7月(下旬)の日記。

アンパーンチ
致命的な間違いを探せ

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ご意見ご感想はメール、もしくは掲示板までよろしくお願いします。

著書、絶賛発売中:『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)

00/07/31

ああ、ここ最近、全然ふざけてない


SEX癒し系
俺的には癒し系

 さてさて、最近どうも「サッポロ一番もいいけど、カップ麺部門もね」と、田舎の親父が間違った一念発起をしてしまったのか、サンヨー食品が多大な電波を発するカップラーメン「チェキラ」を発売してしまって、俺の中では「DK-96」並みに「ナーーーーウ!!(シャウト)」な情報となっております。
 サンヨー食品のサイトの方を見るに「チェキラ」とは「味と情報をリンクしたハイティーンのための美味しい商品」であるらしく、なんかそれは「日本語なんすか?」って感じなんですが、日本語評議会とか何とかいう人達は、とっととこの会社を倒産に追い込んだほうがよいのではないかと思いますが、まぁ、いいです。田舎親父が一念発起しちゃったら、このくらいの話になるのは当然ですから。
 で、それはいいんですが、むしろ問題は「カップ麺のフタにデザインされてしまっている雌は何を考えているんでしょうかね」。いや、何も考えてないのは分かってそう書いてます。でも、何も考えないとしても「カップラーメンに自分の写真が……」って、かなり悪夢的ではないですか?俺だったら間違いなくスーパーやコンビニには一切行けなくなりますね。まぁ、それでも「カップ麺に写真が載ってもまわりの人には一切気づかれない程度のいたって個性のない普通の雌」であることを考えれば、別段悪夢でもないんですかね。というか、仲間うちに「これワタシー」なんて自慢するくらいしか使い道はないと思いますが、それにしてはその代価が大きすぎるっていうか、いや、別にどっかの雌の話なんかどうでもいいです。
 ただ一言言いたかったのは、一念発起した田舎親父と、話題性らしきものを取引する雌の構図が、なんかただ金を受け渡しするだけの刹那的な援助売春をみるようで、その副産物たるラーメンはマズそうだな。ということだけなのです。はい。

00/07/30

フリーターが迫害される理由


 どうやらこの国は国家ぐるみで「フリーター」を卑職化し、必死に「家族単位の民衆管理」を維持しようとしているようです。

 7/30日 産経新聞13版1面より

やむを得なかった/努力すればよかった/好きなことできる
「フリーター」揺れる心の内
4割が現状に「後ろ向き」
文部省、高卒者らにアンケート

 進学もせず、就職もせずにアルバイトで生活する「フリーター」の存在が社会問題化する中、文部省は29日までに、高校を卒業した若者たちや親、企業、学校などを対象とした全国アンケート調査を実施し、概要をまとめた。調査結果からは、フリーターを選んだ高卒者の約4割が「自分が何をやりたいか分からなかったのでやむを得ない」「もっと真剣に努力すればよかった」などと後ろ向きに受け止めたり、反省している一方、「やりたいことがあったから後悔していない」「好きなことができるので就職しなくて良かった」と現状を肯定する答えも3割以上にのぼり、就労にたいして揺れる若者の胸のうちが浮かび上がった。フリーターを焦点にした高卒者の就職問題調査を文部省が行なうのは今回がはじめて。


 調査は、文部省が平成11年に設置した「高校生の就職問題に関する検討会議」の一環として実施。全国規模で平成8年度と10年度の高卒就職者計約4,000人をはじめ、親、企業、高校の進路指導担当者など合計約7,000人に回答を依頼した。高卒者の約半数が回答を寄せ、全体の回答率は約75%だった。
 調査結果によると、フリーターを含む高卒者に対して「もっとやっておけばよかったこと」を尋ねたところ、「やりたい職業、向いている職業を見つけること」との答えが25.4%ともっとも多く、以下「職業に関する勉強や資格の取得」(22.4%)▽「さまざまな仕事の内容について知る」(16.9%)▽「社会人としての言葉づかいやマナーを身につける」(13.6%)とまじめな若者たちの意識が浮き彫りになっている。
 さらに高卒時に進学も就職もせずにフリーターになった人達を対象に、「その後何を考えているか」との問いについては、平成8年度の卒業生の場合で27.1%が「自分が何をやりたいのか分からなかったのでやむを得ない」とフリーターを消極的に受け止め、15.9%が「もっと真剣に考えて努力すればよかった」と反省する回答を行なった。合計すると43%がフリーターである現状を否定的に捕らえていることが判明した。この一方で、21.5%が「やりたいことがあったから後悔していない」、13.5%が「好きなことが自由にできるので就職しなくてよかった」とフリーターを積極的に受け止める回答もあった。
 また、卒業者とともに学校への進路指導担当者、企業、親らをも対象に、現在高卒者の就職の際の慣行になっている「一人一社制」(一人の生徒が一度に複数の企業に応募できないこと)の是非を尋ねたところ、進路指導担当者の61.5%、企業の38.6%が「現行通りでいい」と答えたのに対し、平成8年度卒業の未就職者では20.6%、10年度の未就職者では18%しか現行制度への支持はなかった。
 文部省では、これらの結果について「職業観、勤労観が未成熟なため、就職に対する意識や考えが安易な方向に流れてしまう傾向がみられる」と分析。対策として、キャリア形成のための教育を、小学生のころから一貫して充実させるなど、抜本的な改革が必要としている。
 「フリーター」については、今年の労働白書が全国で約151万人に達するとする推計を発表している。

フリーターとなった人がその後何を考えているか(上位4回答)
1自分が何をやりたいか分からなかったのでやむを得ない27.1%
2やりたいことがあったから後悔していない21.5%
3もっと真剣に考えて努力すればよかった15.9%
4好きなことが自由にできるので就職しなくて良かった13.5%
高校時代にもっとやっておけばよかったこととは(上位4回答)
1自分がやりたい職業、向いている職業を見つけること25.4%
2職業に関する教科の勉強や資格の取得22.4%
3社会にさまざまな職業があることやその内容について知る16.9%
4社会人としての言葉づかいやマナーを身に付けること13.6%
 まず最初に、このアンケートが最初っから明白に「この分析をするためのアンケート」であることを指摘しておきます。つまり、結論の理由付けに過ぎません。

