11月(下旬)の日記


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(「f」は上旬「l」は下旬です)

ご意見ご感想はメール、もしくは掲示板までよろしくお願いします。

著書、絶賛発売中:『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)

00/11/29(追記分)

基本と拡張


 俺は普段Macを利用しているわけですが、仕事やらなんやらでWinやUNIXも触ったことがあって、実際どのOS環境にも興味があるのですが、そうした感覚でコンピュータを見ている身として、どうしても理解できないことが一つ。
 Macに関する悪口は昔っから多数あって、代表的なものとしては「高い」(昔は確かに高かったが、それはGUI環境を動かすためには仕方がなかった)「メモリを喰う」(GUI環境であることも原因のだが、当時のMacの用途が主にCGなどのマシンを酷使する仕事であったために、仮想メモリを使わない環境が基本であったのがいちばんの要因。今は仮想メモリ使用がデフォルト)「遅い」(どうしたってGUIはCUIの軽やかさには勝てない)などがある。ちなみに現在はAT機もWin環境(GUI環境)のため、ハード的なコストは自作でもないかぎりどちらもほとんど変わらないと考えていい。

 さて、ここで取り上げたいのが「マウス」である。
 Macは1ボタン。Winが2ボタン。UNIXが3ボタン(システムデフォルトで5ボタンまでサポート)。
 このうちでデファクトスタンダードなのはどれ?
 まぁ、2ボタンが「デファクトスタンダード」だとは言われてるけどね。
 ところが、この「デファクトスタンダード」は「スタンダード」ではない。
 Winの環境は「デファクトスタンダード」ということですが、それは「たまたま使っている人が多い」以外の何物でもなく、別にMacを使おうが、UNIXを使おうが、それは利用者の自由であることが前提だからこそ「スタンダード」ではなく「デファクトスタンダード」と言われるわけ。
 ところがこの辺を勘違いしてるんだと思うんだけど、Macに対する悪口として「なんでマウスのボタンが1つなんだ」というものがある。「指一本動かすのがそんなに面倒か」と。
 でも、Macのマウスは1ボタンじゃないですよ。サードパーティの2ボタン以上のマウスを使ってる人だって多いですよ。たまたまAPPLEが本体と一緒に売るマウスが1ボタンで、たまたまそれをそのまま使ってる人の方が多いだけの話で。
 というか、むしろなんでWinには1ボタンマウスがないんですか?
 だいたい、俺も仕事でWinを触っていたこともあるけど、その時にはまったく右クリックなんか使わなかった。ハッキリ言って1ボタンで十分だった。
 でも、Winでは1ボタンを使いたくても使えない。Macなら1ボタンも2ボタンもそれ以上も使えるというのに。
 それはつまり、Macが1ボタンを「基本」として、それ以上を「拡張」としている強みだよね。
 要は「最低限」を1ボタンにしているから、2ボタン以上にも対応できる。これがWinのように逆だとにっちもさっちもいかなくなる。
 そりゃ確かに、あなたは2ボタンでいいのかも知れない。けれども、どこかの誰かは1ボタンの方がいいかもしれない。その時に、自分の好きなマウスを選択できる、つまり自分の好きな環境を設定できるというのが「拡張」の原点であって、その拡張を有効に活用するためには「基本」ができうるかぎりシンプルである必要がある。だから、システムデフォルトがいちばんシンプルなMacのマウス環境は1番拡張性に富むわけだ。

 そもそもさ、この「拡張性がない」という批判は元来どっちかといえばDOSを使っている人の方がMacに対して言っていた批判なんだよね。つまり、CUIではコマンドやワイルドカードやマクロを利用して、さまざまな命令をできるのに対して、MacではFinderに規定された操作しかできない。と。
 もちろんMacでもAppleScriptを利用すればマクロっぽいことはできるんだけど、普段使っているコマンドを羅列すればいいだけのマクロに対して、AppleScriptはAppleScript言語を使わなきゃいけないから面倒なんだよね。実際あんまり使われてないし。

