憂国日記
10月


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著書、絶賛発売中:『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)

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[#031027]
03/10/27

家族と子供の人権

「日本ブレイク工業」を16日の夕方くらいに検索したら、普通に工業系のサイトばっかり引っかかっていたのが、今朝検索して見たら、いきなり個人サイトばかりが引っかかるようになってた。

通販生活の冬号に興味深いアンケート結果が載っている。
 通販生活読者に体罰についてのアンケートをとったところ、6割強の読者が体罰を容認しているのだ。
 ちなみに、補足で説明しておくと、通販生活は比較的左がかったイデオロギー性が認められる雑誌なので、読者も当然そっち方面が多い。そういう雑誌ですら体罰容認が多数を占めてしまうという現実。これはすなわち日本人に人権概念というものが一切根づいていないことの証拠である。
 そもそも、通販生活の問い方自体がマヌケなのだ「通販生活読者=親」に「体罰=行為を容認するか」などという非常にとんちんかんな質問をしている。

 本当ならこうだ。
「体罰を容認するのは誰なのか?」といえば、本当は親ではなく子供自身が容認をするのである。
「容認することとは何か?」といえば、体罰という行為ではなく、体罰をされてもいいのか悪いのかという関係性の文脈である。

 そもそも「親が体罰を容認する」などというのは「子供は親の所有物である」という幻想にとらわれていることを意味する。だって、打つのは教師で、打たれるのは子供なのだから、どう考えたって、そこに親など関係ないはずである。
 ところがなぜかここで親が登場してしまう。なぜなら人権概念を欠いた日本の親というキチガイは、親が子供を包有すると考えているのだ。
 自分はそうは思わないのだが、どうも日本の文脈では「親と子」というのは「人対人」ではないらしい。「家族」というのは人の集まりではなく、何か別物なのである。
 元来、農耕社会というのは「社会の中に共同体があり、共同体の中に家族があり、個人がある」という構造をしていた。ここで注目すべきは「共同体の中に家族があり、その中に個人がある」のではなく、共同体の中に家族と個人が混在している点だ。実際に時代が古くなればなるほど家族という概念は適用されない場合が多い。なぜなら共同体が拡大家族そのものであったからだ。ここで掴んでおくべきは、現在の父と母と子供という(核)家族概念は意外と新しいものであるという点である。
 では、現代社会の構造はどうなっているかというと、共同体はほとんど形骸化し「社会の中に家族があり、その中に個人がいる」という形になっている。そのなかで家族概念が肥大し、かつての共同体概念を包有したものになっている。
 これで「子供の体罰問題に親が平気でしゃしゃり出る」理由が分かるだろう。すなわち、かつての村概念と同様に、村のものが他の村のものに攻撃されれば、それは個々の問題ではなく村の問題であるのと同様に、家族のものが他の家族に攻撃されれば、それが家族の問題になるということである。
 しかし、共同体の場合はそれなりの人数がいて、同列の権力を持ったものも多いために、それなりに民主的な問題解決が謀られるが、家族関係の場合は親と子の権力の差が激しく、大抵は親が子供の事のすべてを短絡的に決めてしまう。かつての共同体社会(拡大家族社会)では、親もいるが、年寄りや他の大人や年の近い目上の兄貴分がいて、それらが親子間の調整をすることもできたが、現代の子供は親の権力の前に屈するしかない。そういう権力構造こそが「親が「子供と教師」の体罰の是非を決めてしまう問題」の根幹のである。

 体罰の問題とは子供と教師間の関係性の問題である。
 子供自身が教師の人格を認め、殴られる事に同意するなら、その体罰は問題ないし、子供が教師の人格を認められず、殴られたことに抵抗を感じるならば、その体罰は問題である。
 本当なら、たったこれだけの話なのだ。

 結局のところ、日本の親という人種が人権概念を一切理解していないから、子供に人格があると認めることができずに、さも自分が子供を支配しているかのように恥ずかしげもなく振る舞うことができる。これも日本の重大な病理の1つであろう。