 しかし、この数字で見る、高卒のフリーターは痛々しいですな。国が今まで「個人の権利教育」や「一人前としての扱い」を徹底的に回避しているため、就職できなかった責任付けを自分に課すしかできない現状が明白に現れています。
 だいたい、このアンケートにみる「もっとやっておけばよかったこと」というのは、社会に2,3年出てはじめて実感できる話であって、フリーターとしてそれを言うのは後ろ向きでもなんでもなく、本来ならば新卒偏重の就職形態が問題(「生活者としての私」を自覚できているのに、就職先がない)にされるべき話です。

 さて、ここからが話の中心なんですが、このアンケートでは(「産経新聞」がそう扱っているだけかも知れないのですが)「フリーター」を『進学もせず、就職もせずにアルバイトで生活する「フリーター」』として扱ってます。
 しかしここには重要な視点がひとつ欠けています。「フリーターは生活者であり労働者である」という点ですね。「フリーター」というと、一般的には「親のすねをかじってぬくぬくと生活している」という認識をされていますが、現実は親の保護を受けていない独り暮らしのフリーターだって、多数存在するわけです。また、税金も源泉徴収ですが払っているのですから、国に対する義務も果たしているわけです。
 ではなぜ、「進学も就職もしないフリーター」が問題視されるのか?
 国(に巣食う既得利権保持側)としては「今までを肯定してくれる構成員が欲しい」わけであり、そのためにはフリーターという、既得権益からもっとも離れたところに「層」ができるというのは大変な脅威なんですね。なぜなら「学校を中心とした、いままでの学生運動」や「会社を中心とした、いままでの労働運動」ならば、運動体のトップを抱え込む(抱え込み済み)、もしくは会社組織自体を脅迫材料に利用できたのですが、「フリーター」という会社に依存しない「自由労働基盤」が完成してしまうと、いくらでも学校や会社外で生活基盤を確保しつつ、運動を続けることが可能となってしまうのです。
 つまり「既得利権保持側」とすれば問題なのは「フリーターの存在」ではなく、「フリーターという自由労働基盤が生まれつつある」という、そのことこそが問題なのです。
 だからフリーターを「進学もせず、就職もせず」理由付けで問題視し、「フリーター=労働者」という構図を必死で覆い隠しているんです。
 また、それをより効果的にするために、25日分にも書いたような「フリーター撲滅運動」なんてことをやってたりもします。
 これは要は「フリーター」を見せしめとし「自由自由ばかり言っていると、こんなひどい暮らしをしなければならなくなりますよ。それが嫌なら素直に今までの慣例に従いなさい」と子供を「洗脳」するものです。
 本来ならこういった国の政策にサヨク論壇はとっとと反応すべきなんですが、サヨク論壇自身がこの「フリーターという新しい労働層」を色眼鏡で見ているため(「一生懸命運動をする労働者たる自分」に対して「働きもしない、いい加減な若いもの」)、もはや社会形態が変化してしまっていることに気が付かないでいます。だからまったく対抗言論を生み出せないのです。もう完璧なまでに国におちょくられてますね。

 ところで、産経では「4割が現状に「後ろ向き」」などとしてますが、「後ろ向き」とする答えのパーセンテージは40.6%、肯定的な答えのパーセンテージは35.0%であり、数値的にも「おおよそ半々」くらいのものをあえて「後ろ向き4割」としているあたりは、電波新聞の面目躍如と言ったところでしょうか。ていうか、こんなインチキ記事を政府のリーク通りに書いて多額の給料をもらっている連中に、労働者とか市民としての視点があるわけがありませんね。ナットク。

00/07/29

とうとう「やるべきこと」を思い付いた


 なぜか、パソコンのヘッドホン端子にヘッドホンをつないでるのに、スピーカーからも音が出るという症状に見舞われる。
 QuickTimeの再インストールなどをしても、まったく改善がみられなく、だいぶムカ入ったので、フタを開けてスピーカーのラインを引っこ抜く。ていうかMidiとかMP3をそんなに聞くわけでもない俺の環境で……というか、モノラルのちっちゃいスピーカーで音楽なんか聴いたってしょうがないしな。まぁ、ともかくスピーカーの必要性もないんで、いいかなと。

 さて、思い付いたんですが、俺はどうも本気で「ネットと公共性」という話に取り組まなければならないのではないかと思い至りました。
 要はネット規制論者への対抗言論なのですが、ざっと思い付いたところで「放送と通信」「公共性とは何か」「責任とは何か」「メディアリテラシー」などを考えなければならない。と。

 結局ネット規制論者はネットワーク上の発言を「放送」と考え「それ相応の義務」を課そうとしている。けれども、「不特定多数に読まれる可能性」がありつつも、現実には「少数の内輪」の会話であり、ほとんど井戸端会議と変わらない。ただ違うのは、声の届く範囲がはるかに広いということである。そして「場」の概念が存在しないことである。ネットの公共性は固有の「場」ではなく「同意」によって決定される。

 みたいなことを書きたいんだけどね。
 まぁ、3年ぐらいのスパンで勉強しつつ、ゆっくりやります。

00/07/28

転載ばっかり


 私信。私の言った「掲示板の件」というのは、武田さん絡みの時の引用の件のことです。
 まさかカウンター掲示板の「彼」がねこねこさんだとは思ってませんよ。
(ねこねこさんだったら、もっと面白いレスを返してくれるはずだし)
 あ、そうそう。決死隊の件で、一番分かりやすい言葉を思い付きました。
「ハッキングしたなら自慢してもいいけど、クラックくらいで自慢するな(意味があると思うな)」
 結局ROMのUPなんてのはシリアルやW@erzをやってるのとなんら変わらないと考えます。