 だから、拡張性の話を無視して「なんで1ボタンなんだ」というようなものの言い方をするのは、DOSの頃からパソコンいじっている人ではなくて、Win以降からパソコンを始めた人なんだと思うね。
 で、そうした人達の感覚として、この「デファクトスタンダード」であることを誇る体質があると思うんだよ。それは一般層の「多数だから正しい」の感覚と同じで。
 逆にパソコンを昔から触ってる人というのは、パソコンをいじっていること自体がマイナーな行為だったわけで、自分の望む用途さえ満たせれば何でも良かったんだよね。むしろ、そうだったからこそ「Macは素晴らしい、CUIは古くさい」という連中に対しての批判も強かったわけだし。
 ところが現在はそれが逆転して、Winを使ってる連中が「なんでMacなんてマイナーなものを使ってるの?」なんて時代になった。まぁ、Win95ブームの頃から比べれば、そんな声も少なくなったけどさ。

 というわけで、古いユーザーからの愚痴でした。

00/11/29

水掛け論に水掛け論


 デア・アングリッフ時事板。
 No.7150のNAGIさんの発言について、私はあの発言の主旨は「みんなハーバード留学経験者じゃないか」という何らか団体の陰謀が存在するのではないかという主旨の文章(No.7149) に対しての皮肉だととっています。(ちなみに、ハーバード大学とフリーメーソンの間に、何か関係性があるんですか?フリーメーソンはよく知らないんで)
 そういう感じで見ているので、この板で「陰謀論」を振っているのはNAGIさんではなくて、空白くん(繰り返しますが、この板で色つきで「匿名さん」と表記されるのは「空白」であって、「匿名さん」という匿名の人ではありません)の方であるとしか見えないんですが、どっかに他の見方があるんですか?
 ちなみに絡んできた空白くんは「ジャーナリストは太鼓持ちか宮廷道化師、でなかったら専属宣伝屋の人が多いですから」との発言から、例のあの空白君であることは間違いないと思う所存です。
 まぁ、違ったとしても、空白を使っている方が悪い(ハンドルの判別ができないのを承知で空白にしてるんでしょうから)ので、謝りません。

 森君がなんか水掛けケンシロー君の行為に対して「気持ちはわからんでもない」と発言したそうですが、別に俺はその発言にはなんにも感じません。だって別に水掛けを称賛しているわけではなくて「気持ちはわかるけどやってはいけない」との発言なわけだし。ていうか、森君の言葉尻をとって「失言失言」と騒ぐ連中の方が、マヌケだと思います。
 少なくともこの程度のことと「日本は天皇を中心とした神の国であると承知していただく」とか「第三国で見つかったことにしても……」といった失言はまったく別の次元の話であって、これを一緒に「失言」としてくくることは、そうした重大な失言を水掛けレベルのささいな失言と同一視することとなり、逆に森政権に利することになると思うんですが、野党の皆さんはそうは思いませんか?

00/11/28

曽野タックル


 今のところ「不法入国した三国人(しつこいようだが「外国人」の意味。苦情は石原慎太郎さんにデンワしてクダサイ。♪スタイリースタイリー)」である所の、ペルーのMr.スギモリをなぜか泊めている、何を書いてるんだか少なくとも俺はまったく知らない作家の曽野綾子さんが会見を行いました。
 会見によるとMr.スギモリを泊めているのは
「「いかなる旅人も一夜を請うたら泊める」というアラブの哲学が好きなため」
 だそうですので、港区付近の路上生活者の方々は曽野さんのお家へGO!!
 もちろん「私も"ダフォディル-11"です」というプラカードを掲げて。
 ハイホー。

