープンに対戦しているぶんには、まだ周囲の現実の人間からのリアクションがあるからいい。
  が、個室に閉じこもって一人でRPGやネットゲームに興じていた場合、これは「スキナー・ボックス」に近くないでしょうか。

 まずは前段。ゲーセンでオープンに対戦しているというのを、たとえば格闘ゲームだとすれば、対戦の多くは筐体をはさんで向かいの人と戦うこととなる。確かにこれに対して周囲の人間からのリアクションがあることもあるが、大半は対戦相手の顔も見ることなく終わる。さらに、最近増えてきたゲーセンでネットワーク対戦をするゲームなどは、ゲーセンにいたとしても対戦相手はネットの向こうであるから、周囲のリアクションなど望めない。
 そして、後段。要は「個室に閉じこもって一人でRPGやネットゲーム」ということを書きたいがために前段の存在がある。ここは単純な印象操作。じゃあ、友達と集まってRPGをやっている場合はどうなのか?なんて話は前段と同じなので省略する。

 正しいレバーを押せばピーナッツが出てくる。
 行動心理学でいうところの 「行動矯正」。

 いわゆる、動物の知能実験なんかでやってるアレですね。
 この辺には先の「個室に閉じこもって一人でRPGやネットゲーム」という部分がかかってくるのですが、決して「檻の中の動物」と「個室に閉じこもって云々」というのがイコールとは言えないでしょう。自分の部屋でひとりでゲームをしてたって、数は少なくともゲームの話ができる友人がいるかもしれませんしね。
 軟禁してゲームだけをさせているとか、ひきこもってゲームばかりをしているなんて場合は近いのかもしれませんが、それはもはやゲームだけの問題とはいえますまい。

  『刻命館』(よりによってプレイステーションゲームの殿堂入り)では「プレイヤーは悪魔の手先として善人をばしばし大量殺戮しないとゲームが進まない:誉めてもらえない」。
 もろ行動矯正状態。

 「刻命館」というソフトは、主人公が悪(いわゆるRPG的な悪)となって、館に罠を仕掛けて、主人公を倒そうとする正義の味方を殺すというゲーム。
 そもそも別にこのソフトを取り上げる理由がない。確か他のどこかで大きく叩かれていたような気がするので、それで取り上げたのかも知れない。「善人をばしばし大量殺戮」と言うが、普通のRPGだって正義の名の下に「悪人をばしばし大量殺戮」している。このソフトである理由は、やっぱり「悪人を殺す」と書くよりは「善人を殺す」と書いたほうがインパクトが高いからでしょう。
 ちなみに、本やマンガや映画では、もっと倒錯した世界観(しかも、ストーリー的に成功したり賞賛される)がいくらでもありますが、そういうのは放置ですか?

 バーチャルな訓練を受けた人間(ゲームプレイヤー)には、認知的不協和から逃れようとする防衛反応が、テレビ・書籍・漫画・映画などとは逆の方向、ゲームの世界観のほうに都合がいいように働きうる。

 「殺すと救われる」という直感を与えるゲームの世界観。
(以下略)

 以下略の部分などは、こじつけを通り越してギャグにしか聞こえないんですが……これはこの筆者の「認知的不協和から逃れようとする防衛反応」なのでしょうか?
 「殺すと救われる」という直感を与えるゲームの世界観。とはいいますけど、これは昔ながらの時代劇でもそうですよね。「悪人に困っている町人いて、話を聞いた正義の味方が悪人を退治して町に平和が戻る」。退治とはいいますが、これは確実に「悪人を殺す」事です。TV時代劇では峰打ちになっていますが、日本刀を振りまわしているのですから、そこには依然として相手を殺すイメージが存在しています。間違っても、町民の悩みを聞いて悪代官の意見も聞いて両者の調整をする正義の主人公なんて話はありません。そんな時代劇を見たいという人もいないでしょう。
 絵本の桃太郎だって、鬼を退治して宝物を略奪しています。第2次世界大戦の時の日本人は人(シナや毛唐)を殺すことによって賞賛されました。相手をテロリスト呼ばわりして、イラク全土に放射線物質を含んだ爆弾をバラ撒いたアメリカは自身を賞賛していますし、日本政府も一緒に喜んでいます。で、ゲームが何か?

 このへんで反論は出尽くしたので、以下の部分は無視。
 いくら科学的な用語を振りまわしたところで、そもそも「ゲームとその他メディアは違う」などと言っている時点で論理は破綻しており、それ以降は完全に当てつけ。
 もちろん、メディアが何からの影響も与えないなんてことはないけど、あるメディアだけが他以上に特別に影響を与えすぎるってことも考えにくい話です。我々がさまざまなメディアに接すれば接するほど、その影響は等価になっていくと考えるほうが自然です。ゲームだけもヤバいですが、本だけ、マンガだけもかなりヤバいでしょう。
 この人、なんでこんなにゲームを攻撃しているのかと思ったら、図書館の司書さんなんですねぇ。要はゲーム脳なんて話を聞いて、さらにゲームも本も同じだなんて話を聞いて、なるべく自分の愛する本から遠ざけたいと思ってこんなことを書いたんでしょうかと勘繰ってしまいます。
 まぁ、どうにしてもこの文章が示すものは「ゲームという悪を設定して、それを退治して救われるという世界観」でしかありません。


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