[#031023]
03/10/23

現状を分かってないんだな

<政策投資銀融資>中小向けなのに9割が大企業に 検査院調査
 上記リンクの中身が少ないので、NHKニュースで放送された内容を補足しておくと、貸しつけ件数は中小企業の方が多いものの、融資金額(1兆6000憶)は中小が2割で大企業が8割。ただし、2割のうちの半分は大企業の子会社なので、実質、中小企業には1割しか渡っていない。
 この件について日本政策融資銀行は「大企業への投資の波及効果があるので問題ない」とコメントしたとのこと。

 あのさぁ。日本政策融資銀行の人間が経済学の授業で何を習ったのかは知らないけど、波及効果じゃ間に合わない中小企業がたくさんあるんだわ。別に波及効果っていうなら、その効果は大企業→中小企業に限らず、中小企業→大企業って形の波及だってあるんだからさ。
 結局のところ大企業に金が真っ先に潤沢な金が行って、苦しい中小企業は見殺しって事でしょ。
 キタノさんの所に掲載されているBSI指標が示すように中小企業はずーっと不況であって、とっくに瀕死の状態なのに……いや、だからこそ「見殺し」なのか……

道路公団藤井総裁自爆テロキターーーーーー
 いいぞ!もっとやれ!!石原のボンを潰してしまえ!!!

「神がブッシュ任命」 米中将発言に猛反発
 怒れ!キリスト教徒!!
 これは神への冒涜だ!!
 まさか神がブッシュJr.などという不良品を任命するはずがない。

<公明党>アニメでテレビCM 無党派層狙う
 創価学会との繋がりもよく知ってもらわないとなぁ。


[#031022]
03/10/22

悪者が存在するのではなく

高崎映画祭(オータムレイト)で、念願の「ボーリング・フォー・コロンバイン」と「チョムスキー9・11」
 とりあえずチョムスキー9・11にキヨシローの曲を乗っけたヤツは職員室に来なさい。

 ボーリングは、前回高崎映画祭で見た「A」や「A2」なんかの森達也氏の作品の手法、つまりあくまでも撮影者本人が客観的な存在として現実を映し出すような純ドキュメンタリーではなく、マイケル・ムーアの主張を全面的に押し出した、どちらかと言えばプロパガンダ映画と称すべきもの。
 ただし、単なる喧伝ではなく、ちゃんと論理的に構成し、最終的に「ラスボス」である全米ライフル協会会長チャールトン・ヘストンのマヌケっぷりを視聴者が納得できる形で提示できている点が極めて優秀。
 作品のテンポもよく、ドキュメンタリーにありがちな退屈さがない。かといって、伝えるべき内容が薄く、手法に偏っているというワケでもない。
 今さら書く必要もないが、この映画でマイケル・ムーアが訴えることは多分「(武器に頼る)白人は臆病者のチキンだ」ということの一点である。
 臆病者であるから、必要以上に他者に脅威を感じ、その過剰な脅威に抵抗するために過剰な武装をする。その結果が年間1万人を越える銃での死亡者数だったり、アメリカのテロ翼賛国家的体質なのである。
 私は日本人なので、この映画を日本にあてはめると、実にピッタリあてはまることに愕然とする。
 アメリカ白人のイメージする犯罪者が「黒人男性」なら、日本人の考える犯罪者は「中国系男性」や「中東系男性」であり、決して日本人男性や白人男性ではない。
 ニュースでは各マスコミが競うように殺人などの凶悪事件をスクープし、さも日本は恐ろしく、いつ殺されてもおかしくない場所であるかの様に喧伝する。日本ではどうやら自動車事故よりも、北朝鮮に拉致監禁される可能性の方が高いようである。
 映画の中で何度か、国旗のビキニを着た女性がライフルをぶっぱなすという銃器の宣伝を見て「これはさすがにアメリカだけだろう。日本じゃこんな宣伝はビールくらいなもんだ」と思ったら、帰りがけに見た自衛隊員募集のポスターがモーニング娘。だった等々、日本はすっかり「頭がアメリカ」である。
 さて、じゃあ、この日本やアメリカのチキン体質をどうするべきかというと。これはもう地道に「そんなに危なくないよ」と言っていくしかないんだよねぇ。