 今週のタックル。
「テクハラ」がどうのとか、潔癖症がどうのとか。
「テクハラ」はパソコンなどが使えない人に対しての嫌がらせがどうのとなっていましたが、円滑な業務の一環としてパソコンの利用が必要不可欠な現場で「パソコンを使えない人」というのは、単なる「仕事のできない人」なのでは?
 おおよそパソコンさえなければ、ちょっとした書類のミスにも「お前は仕事のできないやつだな」などと怒っていたであろう年代の人間が、いざ自分が「仕事のできない人」になったら「テクハラ」で逃げられると思っているのは、甘ったれもいいところ。「書類書くのが苦手なんです」なんて言い訳が通用しないのと同じ。
 ちなみに「お父さんがIT家電に囲まれるわびしい生活」みたいな映像になってましたが「IT家電」と「家族とのコミュニケーションの欠如」に一体なんの関係があるというんでしょうか。


 潔癖症云々は、「このまま潔癖症が進めば、将来は「雑菌の多いオフィスではガスマスク着用」なんてことにも」などと、オフィスの社員がみんなガスマスクを着用しているという、画像の面白さのみを追及した、(しかも大して面白くもない)タックルらしいレッテル張り。
 つーか、去年辺りは散々文句を言っていたであろう、ジベタリアンだかなんだかの道端に座っている、潔癖でも何でもない人の事は無視か?


 大統領選はひとまず「ブッシュ勝利」という事にはなってるようですな。
 ところで、この問題をなんかマスゴミは各局とも「法律で何月何日までに決めないといけないから問題だ」などと言ってますが、こんなもんはささいな問題。
 根本的な大問題というのは、アメリカという国は「民主主義のリーダー」という位置づけがあったからこそ、かなりやんちゃな(爆撃とか侵攻とか)他国への干渉の仕方も許されていたわけで、今回のような「民主主義の根幹に関わる大問題」をしっかり解決させる事ができないとなると、当然「民主主義のリーダー」という錦の御旗を失うことにもなりかねないわけで、そうなれば今後の外交に修復できないほどの影響を残してしまう、という部分。
 ヘタすりゃ「民主主義 VS 社会主義」というイデオロギー闘争であったWWW2の正当性すら疑われかねないんだし。
 しかし、今回の一件。自慰史観主義の人間は大喜びだろうな。きっとよしりんあたりは「アメリカが正しくなかったということは、日本が正しかったということだ」なんて書くんだろうな、平気で。

00/11/27

細々と更新


 アメリカ大統領選の報道なんかで、手作業集計の映像が流れてるけど、たかだか大統領一人に投票するのに、なんで入試並の細かいマークシートに何個所も穴が開いてるんだろうか?アメリカの投票&集計方式は理解不能。ついでに投票人制度も。

 観光でもあるまいに、何でか曽野綾子の別荘にいる、ペルー国民のMr.フジモリなんですが、これに対して外務省かどっかからなんらかの釈明ってあったんでしょうか?
 つーかこのままではMr.フジモリは「不法入国した三国人(もちろん「外国人」の意味(笑))」になってしまいます。

 タイムショック21は開始から1ヶ月程度しか立ってないのに、もう芸能人大会なんぞをやっている。
 ところでテレビ朝日はタイムショック21に力を入れてるんですか?入れてないんですか?それすら分かりませんよ。

00/11/25

HP回復するなら傷薬と宝玉で


 自民党だけでなく、コナミの一党独裁も崩壊中?

 市販のエミュ無しにエロゲが動く?

 取りあえず傷の方なんですが、右ひじの側にできた傷の範囲が少し大きいので、取りあえず油紙を張り付けて、その上から包帯巻いてたんですが、紙を交換するときに傷にくっついて痛いので、傷に付かないガーゼを買いに行く。ついでに抗生物質の軟膏とガーゼ固定用のテープと新しい包帯も購入。

 最近の私はそんなもんです。
 ちなみに野中政権(森?ああ、あの傀儡?)に関しては何にもございません(失笑)
 しかし、田中真紀子は後出しジャンケンばかりだねぇ。

00/11/22(追記分)

