各日付ごとにnameアトリビュートを設定しています(日付の上部に薄い灰色で表記)。リンク等にご利用ください。
・ファミリー劇場で「格闘王」を見る。
うわぁ、ケインが今となんにも変わってねぇ。いや、もちろん外見は変化しているけど、日本語のたどたどしさや朴訥さが今とまったく同じ。作品自体の荒唐無稽さも良かった。
・さて、100人の村である。
ちなみに俺がこの話を初めて知ったのは福井さんの日記の中であって、それ以外にこの話を聞いたことなんかない。つーか、この話は流行ってるの?
初めてこれを聞いた時の感想は「なんか腐ったニューエイジ的思考みたいだな」というもの。
もちろん、世界を鑑みるにこうしたマクロ的視点も重要なんですよ。確かにこの話は「世界にはさまざまな人がいる」という事を知るのには極めて分かりやすい話です。この点に関しては同意します。
しかし、
このメールの特徴は、あまりに開き過ぎた経済格差について、富む側の人間に向けて語りかけている点です。しかも、「富む側の人間も幸福だとは限らない。むなしさを抱えて生きている」という前提に立っている。
という主張は違うんじゃないのかと感じるわけです。いや、100人の村自体への論評が違うのではなくて、こういう主観を持つこと自体が。
経済的に豊かな国と、貧しい国。この2者のうち、どっちが幸せなのか。上記の引用だと「これは分からない」というのが答えになります。しかし私はこれは「経済的に豊かな国の傲慢さの現れなのではないか」と見ます。俺の答えは「経済的に豊かな国のほうが全体的に幸せになれる可能性は高い」です。なぜなら、経済的に豊かな国は物質、精神ともに「手に入れようと思えば手に入る」可能性が高いですが、貧しい国ではあるもので我慢しなければなりません。つまり、前者においては自分が物質にまみれて汚らわしいと思えば、それこそアレフ(別にどこの宗教でもエコロジー団体でもいいけど)に入信して精神的充足を得ることもできますし、汚らわしい自分を肯定してしまうこともできます。つまり、選択権があります。
しかし、国が貧しければこうした選択権はありえなかったり許されなかったりするわけです。それは経済的に貧しければ、人が一人として自立することはありえず「ある共同体」のなかで自立を認められるしかないわけで、つまりは村社会の中で生きるしかなくなります。
村社会の悪徳は明らかです。それは「共同体で利益を得る人は一生得るが、得ない人は一生得ない」という、選択できないことによる悪徳です。
そう考えれば「我々だってむなしいんだ」などと言うことが現実に貧しい人間のことを省みない、豊かな国の人間の自己満足でしかないことがわかっていただけると思います。
あと、100人の村という話を好きな人ってのは「なんとなくの選民思考」を持ってるのだと感じます。
つまり、このまるで世界を俯瞰しているかのような「神の目」的な雰囲気が好きなのでしょう。
けれども、この世に「100人の村」は存在しません。
あるのはこの伏魔殿たる地球だけです。
我々はこの地球を一生かかっても「理解」などすることはできません。
ただ、理解しようと思うことは無駄ではないし、重要なことです。でもそれが個人的な感覚を離れてしまえば、単なる逃避と同じことです。
100人の村は存在しません。この話を有効に生かしたいなら、このことを肝に銘じるべきでしょう。
・またマジカルステージ発動までのバンクの時間が延びます。
つか、ここまできたら、モ娘。の13人を超えてほしい。まぁ、当面の目標はセーラームーンの9人(ちびうさ入れれば10人)だな。
・Tomak-save the earth-は、↓の彼女と愛を育む素敵なゲームです♪
校門の柱の上にでも置こうか……。
・そいえばずいぶん前にDOCTYPE宣言を「HTML4.01 Strict」にしてから、ろくに構文チェックをしていなかった(iCabのスマイルマークでしか確認していなかった)ので、Another HTML-lintを使って確認。
そしたら一部bodyタグ下に直接インラインエレメントを入れていたのと、BLOCKQUOTEタグ下に直接テキストを書き込んでいたので、それを訂正。それと今月分からLINKエレメントのPREVとNEXTを指定しました。NEXTの方は当然File Not Foundになるんだけど、この辺は目をつぶってください。ファイルの更新をこれ以上面倒にしたくないんです。
・ところで、例のクソヴァカ裁判の件ですが、2002年1月号のサイゾーにそのものではないものの、気になる話が掲載されています。
サイゾー(2002年1月号 P16)、「「噂の真相」副編集長が選ぶ 週刊誌・オブ・ジ・イヤー」より。(引用の形式は多少改変してあります)
川端:もちろん、スキャンダルを暴く週刊誌にとって、名誉毀損裁判はつきものだからね。でも、いままでは裁判に負けたことで支払わなきゃいてない賠償金額が1件につきせいぜい100万円前後。出版社にとってそんなに大きなダメージはなかったし、編集部によっては逆に「訴えられるのは勲章」と開き直っているところもあったくらいなんだ。それが、自主トレ先で清原がストリップ通いしていたとか、黒川紀章がデザインした橋に地元住民からブーイングが起っている(笑)とか書いただけで、10倍の1,000万円なんだよ」
聞き手:そりゃ真っ青ですね。
川端:各誌とも10件くらいは裁判を抱えているから、全部負ければ1億円。『噂の真相』や『サイゾー』だったら、会社そのものがなくなっちゃうかもよ(笑)
聞き手:こわっ。でもなんで突然高騰しちゃったんでしょう?