 "裏"日本工業新聞7月26日 より転載
 同じ古本屋ってことで世間的に話題の新古書市場、いわゆる「ブックオフ」の問題について聞いたところ、「新刊のマンガ本が店頭に出されもされずに返本されて許されるよーな新刊制度の弊害を省みずに郊外型古書店が悪いというのは間違っている」と前置きした上で、だからといって「ブックオフ」のよーな定価に連動して自動的に売値が決まるところは、「再版制度が撤廃された時点で便りとなる価格とゆー軸がなくなるから大変、その点まんだらけは120万冊ものデータベースを用意して、的確な仕入れと値付けができるんだ、大事なのは本の価値であって、それが分かるのはうちだけなんだ」と自慢していたあたりに、再販制度が撤廃されても頑張っていけるだけの自信が滲む。「新刊本が売れてはじめて中古も売れる」とゆー自覚がある限りは、郊外型多店舗展開のよーな無茶はせず、マニアには嬉しい品揃え根付けで「マンガ魂」を揺さぶってくれるだろー。オタクの殿堂、早く建てよ。
 私もブックオフなんかより「郊外型新刊本屋」の方がよっぽど悪いと思います。だって全然本がないもの。
 ていうか、がんばれ「まんだらけ」。


 asahi.comより
教育基本法「改正論が大勢」 国民会議分科会報告


 戦後教育の見直しを進めている森喜朗首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」(江崎玲於奈座長)の3つの分科会が26日、報告書をまとめた。教育基本法について「分科会としては改正が必要であるという意見が大勢を占めた」として、見直しに積極的な姿勢を示している。ただし、「改正が教育をめぐる諸課題の解決に直ちに結びつくものではない」とも指摘。具体的な見直しの方向については、各委員の意見を列挙するにとどめ、8月末から再開される国民会議の全体会議での議論にゆだねる考えを示した。国民会議は9月中には中間報告をまとめて、森首相に提出する。

 国レベルの審議会などが教育基本法の改正について提言するのは、今回が初めて。この問題を論議してきた第1分科会の報告では、教育基本法が制定された戦争直後と現在との「時代」の違いを指摘したうえで、「社会的ショック療法として改正が必要」「国家や郷土、伝統、文化、家庭、環境の尊重などが抜け落ちている」など委員の意見を紹介した。

 第1分科会はこのほか、小中学校で年に2週間、高校で1カ月間の共同生活による奉仕活動を義務化することを提言。将来的には満18歳のすべての国民に1年間の奉仕期間を設定するとしている。

 小学校の道徳に加えて、「人間科」(中学)、「人生科」(高校)を新設することや、古典、歴史、言葉の重視を提言している。

 第2分科会の報告では、教員免許の更新制を検討する考えが盛り込まれた。教師の評価に応じて、人事・給与で差をつけるだけでなく、研修を重ねても改善が見られないとされた場合は、転職や免職も検討すべきだとしている。

 少人数による習熟度別クラスの導入など、弾力的な学級編成に向けて校長の裁量を広く認める考えも示した。情報技術(IT)、英語教育は、小学校のなるべく早い時期から始めるべきだとしている。

 第3分科会は、義務教育を、家庭と学校の判断で1年早く始めることの検討を打ち出した。中高一貫教育を全学校の半分程度にまで拡大することも求めている。さらに、大学入試センター試験を、高校での学習の成果を客観的に評価するための「学習達成度試験」に切り替え、学年を問わず、年に複数回受験できるようにすることを提言している。(22:04)
 ナショナリズムへの回帰、日教組狩りの意図があからさまですなぁ。
 ところで「江崎玲於奈」のもらったノーベル賞ってなんだっけ?少なくとも平和賞じゃなかったよな。
 面倒くさいから「奉仕活動」なんて回りくどいこと言わないで「兵役義務」って言っちゃえばいいのに。
 古典や歴史や言葉の重視って、それは森っちやクレヨン慎ちゃんが受けるべき教育では?
「天皇を中心とした神の国であることを承知していただく」の意味とか「三国人」の言葉の歴史とか。

00/07/26

ボクのバモイドオキ神


 NHKスタジオパーク。
 グッチ雄三、ハッチポッチ型ドタバタコメディの源泉はエドサリバンショーと。
 そっか、ハッチポッチの仕事は好きでやってたんですな。

 さて、今日は俺の中でフェイバリッドでブルー(笑)なミッチーのページを批評してみる。
 今回は「時事評論  6 ベビーホテル殺傷事件 ──『朝日新聞』社説の愚かなフェミニズム公式主義」を論じる。

 なんかタイトルからしていきなり「カタカナウヨク」っぽさ大全開なのですが、これを読んで思うに、ミッチーというのは「○○憎し」で社会学っぽいところをいじり始めた、典型的なルサンチ学者ではないんでしょうか?
 今回もみごとに「フェミニズム憎し」のあまりに、大切な部分をすっ飛ばして論理を語ったつもりになってます。父性の復権の時も「若者憎し」だったもんね。
 働かなくても生活に困らない母親が、イデオロギーのために働くから、保育所が足りなくなる。そのために、働かざるをえない母親が子どもを預けられなくなっている。私は女性に一生働くな、と言っているのではない。せめて子どもが小学校にあがるくらいまで、働かないでいられないかと言いたいのである。