日々の暮らし方


 夢を見た。
 いつも見るマラソンの夢だ。
 マラソンで走っている。
 必死に走っている。
 必死に走ろうとすればするほど、足が動かなくなる。
 自分の動作がどんどんスローになって、抜かれていく。
 これがパターン。
 ところがこの前の夢で、打開策を見つけることができた。
 小股で走ればいいのだ。
 大股で走ろうとするとスローになって、小股で走ろうとしたら早く走れた。
 良かった。

「コケちゃいました」はどっかのマラソン選手の言葉ですが、ヨブは自転車でコケちゃいました。
 スリ傷できました。少し痛いです。
 しかしそれよりも、25歳にもなって自転車でコケたという事実の方が痛いです。

 ブックオフで300円投げ売り状態だった「IQ-engine」(こことかこことかこことかを参照。つーか「TV版 頭の体操」といえば一発か)のビデオの2と3を購入。
 ちなみに「IQ-engine」で検索してたら「深夜電映」という非常にいいサイトが見つかりました。リンクに加えましょう。

00/11/22

「歩む会」は本当にユーザーの味方か?


 占拠されて明日のない「自民党の明日を創る会」掲示板

 さて、月刊アスキーで「ACCS」「中古ゲームと歩むユーザーの会」の対談なんかを見て、「歩む会」のうさんくささをまた感じた次第。
(それにしてもなんで俺の嫌いな団体は「歩む会」とか「創る会」とか「守る会」とか……)

 つーかさ、ユーザーはこう考えてみたらいい。
 ゲームを創るメーカーはなくてはならない存在、買ってプレイするユーザーもなくてはならない存在。では、中古ショップは……?

 確かに中古ショップは手持ちの飽きたゲームを現金化してくれるし、それで新しいゲームも買えるかも知れない。
 しかし、それを目的とするならばYahooオークションのようなところでユーザー同士が直接やり取りした方が高く売れるし、安く買うことができる。さらには今後Napsterのような(あくまでも例示であって、今回の話はROM自体の複製を想定しているわけではないことに注意)システムを使った、ユーザー直でソフトの売り買いの情報交換がされるようになるかも知れない。

 じゃあ、そうなったときにこのシステムを真っ先に潰しに来るのはどの業界か。それは「現物のROMを扱う(扱わざるを得ない)ショップ」である。
 中古潰しの最先鋒であるメーカーはどうかというと、もちろん何も分からずに潰しにかかるメーカーも存在すると思う。しかし、実のところ、このシステムはメーカーの利益を潰すものではない(現状の流通システムや利権はそうとう潰れるのだが、それはまた別の問題なので、今回は取り扱わない)。
 例えばNapsterではBMGと契約をして、ユーザーが一定の会費を支払うことによって、BMGが版権を持つ音楽データの交換を可能としたという事例がある。このように現行の「現物のROMを売り買いするビジネスモデル」から、「ROMの中身を利用する権利をやり取りするビジネスモデル」に移行する事まで考えれば、ショップという前者のビジネスモデルを前提とした団体である「歩む会」が無条件にユーザーの味方とはいえない(「歩む会の会長はショップの人間ではない」という反論もあろうが、少なくとも「ARTS」と「歩む会」の蜜月の関係は自明である)という部分が見えてくるだろう。

 そもそも、ゲームのような「デジタルデータ」のやり取りにおいて、ショップのような「物理的な縛り」は本質的に考えれば(現実の通信速度や環境を考えなければ)不要である。
 例えば最近SEGAがゲームの配信システムを始めたり、最初に一定の金額を払ってゲームを体験してから残りの残金を支払うと全てプレイできるシステムなどを実験しているが、これは現在のゲーム業界においてシェアの少ないメーカーだからできたことで、もしこれをPS陣営が始めたとしたら、ショップ側の猛反発は必至だろう。
 つまり「物質をやり取りする」という行為がインターネットなどのインフラ整備によって自明性を失うのだから、その自明性によって利益を得ていたショップが反発するのは至極当然ということである。