 変わって、チョムスキーの方。
 彼の言説はいたって単純だ。
「別段、9.11は珍しいことではない。世界各国でさまざまなテロが行われている。唯一の相違点は、9.11では普段テロを仕掛けている帝国主義国家側が被害にあったことだ」という1点である。
 アメリカの犯罪性の要因として「自分たちがやっていることを知らない(知ろうとしない)」という点があげられる。もちろん日本も同じである。
 それは結局「リアリティ」がないからで、たとえ世界の各地で戦争が起っていようとも、自分の身の回りを見るかぎり安全なので、さも「世界に戦争など起きていない」かのように感じてしまうイメージの貧困さを表している。

 コロンバインにしても、チョムスキーにしても、悪とは「事実を見ようとしない」悪癖であって、決して銃が悪い、イスラムが悪い、北朝鮮が悪いなんて悪者の存在ではないと言っているんだよね。チョムスキーはマスコミですら悪ではない(正しくは権力と結びついてはいない)と言ってるくらいだし。
 どちらも自分が今までに分かっている事以上の事はそれほど提示されてはいなかったんだけど、それでもこうした言説を見ていないと、いつ自分が被害妄想のクソチキン野郎になってしまうのかわからないので、これからも頑張って事実を見る目を養って行こうと改めて考えた。

ついでに。
 日本映画専門チャンネルで「A」が放送中、「A2」が11/20から放送されます。(フジテレビが筆頭株主なのに、よくできたなぁ)
 スカパーのPPVで11/21より「ボーリング・フォー・コロンバイン」が放送されます。
 詳しい日時は各リンク先で確認してください。


[#031016]
03/10/16

拉致被害者帰国から1年

レコードファン感謝祭2003『新品CD大ディスカウントフェア』廃盤特別謝恩セール
 10/21からユーザー登録開始。要チェック。

あー、なんか13日は昼ごろに雨が降ったらしく、またいろんな日記で「10月10日は晴れの特異日で云々」書く連中が沸いて出たかと思うと鬱。

そいえば、タマちゃんって今どうしてるんだろ?

拉致被害者帰国から1年。
 結局のところ、この1年で事態はまったく進展していない。
 為政者は北朝鮮への憎悪を煽りたてるだけで、他の拉致被害者の生死も、今後の見通しも、また帰ってきた5人の拉致被害者とその他の拉致被害者の「違い」も明らかになっていない。
 唯一、拉致問題を進展させた功労者である田中均は、どこぞの馬の骨に「万死に値する」などと言われる始末。
 結局のところ、現政府には北朝鮮への憎悪をアメリカ様の機嫌取りやウヨ厨からの集票に利用しようという人間はいても、実際に拉致された人たちを心配している人間はいないし、家族会だって蓮池兄のような権力志向の強い人間というか、彼にとってこの件は拉致被害者を種銭にしたギャンブルでしかないのだが、結局「北朝鮮許すまじ」という安直なプロパガンダしか持ち得ていない。
 一度、2chで(もちろんこっちも匿名で)「結局なんにも進展していない」「食糧援助と引き換えに拉致被害者やその肉親を日本に連れ戻すべき」ということを書いたことがあるのだが(実況スレなのでログは残っていない)、その時の反応はあまりに幼稚なもので「悪い事をした国になぜ援助をしなければならないのか」「食料と引き換えにすれば、これに味を占めて、また拉致をするだろう」などという、とても現在の国際状況を把握しているとは思いがたい直情的な反応であった。
 かつての社会全体が貧しく、北朝鮮のような国でも他国と同等に立ち回れた時代と違い、現在は社会全体が富み、北朝鮮との差はいちぢるしく大きくなり、もはや北朝鮮に「自立した国」として立ち回るだけの力はない。拉致という違法なやり口は、あくまでも「自立した国」として立ち回ろうとした際の力ワザとしての意味はあるものの、現在のように「援助を乞わなければやっていけない」状況においては、単純に社会的孤立を高めるだけであり、いくら独裁者とはいえ、もはや同じ手段が使えないことは明白である。
 逆に今後も拉致をやるんだったら、5人の被害者を返還する時に「中国で行方不明の方々が発見されましたシャンシャン」で良かったんであり、何もわざわざ金正日がでてきて拉致を認める必要などなかったのである。
 そもそも、北朝鮮が拉致を認めた背景には「日本との融和への期待」があったはずで、最初を思い出してもらえれば明確なのだが、もともと北朝鮮が拉致を認めたことはあくまでも「日朝国交正常化」のライン上の話であり、決して拉致問題単独問題としての考慮はされてなかったのである。
 逆に言えば、国交正常化のラインにそって話を進めていれば、ジェンキンスさんはアメリカとの関係があるにしろ、少なくともヘギョンちゃんはとっくに日本にいるだろうし、その他の拉致被害者についても日本に何人か戻ってきていてもおかしくはなかったのである。
 結局のところ、最初の5人が戻ってきた際に、約束を破って一度帰さなかったことが(「帰せば殺される」などと言う人間がいるが、一度日本に現物を使って「生存」を確認させた人間を殺してしまうなどという無意味なことはありえない)、今だに拉致被害者を北朝鮮にとどめる原因になっているわけで、いい加減政府は対北朝鮮外交の失敗を認めるべきである。