 そして女性が多く働けば働くほど労働者数が増え、その結果として賃金が低くなるから、ますます多くの女性が働かなければならなくなり、経営者やその背後にいる株主(資本家)たちの思うつぼである。その結果として、ますます保育所が足らなくなっている。
 根本問題として、みっちーは「働かなくても生活に困らない母親」というのが圧倒的少数派であることを認識していない。明らかに雑誌やワイドショーの見過ぎです。マスコミに洗脳されてしまってます。
 また、みっちーの言う「働かなくても生活に困らない」と、世の中の母親の思う「働かなくても生活に困らない」状態は離反しすぎてます(みっちーが「働かなくても生活に困らない状態」を定義してませんので、想像ですが)。
「働かなくても生活に困らない母親が、イデオロギーのために働く」にいたっては笑止千万。
 確かに「働くことが女のステータス」と思っている素敵なランディさんのような人もいないわけではないが、たいていの「働かなくても生活に困らない母親」は「カルチャーセンターに通う程度のゆとりが欲しい」とか「ブランドのバッグが云々」などという理由で働いているのであり、イデオロギーなんてことは考えてもいません。
 そりゃそうだ、自分は「従属的扱い」をされているふりをしながら、夫の給料を握って、好きなように暮らせる身分こそが「働かなくても生活に困らない母親」という状態なんだから、その人達にとっての「男女平等」は「自分たちの権利を脅かすもの」でしかありません。

 こんな考え方だからこの次に
 つまりフェミニズムとは、かつてのマルクス主義の用語を使えば「ブルジョア・イデオロギー」である。すなわちブルジョアジーにとって都合のいいイデオロギーなのである。
 などと、平気で書いてしまうのです。
 本来「保育所」というのは国が「労働の義務」を国民に果たさせるために、すべての人が気軽に利用させるべき施設であるものを、みっちーは「保育所などをつかうのは、裕福な家庭のわがままだ」などと考えているらしく、「働かなければ生活に困る母親と保育所」という大切な問題を意図的に(?)切り捨ててしまっています。
 保育所の数が少なく、その需要が多いということは、保育所側はいくらでもその料金をはね上げることができるということであり、その結果、保育所を利用できるのは「働かなくても生活に困らない母親」のみになってしまっています。
 さらには、供給が少ない状態ということは、そのサービスが低水準であっても、消費者には選択の余地が無いということです。今回みっちーが文句つけてる朝日の記事はそういうこと(「気軽に利用できない」「選択肢がない」)を問題視しているわけです。
 ところがその重要問題がみっちーからすれば『「それだけ?!」と言いたくなるような、おそまつさ』とされてしまうのであり、とてもじゃないけどみっちーの問題認識能力がマトモだとは考えられません。
 まぁ、みっちー自身が「父性」という、需要はあるが供給の少ない分野で飯を食ってる人間なので、その特権的状態を保持したいというのはよく分かりますけどね。

 そして、続く
「思うように」「多様に」働くとは?
 の項では意図的に(?)「働く女性自身のアイデンティティ」の問題と、「会社が被雇用者をちゃんと扱わない」という問題を混同させています。
 そもそも、雇用問題に男性女性別の論理を持ち出す必要はあるんでしょうか?単に「労働基準法の徹底」を叫べばいいだけの話です。それをわざわざ『女性として身体的・生理的に無理な働き方』などと女性限定にするのは「(サヨクに糾弾されやすい)労働問題に踏み込みたくない」というみっちーの卑小さの現れでしかありません。その卑小さを覆い隠すために「母性」などという「バモイドオキ神」を持ち出しているわけです。


 総括するに、最初っから「女性は男性ほど働けない」ということを大前提に「フェミニズムは間違っている」などと言っても、フェミニズム自体がそういう偏見に対抗する言論なのですから、その大前提をどうにかしないことには、いつまでたってもフェミニズムには勝てませんよ、道義くん。
 そういうことです。

00/07/25

日本型教育の気持ち悪さ


2000年7月24日付 朝日新聞12版9面 より転載

高校で防止教育
フリーターも気楽じゃないぞ
「保険・身分保証なし」厳しい現実を説明


 高校卒業後も就職せず、アルバイトで暮らす若者が増えている中、高校の現場では「フリーター防止教育」が広がっている。先日発表された労働白書によると、約百五十万人のフリーターのうち、高卒者は四割を占める。フリーターを肯定的に捕らえる高校生が多い中、学校側は現役フリーターを招いての討論会や企業の人事部OBらによる出前講座など、あの手この手で社会の厳しさを訴えている。(岡崎 明子)