 ただし、もちろんこの件は単純な問題ではなくて、労働先の確保(物理的製造や運搬、そして販売)や著作権料の徴収の問題なども入り込んでくる(もっと話を広げれば、資本主義の根本問題に行き着く)のだが、やはり原則的にはデジタルデータはLineによって、できうるかぎりダイレクトに供給されるのがベストであり、現状のような物理的なROMという形での配布、販売、再流通というのは将来破棄されるべき移行期の措置くらい(HTML 4.01 Transitionalくらい)に考えておいたほうがいいだろう。

00/11/21

更新遅延ゴメン


 今週のタックル。
 ゲームのことに触れてた(もちろん「残虐性」とかいう話な)けど、やってることが意味不明。
 つーか、子供に残虐な絵を描かせて、それを視聴者に見せる。そこには、おばちゃんの嫌がった声(効果音)をかぶせるという、あからさまな心証操作。
 だいたいその絵を描かせる環境自体、あらかじめ「ゲームをやる子」「ゲームをやらない子」とわけたうえで描かせていて、ということは子供からしたら「大人は(自分が)どういう絵を描くことを望んでいるのか」というのが丸見えなんだよね。そんな情況でとったデータになんの意味があるの?
 ちなみにあれを仮にデータとして意味のあるものと見たところで、ゲームのやる子の絵は全部「赤い血」が出ていたことから「血=残酷」という、表意手法をうまく用いているな等々・・・程度のことしか分からないはず。少なくとも「残酷そうな絵を描ける」ことと「残虐性がある」ということの関連性を表明していただかないことには、なんとも。
 ちなみに速水由紀子なんかは「おんなじ様なゲームが出てるから、刺激的なものを出せば「あれがスゲー」なんて言う評価を受けて差別化で売れる」などと言っていたので、「じゃあ、なんでマリオテニスなんかが売れるんですか?」と聞いてみたいですな。
 そいえば、タックルの中でゲームの例として、みたことも聞いたこともないような、つーか確かにそういうのもあるかもしれないけど、ゲーム内容としては彼岸の彼方なまったくメインストリームに顔を出さないような、なんかとってもホラーなゲームが示されてたんですが、 あのゲームはどこのゲームでどのハードで動くんですか?少なくとも表現のどぎつさからコンシューマ機じゃないのは確か。多分パソゲーだと思うんですが……。
 むしろそんなマニアの目にしか触れないゲームよりは、レンタル店などでR指定だけど安い価格で借りられる、今度劇場公開される中学生だか高校生だかがクラス全員で殺し合いをする映画なんて方がよっぽど有害だと思うんですが、ビートたけしさん的には、どうなんでしょうか?
 あと、ヤクザを讃美しているような内容のカンヌだかベネチアだかで映画賞をとったりして有頂天な、バイクで転んだ死に損ないの監督の作品なんかも相当まずいと思うのですが、足立区の北野武さん的にはどうなんでしょうか?
 ぜひ次回のタックルで話し合ってみてくださいね。(嘲笑)

 今月のサイゾー。
 メディカルラボ・サイゾーは「村上龍という病」。
 そしてそこからの繋がりで素敵なランディさんもクランケになってました。
 "裏"日本工業新聞さん(11/19)も絶賛です。

 ところで"裏"日本工業新聞さんの20日の日記でも書かれてますが、今回の加藤山崎負け犬の件はまったくその通りだと思う次第です。もうちょっと付け加えるなら、これはYKKラインの作戦というよりかは野中自民としての「森を外して小泉にすげ替え」というラインだろうなと。
 今回にしても「救党の雄」は森ではなくて、野中だもんな。今の状況下で「このような情勢ですから、国民に人気のある小泉を総理にして、政権の安定を図りましょう」なんてささやけば、転ばない自民党員はいないと思います。
 つーか、知らぬは森ばかりなり?