 結局のところ、日本全体が「被害恋慕症」とでもいうべき「被害者になりたい願望」に被われてしまっており、北朝鮮の件は「1億3000万総被害者」という妄想を生み出すのにぴったりであったということだろう。
 妄想にとらわれた日本人には、現実の拉致被害者など、どうでもいいのである。


[#031010]
03/10/10

ゲームシステムの古さについて

判決「TV局に逆らうな」

<ゆとり教育>見直しを答申 指導要領は「最低基準」 中教審
 だーかーらー、とっとと義務教育を単位制にしろっての。年齢で輪切りにするから、こういうワケの分からん話になるんだよ。
 また、それと学歴社会への批判は別問題。学歴社会の問題というのは、ある年齢での学歴を絶対とするために労働市場が失敗しているという問題。
 結局、学歴も職業も流動化させればすべて解決するの。とっととやれ。

ビートさんへ。
 日本も十分バカだよ。
 都知事がスーパースターの兄って……

<いじめ教諭>被害男児の両親が福岡市と教諭を提訴
 宅間のような目立つ事件に煽られて「校門を閉めろ」などと言う連中がいますが、外から来た不審者より、内部の人間に傷つけられる子供の方がはるかに多いというのが現実です。

スパムフィルター機能に期待してEudora6導入したけど、いい感じ。

PS2版、天外魔境IIを買ってきました。
 しかし、オリジナルが1992年ですか。もう11年も前なんですねぇ。
 プレイした当初の印象としては「やっぱり古いなぁ」というもの。今、中盤の最後の方まで来てだいぶ慣れたのでそうは思わないけど、基本的にムービーがストーリーの「結」の部分に来る、ごほうび的扱い(最近のだと起承転結、どこでもムービーをはさんでくる)で、逆に「起」の部分にはほとんど使われていなかったりする部分がまず古いなと。まぁ、これはCD-ROMという大容量をRPGどのように生かすかというフォーマットがまだ定まっていなかったという部分なんですが、この分だけキャラクターが、プレイする前の印象(特にカブキが顕著)と違って意外におとなしいという印象を受けます。特に、当時のRPGの基本である「主人公はしゃべらない」の法則に従って、卍丸なんか最初に暗黒ランを切ったときの「我が生涯に一片の悔いなし!!」(嘘です。本当のセリフは「我が道に敵なし!!」)くらいしか台詞ないし。
 あとは、ゲームシステムそのもの。全体的なフォーマットとしてのゲーム展開が「街に行って情報を得る」→「洞窟に行ってアイテムを見つける」→「目的を達成する」という一本調子なのが古臭い。とはいえ、今だって同じようなシステムではあるのだが、天外の頃よりこれ見よがしにならない工夫はしてある。
 戦闘のシステムや装備関連は今でも似たような物か。ダメージの数値表記は古いと言えば古いが、今でも一番使われるシステムだし。一応違いと言えば、合体魔法やコンボの類が見当たらないくらい。エフェクトに関してはPS2版とPCE版じゃ違うだろうから、なんとも言えない。まぁ、PS2でもシンプルなので俺はこっちが好み。つか、戦闘中はほとんどL1押しっぱなし(エフェクトなどがすべてスキップできる)だけどさ。