 蒸し暑い体育館に、約百四十人の生徒が集まった。配られた冊子をうちわ代わりにしながら、講師の話に耳を傾ける。
「アルバイトでは履歴書の職歴欄に何も書けない」「保険に入らないと、医者にも行けない」「いつクビを切られるか分からない」……。
 七月中旬、東京都足立新田高校で、フリーター防止ガイダンスが開かれた。
「うちはフリーターを撲滅する学校として有名になりたい」。鈴木高弘校長は、こう宣言する。
 一昨年度の卒業生のうちフリーターになったのは五十四%にのぼり、昨年度は四十九%だった。危機感を抱いた学校は、昨年度からフリーター防止教育に力を入れている。
 その一環として導入したのが、「学系列選択科目制」だ。三年生になって初めて就職について考えるのではなく、二年生に進級する前に福祉や情報ビジネスなど、自分が目指す進路に沿った科目を選択してもらうことにした。
 第一期生が卒業するのは来年度。今年度の三年生の進路希望は、進学が四割、就職が三割、その他が三割だった。「フリーター予備軍の『その他』をいかに、進学や就職に向かわせるか。結局は一人ひとりと粘り強く話し合っていくしかない」と進路指導部の黛和夫経論は話す。
 都立葛西南は、四年前からフリーターに対する意識改革に取り組んでいる。同校は年間四十回を越す進路ガイダンスを実施するなど、熱心に取り組んでいるが、卒業生の半数近くがフリーターになっていた。
 一九九八年度に都の研究校に指定されたのをきっかけに、頭ごなしにフリーターを否定するのではなく、メリットやデメリットの説明、労働法や社会保険の基礎知識の提供、現役フリーターを招いての討論会などを行なった。
 この結果、卒業後も進路が決まらなかった割合は98年度が前年度に比べ10ポイント、99年度は4ポイント減少したという。
 うげぇぇぇ。気持ち悪ぅ。
「メリットやデメリットの説明」が「「アルバイトでは履歴書の職歴欄に何も書けない」「保険に入らないと、医者にも行けない」「いつクビを切られるか分からない」……」ですか?
 現在の企業や社会が個人に対する義務を果たしてないこともいわずに(そのくせ平気で「モラトリアムだ」なんてことは言うんだからな)、ただひたすらに「就職しないといけない」などといわれたって、説得力のないこと、この上ないですよ。ヘタすりゃ、先生方より生徒の方が社会の現状をちゃんと知ってたりしてな。
 結局、日本において人が(生徒がではない)就職をしたがらないのは、会社と人が対等ではなく、人が会社に全てを委ねる現状。すなわち、就職した時点で自分の力で生きていけなくなることを感じているからではないかと思います。この流れはけっして「若者の無気力」などと括られる問題ではなく、人間の「生きること」という命題がまさしく突き付けられているのだと考えます。
 どうにしろ、教育機関ですべきは「社会教育で個人や社会の義務と権利」という、外国ではごく当たり前の教育をすることであり、その上で生徒に一己の人間としての義務と権利を与え、人間として認めることのほかにはありません。
「労働」ということに、意味を見つけられないまま「職業訓練」などをしても、なんの役にも立ちません。むしろ「労働の意味」を自分なりに解釈できるのは、労働者になってからですので、その時に別の業種に移ることができるような再教育の機関の新規立ち上げなどの、さまざまな経歴からの就業の自由化を進めるほうが、常識的かつ効率的な考え方です。
 それには当然「新卒偏重の解消」や「奨学金や再教育機関のオープン化」が大前提なんですが、前項は「就職先の善し悪しが大学の点数」みたいなところがあり、大学の本来の意義を理解しない教育機関によって統制されてますし、後者は実にお役所仕事的で、そもそも存在を知らせようとすらしないという現状があって「就業の自由化」には、程遠いのが現状。
 そのうえ「最初っからフリーターになるな」では、教育機関の先生方は、最初っから生徒に「人間としての尊厳」を認めていないとしか思いようがありません。
 なんか、余りよくまとまっていませんが、今日はこの辺で。


 足立区新田高校リンクス

東京都立足立新田高校
 時代の最先ターン!超変化(笑)

かみひろ時報
 サラリーマンが夏場にスーツを着ているのも「でたらめな風体」だと思うんですが、どーでしょう。

戦後教育暗黒史
「全部左翼が悪いんだーーーーーっ」と心の叫び。ハイハイ。

ニキニキ日記 3月15日
 平均点的な意見。モラトリアムとはいうけれど、じゃあその会社なり社会は個人に対する義務をちゃんと果たしているんですか?

テキスト版クローズアップ現代
「フリーター防止ガイダンス」を扱った番組の概要。
「君たち、自分たちには関係ないと思ってるんだろっ!」とのお言葉、校長自身にお返しします。

伊集院光のプロフィール
 この人は高校生の頃から「楽太郎の弟子」という仕事をしていたエライ人なので、ぜひ「フリーター防止ガイダンス」に呼ぶべきだと思います。ていうか、呼べ。


 ああ、クローズアップ現代、見てぇ。

00/07/21(追記分)

道義くんがやっちゃった


 あー、面白いものを発見してしまいました。

 結局さ、みっちーの言う「父性」と、社会学的に言う「父性」ってのはまったく別物なんだよね。まぁ、この点は俺も「父性の復権批判」をした当時にはまったく気づいてなかった点なんだけどね。
 つまり、みっちーの「父性」ってのは「男親としての肉体的行動」とでもいうべきものであり、だからこそみっちーは生物の進化がどうたらなんて書いているわけだ。
 けれども社会学的に言う「父性」っていうのは、人間が社会的に生活しようとしたときに発生する「概念」であり、これを結び付けようとすると「人間の社会的規範は遺伝によって成り立っている」という、まったく何を言っているのだか意味不明の理由付けをする必要がでてきてしまう。.

 本来「父性」を考えるのに重要なことは「父親自身も息子である」ということであり、つまり「父親自信も何らかの父性によって規定されている」わけである。よって「父親(肉体)」≠「父性(概念)」であることは明白である。
 外国だったらこの話は簡単に通じるんだ。つまり「神」という概念が「父性」であることを提示してあげれば、間違っても「父親」=「神」なんて認識の仕方をするはずがないんだから。
 ところが「象徴天皇の国 日本(「戦後」ではなく、日本では歴史の長くが「象徴天皇性」であったことは、明白である)」では「公的概念」がないから、その辺がよく分からないのだ。
 日本で「父親を規定するものがある」というと、その存在は「会社」とか「日本」になってしまうのだが、そういった「機関」というのはもともとその「公的概念」の代行者に過ぎないのである。それは「裁判官」が公的概念である「法」の代行者であることと等しい(なのに日本では「裁判官の裁量」などという、わけの分からないものが存在する)。

 まぁ、この辺については勉強中(「ロルティ伍長の犯罪 <父>を論じる」という本を読んでます)ですので、またいずれ。
 どうにしろ、みっちーには「父性」の話をしているのか「ボクのお父さん」の話をしてるんだかくらいのことはハッキリと認識してから文章を書いて欲しいものです。

 ちなみに、よしりんとの「中途半端な左翼的運動からの転向組(「ブント派全学連の常任中央執行委員」ってのは、傀儡として、いいように操られてたってことですか?)」対決は非常に興味深し。森発言並みに楽しみ。どんどんやれ。


P.S.しかし、よしりんを「父性欠如」と批判するのはいいが、その理由が
第一に、礼儀作法を守れないという特徴。小林氏の場合は「守れない」というよりは、意識的に反抗しているところがあり、その意味で反権威主義の特徴をもっている。年長者の人生の重みに対する敬意がなく、また長幼の順や権威といったものに対するほとんど条件反射的な破壊衝動が見られる。
 って言ってるんだから、大笑いである。
「年長者の人生の重み」って、じゃあ王政や宗教的共同体の中で、一般の老人より特権階級の子どもの方が重みを与えられるのはどう説明するつもりなんだろうか?そしてそういうところにも「公的概念たる父性」が存在していたってことを。
 本当に都合のいい「父性」だよなぁ。