 栃木知事選。「どうせ、なべちゃんでしょ」と思っていたし、眠かったので行かなかった。
 そしたら当選したのは違う人。福田さんだっけ?覚えてない。
 たしか「いかにも栃木県民」な風体の若者が腕を組んでいるポスターを作ったオッサンだっけ?
 まぁ、どうでもいいや。栃木は栃木。3000年になっても公立高校は男女別さ。

00/11/17

森にインタビュー


 我らが技術立国日本が誇るiモードは電気がなくても動くようです。すごいですね。

 突っ込む気もしないので、代わりに替え歌でも作ってみる。
 元ネタはMOONRIDERSの「犬にインタビュー」でございます。メロディーは各自調整のこと。


「森にインタビュー」


森に インタビュー

笑いかける

いまの気持ちは

”利権をとり 地元に流す 逃げてみせるさ”

You will seach me 嗅ぎまわられ

You will catch me つかまるのさ

You will seize me しめあげるよ

国を忘れ 保身をとる 心地よい自民

口うるさく 書かれるたび かみつきたくなる

You will flatter me もちあげられ

You will beat me おしおきさ

You will kill me 情けないよ

You will seach me 嗅ぎまわられ

You will catch me つかまるのさ

You will flatter me もちあげられ

You will beat me おしおきさ

You will kill me 情けないよ

内部割れて 加藤怒る どうなってんだ

民の支持を 取り戻せる 策をおくれよ

森にインタビュー いいたいことは それだけですか

森にインタビュー いいたいことは それだけなのか

00/11/16

河上イチロー関連の話


 なんかニュース23で「森総理の夜の会食が……」なんて話をやってるけど、いったいどこの誰がそんなくだらない事を問題にしてるんでしょうか。
 ひょっとしたら、そうやってくだらないことを繰り返して、政治に対してのシラケ感を煽って、自公保政権を保持しようって腹積りかも知んないけど。

 いおり先生、「Macにも飽きた」ではなく「手持ちのMacに飽きた」と訂正。別に「Mac自体」には飽きてないそうです。
 思いっきり騙されました。
 まぁ、「新しいMac」とも「新しいUNIXクローン」ともいえるMacOSXのお楽しみも残ってるしね。
右脳の木の下で 11月13日の日記より)

 こんな労働条件では、顔が赤井英和のように変形するのも仕方なし?

 アムステルダムでこんな議論をしている裏で、日本では田中麗奈主演のインターネット映画がどうたら。
 日本。どんどん重くなってます。

 阿修羅掲示板より転載。
 http://asyura.com/sora/bd11/msg/727.html
週刊新潮11/16
オウム出家信者が主催者だった「紀宮様ホームページ」

紀宮標とオウム──。妙な取リあわせだが、インターネット上で「紀宮清子内親王殿下の御座所』と題するホームページを開設していた人物。実は、現役の出家信者だったのである。

問題のホームページが開設されたのは平成10年2月。〈このホームページは、私設サーヤ親衛隊(略称SS)隊長・河上イチローが独自に制作した非公式サーヤ・ファン・ページであり、紀宮清子内親王殿下ならびに宮内庁と一切関与していません〉という書き出しで始まるこのページ、紀宮様のプロフィールから始まって、ご幼少時の写真、野鳥研究の論文、歌などが掲載されていた。
本邦初の皇室情報のホームページということでマスコミに取り上げられ、河上イチロー本人も登場し、「紀宮殿下については、インターネット上にほとんど情報がない。右も左も一般の人も、皇室情報には触れてない。無いから、自分で大好きな殿下のホームベージを作った」などと開設の弁を述べていた。
だが、この河上という人物については謎のままだった。「彼の名前がインターネット上に現れたのは、平成8年6月頃です。破防法反対のホームページを作っていました」
というのは西村雅史氏。オウムに関する情報を集めている私立大学の研究員である。「オウムに詳しいのでメールを交換して、親しくなりました。3回ほど会いましたが、写真を写されるのを非常にいやがっていましたね」 河上イチローは『デア・アンクリッフ』というホームページも開設していたが、「警察や公安情報、2・26事件やヒトラーに関してもすごく詳しかったですね」とは評論家の有田芳生氏。
「彼は我々オウムウオッチャーの集まりにも参加していました。法廷の麻原の発言にやたら詳しいので、何者だろうと思っていました。新聞記者も知らないような情報が彼のホームページに載っているので、とても便利でした」