 結局の所、当時自分が感じていた天外魔境IIに対するイメージと重ねあわせてみると、やっぱり隔世の感があるというのが正直なインプレ。この「昔の時点で、そのゲームに抱いていたイメージと現在プレイした現実の相違」というテーマこそが、実は自分が「スナッチャー」をプレイして一番感じたことであるんだが……これについてはおいおい書いてみようと思う。

 そうそう、ちなみにオリジナルの天外IIの発売日が92/3/26。この同時期のファミコンがこんな感じ(FC→SFC移行期終盤)で、スーパーファミコンがこんなの
 スーファミで1月に「ロマンシング サ・ガ」が出ていて、9月に「ドラゴンクエストV」、そして12月に「ファイナルファンタジーV」が出ていることを考えると、実は当時としても全体的なフォーマットは、許容範囲ではあるものの古かったのではないかという気もするなぁ。ただ、アニメーションと声優がしゃべるのが目新しかっただけで……


[#031003]
03/10/03

「人体の不思議展」は凄かったな

掲示板を復活させたりしてみたわけだが、一体何人の人が気づいているのか……。
 かくいう自分も忘れてたワケですが。

1日に、久しぶりに東京のほうに行ってみた。
 上野駅の公園口改札を降りると、なぜか平日とは思えない大量の人とおガキ様が。えーと……ああ、そうだ10月1日は都民の日だ。上野動物園がタダで入れるので、後で寄ってみる事にする。
 とりあえず先に目当ての国立科学博物館「THE 地震展」へ。
 内容はまぁまぁかな。シミュレーターの映像なんかを「どれだけのデータが入ってるんだろ?」なんて考えながら見てたら面白かったし。ただ、おガキ様が大量にいたけど、連中にとっては面白くはないだろうな。邪魔だから素直に動物園行ってろよ。
 上野動物園も寄ってみたが、さすがに無料なだけあって大量の人が。ざっと園内を一周だけする。
 そいえば、毒を持った両生類の展示のところで、おガキ様が水をバシャバシャやって遊んでた……。
 秋葉原でDVD-Rを買う。買ったのは安全性を重視してマクセルだけど、家電量販店での流通価格と10枚組で1,000円くらい違うな。とはいえ、まだ高い印象。安いだけなら外国産を買えばいいけど、今回は放送大学の保存だから信頼性のあるものを買っておかないと……つか、HDD+DVDレコーダでのDVDの用途は明らかに保存だから、現時点の外国産の品質じゃ買えないよなぁ。
 有楽町へ移動して「人体の不思議展」
 正直なところ、この手の展示って、目玉が1つだけあって、他はどうでもいいような物ばかりというものが多く、大して期待していなかったのだが、実際見たら凄かった。実に凄いものを見せてもらった。
 凄い人体の精密さと、なんか細い神経や筋肉で繋がってるんだなぁなんて考えながら、何十体ものレプリカではないホンモノの人体標本を見ていると、実に逃げ場ナシ。なんか真面目に「体を大切にしないと」と感じてしまう。
 人体の輪切りなんか、CTスキャンなんかでそれなりに知っていても、やはり本物の肉体は説得力が違う。グロイとかそういうんではなく、なんかただ凄いという感想。
 入場料1,500は安いくらいなので、見てない人は一度見といた方がいい。

 と、こんなところ。


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