00/07/21

どーなってるの?鐵扇會


「神の国コラ問題」続報。
 河上さんがひとまず経緯を公開。
5)実際に譲歩したのは鐵の側である。鐵としては「画像撤去」以外に道はなかったが、「天皇 じゃなくって 黒いシルエットに ? ぐらいなら 万歩譲ることにした これで どだろか?」という譲歩があった。それは私の修正予定範囲に近かったんで、こちらとしては何ら譲歩することなく話がまとまるし、与謝野落選のお祝いもかねてそういうことにした。これが7月頭のことである。
 別にここでの河上さんの判断にはなんら問題ない。
 彼自身は「天皇陛下の顔写真」に「天皇陛下の顔写真」以上の意味を見ているわけではないのだから、その写真をどう加工しようと、そこに問題点を感じることはないだろう。
 しかし、分からないのは鐵屑の方である。「万歩譲ることにした」って、昨日も書いたけど「天皇陛下の御姿を譲る」という発想がなぜ出てくるのか?(もちろん彼らにとっての「日本」とは主体的存在ではなく、自己の内に存在する「象徴的存在」だからだけど)
 どっちかといえばこっちの人の方が、本当に右翼的思考をしていると感じられる。
2)そこへ「天皇陛下の画像を変えられないか」といってきた人がいた(鐵ではなかった)。その人は「天皇陛下という文字は出してもいいから姿はやめてほしい。天皇陛下がかわいそうだ」といってきた。それは私の理解できる主張であり、むしろ変えたほうが私の「森攻撃」の意図が明確になるかな、と思ったが、意地があるので断った。ただ単に断るのも無下にすぎると感じたのは事実だ。そこで、いくつかの条件(森・八代・与謝野の全員落選、森の謝罪、盗聴法廃案、など)が満たされれば取り下げにしてもいい、ということにした。
 私がもし右翼だったら「天皇陛下がかわいそうだ」とは言わないものの(「御姿を図版に利用するのは、不敬であると考える」くらいのことを言うかな)、やはり「天皇陛下」という文字しか認められないと思う。だって、天皇陛下は「絶対的存在」であり、論評対象ではないのだから。

 鐵扇會は「バーチャル右翼」であるらしいが、本当は「思想そのものがバーチャル」のようだ。
(「右翼趣味者」とか自称してくれれば分かりやすいのにな)

00/07/20

ニポン怖いです。行きませーん。


 先日の日記の佐野市に対する表現を「超共同体体質」と書きましたが、これだと「共同体を超えた」みたいに読めてしまうので「究極的共同体体質」に変更します。
 あと、英語のテスト用紙の件にも言及しておくと、あの件で俺は元々不信の対象だった先生よりは「その先生に必要以上に順応する生徒」の方に怖さを覚えたんです。
 結局、俺が佐野市のことを大嫌いなわけは、いい人だけでなく、悪い人までが同一の共同体の中でなあなあでくらしている情況なわけです。
「悪い人の正当性はないけど、法規外に存在が許される(そしてそれに一定の理解がある)」いわゆる下町的な社会と「悪い人ですらシステムに組み込まれる」中途半端な田舎社会はまったく別物です。

 沖縄サミット、ファーストレディは軒並み欠席の様子。
 金大中は生命の危険を冒しても南北の統一を考える必要があったんだが(そしてその姿勢が金正日にとっては利用価値だった)、サミットの場合は出席国の中で日本を重要視してる国なんてないもんなぁ。何が悲しくて、こんなアジアの過去の国(「現在の国」韓国だったら来ると思う)に命の危険(「沖縄」が火薬庫なのは世界では常識。民族主義者のテロの可能性を考えないのは日本人だけ。実際、爆弾が何個か見つかっているらしいが国内報道規制との噂)を冒してまで来なきゃならないのか。
 しかもホストは「来てもらってボーッとされても」と「大統領夫人の政治的役割」をまったく理解していない様子だし。(いったい何なんだ?あのバカは?)

 いっそのこと、シラク大統領以外来なけりゃ面白いんだけどな。ていうか、日本のことを考えてくれるなら、来るな。そうでもしないと、日本人は「世界から見た日本」を一生自覚できないだろうから。

 河上イチロー氏「神の国コラ」問題で掲示板紛糾の予感。
 同時に鐵扇會の不敬っぷりも明らかに。
 本来なら鐵扇會の存在をも揺るがす大問題。しかし、鐵扇會側は今だ紛糾の兆し無し。
 所詮「J右翼」だよね。自分たちが何をしているか理解すらしていない。「天皇陛下は自分の存在確認のためのツール」って扱いをしているのに。
「天皇陛下の扱いを交渉」なんて、天皇陛下が絶対的存在の「右翼」の人にとっては絶対にない考え方だもん。
 現実の「右翼団体」に鐵扇會の行為をチクったら面白いかも知れないね。

00/07/19

日本の教育。その事例


 マニア必見。ドクターペッパーが1ケース当たるぞ。今すぐ応募だ。

 素敵な事件。さすが佐野市。
佐野市には「親殺し」よりも「子殺し」がよく似合う。
(さすが超共同体体質。ニューカマーにまったく対応できない社会性。17才で人生END)