「郵政省」に所属
そんな河上イチローがどうもオウム信者らしい、という噂が流れ始めたのは昨年11月頃。先の西村氏が続ける。
「彼がオウムに批判的な滝本太郎弁護士や有田さんに対して攻撃的になってきたのです。調査したら出家の事実が判明した。でも、自分からオウムだと言って欲しかったので公表しなかった。なのに、10月23日、彼はホームページを閉鎖し、消えていった。裏切られたという気持ちからオウムだと公表したのです」
カーマ・アニッチャ・パンニャッタ・パンニャーヤ・ムック・デーヴァー。このホーリーネームの持ち主こそ河上イチローの正体だったのである。
京大文学部中退の31歳。平成3年に入信した。「文才のある男で小説家志望だった。教団では〃郵政省〃に所属し、麻原の説法を判りやすく文章にしていました」
というのはオウム関係者。「教団崩壊後はオウム系出版社に身を寄せ、『週刊光源氏』という本の編集に携わっていました。今は教団に戻っていますが、上祐史浩幹部が呼んだのです」
ここで、河上イチローこと本名・福○利○氏に登場してもらわねぱなるまい。「教団がアレフと新たになってから、事件に対する認識を改め、謝罪、賠償を行う方針をとるようになったため4月29日、教団に戻ることを決めました。紀宮殿下のぺ−ジを作った動機は他にないから作っただけのことです」
だが、そんなことは誰も信じまい。先の有田氏は言う。「出家信者が個人の趣味で紀宮様のホームヘージを作るわけがありません。憶測ですが、皇室情報を集め、直接的な攻撃に出る準備をしていたのではないか。オウムには井上嘉浩が主導した皇居攻撃計画もあったわけですからね」
荒唐無稽というなかれ。何せあのオウムなのである。
「何せあのオウムなのである」
「何せあの革マルなのである」
「何せあの森総理なのである」
「何せあの北朝鮮なのである」
「何せあのエタである」
「何せあの西村しんじんるいである」
 以下、同意の文章が続くが省略。

 この「何せ……である」という文脈が何を表わしているかは明白。その対象を「絶対悪」と規定しての思考停止である。もちろん有田芳生のコメントが思考停止した上でのこじつけでしかないことは「まともに物事を考えている人間ならば」分かるはずである。だいたい、オウムの組織で詳細な皇室データを持っていたのならそう考える余地はあるかも知れないが、紀宮清子内親王殿下だけの情報をネット上に持つことにどういった意味があるというのか。


 それはさておき、私はこの文章から2つのことを考えた。

 まず1つは、西村しんじんるいが「河上=オウム」ということを公表した理由がだいぶヘンだという事である。
「彼がオウムに批判的な滝本太郎弁護士や有田さんに対して攻撃的になってきたのです。調査したら出家の事実が判明した。でも、自分からオウムだと言って欲しかったので公表しなかった。なのに、10月23日、彼はホームページを閉鎖し、消えていった。裏切られたという気持ちからオウムだと公表したのです」
 もちろんこの「攻撃的」などという新潮の書き方(しんじんるいの言い方そのものかも知れないが)はレトリックであるので無視するとしても「自分から言って欲しかったのに言ってくれなかったから公表した」っのはなんなのだろうか?
 いや「なんなのだろうか?」と感じるところは「お前はストーカーか!!」というツッコミなんだけどね。
 例の桶川のストーカー事件で犯人は元彼女の誹謗中傷文書をばらまいていたが、その粘着質ともいえる性格は、週刊新潮に写真まで提供した西村しんじんるいとなんら違うところはない。