川端:東京地裁の民事部が去年、名誉毀損裁判の賠償額を意図的に吊り上げることを決めたんだよ。背後には、永田町からの圧力があったみたいだけどね
聞き手:つまり、個人情報保護法をはじめとするメディア規制の一環だ、と。
川端:そういうこと。しかも実際に、この賠償金額高踏はすごい規制効果があったんだ。これまでは裁判で負けたことなんて大して問題にしてなかった出版社のオエライさんたちが『会社の存続にかかわる』と裁判沙汰にすごくうるさくなった。となると、『勲章だ』と嘯いていた編集者も所詮サラリーマンだから、『裁判になると出世に響くぅ〜』と尻込みを始めるという構図。実際、週刊誌の現場では、自粛ムードが吹き荒れているもんね。企画会議でネタを出すと、どこの編集長もふた言目には『それ、訴えられたりしないだろうな』。で、訴えられる可能性がちょっとでもあると、記事にできなくなっちゃう。
つーことです。
もちろんバカ夫婦が訴えを起こしたのはずいぶん前の話ですので、その時にはまだこうした高騰はありませんでした。しかし、こうした言論者への政治的威圧という状況すらも、自らの被害妄想解消ために利用する姿勢は、言論者として最低であることは言うまでもありません。
(ちょっとこの話題、しつこかったか?)
・例のクソヴァカ裁判について。
要するに、この裁判によって「ある程度の公人であっても、自分の「名誉」を人質に、他人の評価を差し止める権利がある」ということになったということです。文章に文章で対抗する必要性なんか全くないってことです。
同様の事件としては「柳美里」の事件がありますが、これとの最大の違いは柳美里の件は一般の生活者(媒体を持っていない)のプライバシーを暴いてしまった一方、山形のそれはあくまでも「ある文筆家に対する評価」である点です。この2者が同じ「名誉毀損」という1点で裁かれてしまう点に、我々表現者(何かを表現する人すべて)はもっと危惧を抱くべきです。
まぁ、言論弾圧夫婦の頭の中では「これで名前が取り戻せた」
というフェミニズムの勝利(あと、330万儲けた)程度の意味合いしか持ってないんでしょうね。豆腐のカドに頭ぶつけて○ね。
ちなみに2期もインパク編集長を務めた素敵なランディさんのお言葉。
655 名前:吾輩は名無しである メール: 投稿日:01/12/26 02:58
げらげらげらげら。
山形センセイ賠償金。しょせん三流評論家。
三憶流売文家の(いまさら)本性が露に。名無しさんでもすぐバレる。
・現在、emacsの練習中。しかしどうもviの癖が出るな。
・ヴァカ裁判にヴァカな判決が。
ちなみにこの朝日の記事も全然嘘じゃん。
・どうでもいい程度に注目しているフジの新ドラマ「ロングラブレター(だっけ?)漂流教室」ですが、めざましテレビみてたら、OP曲がヤマタツらしいですよ。何それ?何がなんだか全然分かんねぇ。
でも、オープニングでヤマタツの顔がCGかなんかで、うにょーんとかぐにゃーんとかなるような、ホラーなOPだったら許す。
・ねぇねぇ、奥さん。見ました?週刊ポストの「クレヨン慎太郎&田原」対談。
前半の反米はいいとしても、後半は、日本は技術があるだとか、何か建てれば景気も良くなるだとか、揚げ句の果てには霊感がある人が同時期に3人も人類はあと2、30年と言った。だの、……あの、この人はどこのボケた小学生ですか?
だいたいな、技術立国なんてきょうび流行ねーんだよ、ボケが。
つか、慎ちゃんはその「日本の技術」ってヤツがどこで活かされているかご存じ?外国ですよ。そういう技術を持ってるような中小企業は日本企業なんか相手にしないで、ヨーロッパだとか米英だとかにそれを提供してるんですよ。だって、そっちの方が高く買ってくれるんだから、そりゃそっちに売るでしょ。
あと、そういった企業の技術を「日本の技術」などという頭の悪さが慎ちゃんだね。その技術はあくまでも「その企業の技術」に決まってるだろうが。日本だの外国だのこだわってるから、いつまでたってもアマちゃんなんだよ。反米もいいけど、少しはアメ公の貪欲さを見習いなさいって。
この国の事を本当に考えてるならば、それが当たり前なんです。それにしてもいちいち「正当防衛による射撃」というのはみっともないからよさないか。暴走族相手のお巡りじゃないんだから。「本日22時13分日本国海上保安庁ハ東支那海ニ於イテ北朝鮮モシクハ中共ト思ハレル工作船ヲ撃沈セリ」。わははは。本音書けばこうだろうが。何が沈没何が不審船か。この中途半端さも含めて今回の政府の対応は零点である。何よりも船を沈めてしまい恐らく乗組員の逮捕に失敗した点だ。20ミリ機銃で沈没させると言うのはよほど怖くて撃ちまくった以外は自沈の可能性もある。もちろん工作員たちも自決。その前に証拠の確保をしての海上保安庁だろうが。「反撃の恐れがあるので救助が遅れている」との一報があったがこれが今の日本国の病根そのもの。撃たれろよ。しかし敵を救えよ。東郷平八郎元帥がなぜ世界中から今なお愛されているかは国際法に基づき撃沈した敵の救助に部下の命をかけさせたからである。そのためにどれほどの帝国海軍将兵が命を失ったか。しかしこの国は義の国としての名誉を国際社会に確立したのである。今回の東支那海海戦の最大の問題点はテロ三国人の策動よりもこの国のかかる怯懦が露呈されたことにこそあると思う。これじゃ戦争できないよ。
公に発言を許された優等生的な良識や倫理(とバラされ続ける“大人のウソ”)にネガティブに反抗する一大勢力だって?(藁))」をする2ちゃんねらーや酒に頼ったり頼らなかったりして「自分の内部」だけを守ろうと、もしくは拡大ばかりさせようとする連中は非常に寂しい。ということです。