 下のエミュレーターの件は難しい理屈をこねているように見えますが、単純に言えば、
「社会性を持て」
 ということです。単純ですね。


 ラーメン王石神暴行事件。石神はしきりに反省の様子(演技)。TVというメディアの使い方をよく心得ているなと、その意味では関心。
 一方「殴られたから許せない」で主張し続ければいいはずだった被害者側は「謝罪のチャンスは何度もあったのに謝らなかった」とか「自分(石神)の親に暴言を言った」などと「感情的に許せない」状態に移行し、TVメディアの使い方を理解していないことを曝す(まぁ、素人ですから)。
 たかだか一発殴られた程度(もちろん暴行なんですが、その程度では刑事事件としては相手にされません)で「感情的に許せない」では、TVというフィルタ(さらに、これを放映していたのが日テレ)を通してみると、「素直に謝るラーメン王」VS「闇雲に怒り、必要以上に金をせびり取ろうとする人」になってしまい、非常に不利。
 だからね、こういうときは「殴られた1点のみで民事訴訟を起こして、こっちのほしい額を提示して、それでしゃんしゃん」が一番効率がいいんですよ。誰か被害者の人に教えてあげてね。
(別に信念でやってるんなら構わないけど、せめて1ヵ月のケガくらいじゃないと、刑事の方はどうしようもないよ)


 さて、Loft/PlusOneの話。
 ていうか、その話は一切なしで、その時に俺が何を考えていたのかということを書きます。

 中学生の時なんですが、掃除の時間が終わったあとに、俺の英語のテストの回答用紙がぐちゃぐちゃになって落ちてたんですね。
 で、それをみて英語の教師が「テストを捨てるなんて何事だ!!職員室に来い」などといいたれやがった。
 俺としては、英語は嫌いだった(ので、点数もあんまり良くない)ものの、特に紙をぐちゃぐちゃにした覚えもなく、普通に机の中にいれておいたわけ。ていうか、誰がどう考えたって「掃除の最中にたまたま机から落ちた」だけであり、しかも俺は教室の掃除当番でもなかったんだから、怒られる理由はどこにもないんで、完全に無視して行かないでいた。

 その時の情況がいまいち記憶にないんだけど、掃除の後の時間に英語の先生がいたってことは、5時間目が英語だったのかな?問題の回答用紙はいつ返されたんだろう。確か当日だと思うんだけど。
 そうか、5時間目の英語の時間に俺の落ちてるテスト用紙を見た先生(「先に生きている」という以上の意味はなし)が授業をやめて職員室に戻ったんだな。俺に「職員室に来い」なんて言って。
 もちろん当時の俺は「そんな事で授業をほっぽらかすなんてバカじゃねぇの?まぁ、やらないっていうなら、適当に休んどけ」くらいに思って、行かなかったわけだ。
 ところがさ、誰だったか忘れたけど、なんか俺に「謝りに職員室に行け」なんて言い出すのね。
 あ、その前に誰かが職員室に先生の様子を見に行っていたな。多分「赤木が自分で来るまで絶対に行かない」なんて事を言っていたんだと思う。
 で、俺だ。
「行け」なんて言われても、濡れ衣着せられた以上、意地があるじゃない。当然「行かない」ですよ。
 そしたら、何を思ったら、俺のことを力ずくで行かせようとしだすんだよね。
 ただし「力ずく」といっても、殴るとか蹴るとかじゃなくって、引いたり押したりね。
 まぁ、そんなこんなでしばらく揉めてたんですが、俺もいい加減ばかばかしくなって行きましたよ。職員室へ。
 んで、言葉だけ「すみません」なんていったら、向こうは先に行った生徒から「掃除の時に落ちただけ」なんて事を聞いていたらしく、そんなに怒ってはいませんでした。んで「ちゃんと話せば分かるんだから」とか何とか言って、丸く収まったわけです。

 喜劇喜劇。「話せば分かる」も「謝るべきだ」も本当は俺に言うべき言葉じゃないでしょ。だって、ロクに話も聞かずに授業をボイコットして、生徒に迷惑かけたのは誰よ。
 たしか先生は職員室に俺にごめんくらいのことは言っていた気がするが、そんなところで俺に対して謝ったって、しょうがないじゃない。ちゃんと教室で生徒に謝って、俺の名誉を回復しろよ。本当に謝る気があるならな。
 なんか本当に「先生と生徒」が1体となった、面白い茶番劇でしたよ。まぁ、その茶番劇のために一人犠牲になった生徒のことなんてのはどうでもいいんでしょうな。
 最近は「学級崩壊」が叫ばれてますが、こうした事例をみるに、最初っから日本の教育は崩壊してるとしか思えません。中学校でこのレベルだったんだからさ。

 なんて事を考えてました。

00/07/18

エミュレーターはIllegalである


 東スポ「ラーメン王石神、暴行傷害で逮捕」と1面報道。
 ほんとかどうかは知らんが、TV出た程度でカリスマを気取る奴が、そういうことをしても不思議じゃないよね。
 というわけで、こんどは「未来日記出演者による暴行事件」でも起って、あの番組が消えてくれることを願う。(「ウンナン」は「ウリナリ」でプロパガンダをやり、「笑う犬」では小渕ネタ。でもやはり「未来日記」の「TVによる人格コントロールOKの世論形成」が一番強烈で、いつ見ても気持ち悪い。誰が操っているんだろう?)


 週間アスキー(立ち読み)、中古ゲーム関連の話、ARTSとどっかの人(ACCSだったかな?)の討論。
 ていうか、これに関しては「頒布権」などという過渡期につくった権利を振りかざすのではなく「ハードウェアとソフトウェア」という話を、今の市場を抜きにして語らないと、話にならないのではないかと思われます。
 ゲームやパソコンソフトはもちろん、本やCDやDVDなど、全てに関係してくる問題です。だからこそ「決死隊」のような単純な違法コピーの事例すら仲間意識で擁護してしまうようなお子様のメンタリティには辟易させられるのですが……。