 そしてもう1つ。重要なのはこっちなのだが「果たして「オウム出家信者が主催者だった「紀宮様ホームページ」」なるものは存在したのか?」という疑問である。
 いや、別に「河上イチローはオウムではない」と言う気はない。ここでは「河上=オウム」が事実であるとして論じている。また、河上さんが紀宮様のサイトを作っていた事も間違いはない。
 では、なぜそのような疑問が出てきたかといえば、上記文章内によると河上さんは
「オウムに平成3年に入信して、教団崩壊後はオウム系出版社(なぁぷる)に身を寄せ、10月23日にホームページを(全て他者に譲渡したうえで)閉鎖、今は教団に戻っています」
(カッコ内はヨブの補足)

 ということなのだが、すると河上さんがオウム信者であった期間は「平成3年の入信 から 教団崩壊 まで」と「サイト閉鎖から現在」という2期となる。
 ところが、河上さんの紀宮様のサイト開設が平成10年2月であり、カナリアの詩のサイト(滝本のとこ)によると、
文京区本郷2−36−402 1990年(平成2年)8月13日設立。より正確に言えば、もと有限会社北斗技建。株式会社雄幸サービスになったのが、1990年(平成2年)8月13日、「株式会社なあぶる」と商号を変えたのが1997(平成9年)年4月17日、「株式会社なあぷる」になったのが1997年(平成9年)5月30日。
(カッコ内はヨブの補足)

 ということである。
 ちなみに地下鉄サリン事件が1995年(人食い急行(1995)地下鉄サリンだ by爆笑太田)、つまり平成7年であり、そこを「教団崩壊」の起点であると考え、河上さんがその後「なあぷる」に移ったというならば、彼は少なくとも平成9頃には「オウムを脱会していた」と考えられ、平成10年2月に開設した紀宮様のサイトは「元オウム出家信者の作ったサイト」ということになる。
 さらには、今回河上さんがオウムに戻る際にそのサイトを他者に譲渡しているということは、河上氏が紀宮様のサイトを持っている間、彼はオウム信者ではなかったということなのだから、「「オウム出家信者が主催者だった「紀宮様ホームページ」」なるものは存在しなかった」のである。
(平成7年 地下鉄サリン事件 → 平成?年 河上イチロー オウム脱会(少なくとも本人はそう考えている) → 平成?年 河上イチロー「なあぷる」入社 → 平成10年 河上イチロー 紀宮様のサイト設置 → 平成12年 河上イチロー サイトの他者への譲渡をしたうえで閉鎖 →  平成12年 河上イチロー オウム復帰)

 結局この話というのは、オウム信者が考える「オウム脱会」ということと、世間が考える「オウム脱会」ということの間の隔たりが問題なのではないかと考えられる。
 つまり、信者にとっては「オウムの道場から出る」「修行を打ち切る」などのことが「オウム脱会」であり、世間にとっては「オウム時代の人脈から何からを切る」ことが「オウム脱会」であるという、この差は大きい。
 だが、私としては「その人自身がどう考えているのか」を優先させたい。であるから、たとえ「なあぷる」がオウム関連企業であったとしても、社会の中で企業活動を行っている企業でしっかりと働いているのだから、なんの問題もないと考えるのが「普通だろう」と考えている。


 ここからまとめ。

 少なくとも俺はこの件(デア・アングリッフ譲渡、閉鎖の件)に関して「河上さんは筋を通した」としか思っていない。
 デア・アングリッフ群は河上さんがオウム信者ではない(と河上さんが考えた)状態で始まった。だからこそオウム信者に戻った今、河上さんは全て(「河上イチロー」という名前すら破棄して)を譲渡した。つまり「河上イチロー」はネット上に存在したが、ホーリーネーム「カーマ・アニッチャ・パンニャッタ・パンニャーヤ・ムック・デーヴァー」はネット上に存在しなかった。
 ネットにいるのは常に「河上イチローとしての福○氏」であって、「オウム信者としての福○氏」はネットに存在させなかった。このことを「筋を通した」と言わずしてなんというのか。

 結局、西村しんじんるいや有田芳生、またこの記事を編集した週刊新潮編集などの連中は、そうした「筋のつけかた」をまったく知らない「人間未満」の生き物でしかない。

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