 そこで、掲示板の件でひょっとしたら嫌われたかも……のねこねこさんの7/9の日記より、一行引用。
>■ 上の話も含めてどれもこれもゲームで遊ぶためのものという観点でのお話です。エミュレータの魅力ってそれだけですか?
 まったく、その通りだと思います。エミュレーター擁護派はこの点に言及しなさすぎる。
 マズイのは現在のエミュレータというものが「違法コピーのためのものでしかない」現状であって、たとえば「エミュレータを利用したフリーの簡易ゲーム作成ツール(「簡易」といってもRPGツクールなんかの「簡易性」ではない。「単純だけど、強力なツール」という意味)」みたいなものが存在すれば、また話は違うんですよ。かく言う俺も、そういう現実レベルでゲームコミュニティ(「日本のゲーム界」ではないので注意)に利益を与えるものさえあれば、擁護する気はあるんだし。
 結局さ、エミュレータを擁護したいんだったら、現在のエミュレータの情況がIllegalなものでしかないことを認識する必要があるよね。その上で、いかにしてそのIllegalが支持を得られるようにするかが重要なわけ。要は、テロリストと同じですよ。
 テロリストはテロ行為を行なったあとに、テレビカメラを必ず呼んで、自分たちがなぜこのような行動をおこしたかを説明する。それがIllegalなものが支持を得るための、基本行動なんですね。
 だから、エミュレータ擁護派は、その行為が「企業テロ」であることを認識し、いかに自分たちの行為が正しいのかを社会に解説していくべきなんです。
 ところがたいていは自分たちがIllegalであることすら認識せずに、ただ闇雲に「ヤバイから」という理由で地下に潜り、こそこそとROMの交換してる。それじゃいつ潰されたって文句は言えないわけです。
(まぁ、その点では堂々とWebサイトを開設していた「決死隊」は立派というか、バカラ軍曹(♪でもね アレレ どうしたのかな ツメがあまいぞー)というか……理屈(VS社会なんだから、エミュ愛好家だけに分かる文面じゃ全然ダメなんですよ)は全然ともなってなかったけどね)

 話を中古問題に戻します。
 中古問題でどうも腑に落ちないのが、話が常にユーザーVSメーカーという形でしか出てこないって事ね。
 結局、クリエイターがサラリーマンに過ぎず、まったくこの話に絡んで来られないのが原因なんだけど、その時点でもう不健全な状態であるという指摘はしておかないといけないと思います。ここを無視していくら経営の話ばっかりしたって、どうしようもないです。そんなことしたってネットオークションにユーザーが流れてしまえば、まったく意味がないわけで。
 結局、開発費高騰によるメーカーにおんぶに抱っこのクリエイターの体質と、きちんとゲームを論評しえないユーザーの体質が変わらないかぎり、中古問題の解決どころか、ゲーム業界自体がどうなるか分からないというところが正直なところでしょうね。
 もっとオタクが濃くゲームを語る(VS社会で)事を望みます。(ゲーム批評は最近読んでないけど、どうしても「いまいち」の感がぬぐえないんだよなぁ。どっちかというと、デジタル噂真こと「サイゾー」の方が期待できる)

P.S. ああやっぱり、中古問題はちゃんと下調べしてから書く必要があるな。

00/07/17

すっごく素敵なランディさん


 日記更新だいぶ遅延。ゴメン。

 ところで、今思い付いたんですけど、例の金属バット少年が北海道を目指していたというのは、やはり某ハチのマークのメーカーのあのゲームにあこがれての事でしょうか?もしくはリアル「センチ」だったのかも。(笑)

 7/13。「17才のバタフライナイフ」発売記念の別役先生と宮崎親分の対談(+宮台先生)を見にLoft/PlusOneへ。
 その前にこっちでは全然できない(できるけど、底が浅い)本屋巡り。しかし、あっちの本屋を回ると、佐野周辺の本屋のスカスカ加減が凄く感じられます。ていうか、佐野周辺の本屋は「本屋」なんですか?本が全然ないんですけど。
 それはともかく、ネットのカリスマこと素敵なランディさんの「もはや消費すら(以下略)」の現物を始めてみたので、パラパラめくって、たまたま止まったコラムの一編を読んでみる。
 話としては、耳や感触で全ての世界を認識していた盲目の人が、家族や親戚の勧めかなんかで目の手術を受けると。
 ところが数日後にその人が自分の目を突き刺そうとしたと。理由は今まで自分が認識していた世界と、目で見る世界のギャップに堪えられないとかなんとか。
 しかしある日、太陽の日差しを見て「暖かい色だなぁ」と思ったら、そういう色を「暖色」と呼ぶことを聞いて、何となく自分の目でものを見ていくことの自信がついたんだそうだ。
 で、これだけなら、よくありがちな、産経新聞にでも載っていそうな3流コラムなんだけど、素敵なランディさんの真骨頂はここからで、この話のオチに「彼は希望というものを手に入れた」とかなんとか書いてしまう。
 へ?希望?
 つまり、この目が見えなかった人は、今までの自分の「感覚」と、目で見たときの「感覚」の離反に苦痛を感じていて、それが「暖色」という色の存在によって、自分の目の「感覚」が間違えてなかったことで多少自信を持つことができたわけだろ。でも、それはあくまでもその範囲だけの話であって、今後も「今までの感覚」と「目の感覚」の離反は続くのであって、それは「希望」なんて言葉で括れるほど、単純なもんじゃないよね。
 ひょっとすると素敵なランディ先生が「希望」という言葉の中にそういうエアポケットを見ている可能性はないではないが、それはたいていの読者には伝わらないものであって、結局はどちらを取っても素敵なランディさんはプロの物書きとしては、まったく適正がない。
 しかし、たまたま読んだコラムがこんなにひどいものだということは、あの本全体に、どれだけ読むに堪えないコラムが書かれているのだろうか?興味は尽きない。(でも読みたくない)

 それから、ゲーセンでちまちまゲームなどをしつつ、Loft/PlusOne。この辺の話は明日か明後日書きます。

 さて、寝床もないので、池袋のまんが喫茶でひたすら「一撃〜鋼の人」をプレイ。ひたすら修業を行ない、別にジャンプするわけでも、必殺技があるわけでもない、極真チックな地味な対戦を行なうゲーム。ローディングが非常に長し。一言で言うならクソゲーなんですけどね。で、なんでみやむー?

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