2月の日記。
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(「f」は上旬「l」は下旬です)

ご意見ご感想はメール、もしくは掲示板までよろしくお願いします。

著書、絶賛発売中:『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)

スタイルシートを導入しています。
「読めない」等ございましたら、掲示板等にて教えてください。


00/02/29

もうやめない?



 昔、友達と同人誌つくったときに、その対談の中で「子供に「何になりたい?」って聞くのってひどく残酷だよね」みたいな話になった。話のきっかけは、どっかのアンケート調査で子供に対して「何になりたいか?」っていう、いかにもありきたりの質問をしていて、その「なりたいもの」のなかで「サラリーマン」ってのが結構多くて、そのアンケートの総評みたいなものが「最近の子供は夢がない」って感じで〆られていた。
 そのなかで話したのが「そもそも「何になりたいか」ってのは「何で喰っていきたいか」という話であって、子供はそれを要求してることを見破っているよね」ってことで、つまり、この質問自体が子供に「理想と現実」の区別を否応なく要求するものであって、ひどく残酷だと。で「夢がない」なんて、そもそも「夢を剥ぎ取った質問しておいて、何を言ってるんだ」って。

 さて、話は掲示板のラインなんちゃらとかの捨てハン使ってる電波君に移るんだが(ちなみに「通りすがり」さんが「ケンカを売ってるつもりはない」と言ってくださいましたが、私としてもあなたにケンカを売られているつもりはありません。下の方で「通りすがりのハンドルを禁止に……」なんて書きましたが、これはハリボテ君という、これまた電波君がずいぶん前に掲示板で「通りすがり」の捨てハンでごちゃごちゃぬかしたことがあったんで、それをちょっと思い出してしまっただけのことです。もちろん、今掲示板に書き込んでくださっている「通りすがり」さんは普通の方だと思ってます)、彼の言っていることで「ああ、普通の人もよく言うな」ってのがあって、それは「こんなところで愚痴言ってもなにも変わらないのに」って部分なんだけどね。
 つまりこれってのは「愚痴を言ってる暇があったら、それを実現してみろ」って事でしょ。逆に言えば「実現する気が無いんだったら愚痴るな」ということでもあるわけだ。
 一見、真っ当な意見のように思えるけど、これこそが25日分で書いた「日本的ルサンチマン」そのものであるわけ。つまり、社会とか政治ってものに対して必要以上に構えちゃってるんだな。「社会を相手にする以上、それを実現しなければならない」とか「言ったってどうせ実現できないから、最初っからやらない」って風に。
 ところが俺としては政治や社会に関して、そういうものを一切感じていない。別に「実現」とかいうものは二の次で、とりあえず「日記」として、思ったことを書いてしまえ、って考えてる。多分それがDさんあたりが違和感を感じるところなんだろうな。
 まだ日本がバブル経済だったころ、日本の政治力を揶揄して「経済は一流、政治は三流」なんて言われていた。これを聞いた日本人は「まったく日本の政治家は……」なんていっていたものだが、そうじゃないんだ。政治ってものは国民全員のものなんだから、日本国民全体のレベルが三流だって事なんだ。政治は社会を担うんだから、政治家だけのものであるはずがないんだ。
 別にさ「社会を語るのが好き」くらいの感覚でいいんだ。なにも社会を語ったからって政治活動をしなければならない理屈なんてどこにもない。やはり全共闘の時に「社会」と「政治活動」があまりにも結びつきすぎたんだ。そしてそこでやたらハードな議論が交わされすぎた。そのまま日本では「政治はハードでなければならないもの」となってしまった。結果「餅は餅屋」的に政治は政治屋にまかせっきりになってしまった。
 だからね、結局の話、日本の政治のレベルを上げるには、わけの分かんないオヤジが昼間っから酒飲みながら語るでたらめ政治論のレベルが上がることが必要なの。少なくとも「消費税増税=増税」なんてなっているうちはダメ。それじゃ日本の政治はいつまでたっても3流のままだよ。

 もう全共闘から30年も経ってるんだから、そういう考え方はやめて、もっと気軽に政治だろうが社会だろうが語ればいいんですよ。間違えたら「間違えました」でいいんだからさ。そしてそのリソースを「その気がある人」が活用すればいいんです。
00/02/28

まぁ、ちまちまと書きます



 週に1度のお楽しみがんばれゲイツ君を読む。

 やはり「concon問題」についてちょっと触れている。
 こんなくだらないバグでもNet上で仕掛けられたりすると「ハッカーの仕業」とかマスコミが報道しそうですな。

 他には米UNISYSのGIFフォーマットの件(フリーライセンスは金儲け目的)と、例の著作権情報センターQ&A(フリーウェアは金儲け目的)問題、中国でのTurbo Linux人気(RedFlag Linux(笑))、プレステ.com(でも初期ロットは……)、そしてY2Kと229問題と。

 そいえばY2Kに関しては中小企業の8%が何らかの被害を被ったようです。
 あまりにも被害が少なくて「ソフトウェア業界の陰謀だったんじゃないか?」なんて声も聞かれるY2Kですが、8%は結構な数字ですね。さらにこれに関しては現在判明している分のみであり、ヘタすりゃコンピュータ内部でバグが進行していて、表面的には見えずに「気づいたときには手遅れ」なんて事態もありえます。なので、事業家の皆さんはデータのバックアップをお忘れなく。
 あと、229の特殊閏年問題については、もし仮に閏年の処理を「if(iYear%4 == 0)(西暦が4で割り切れるならば)」のみとしているならば、2000年は閏年と見なされるのでまったく問題なし。
 さらに「if(iYear%100 == 0)(西暦が100で割り切れるならば)」の時が「閏年ではない」ことを知っているならば当然「if(iYear%400 == 0)(西暦が400で割り切れるならば)」の時が「閏年であること」だって知っているであろうと。
 だから、日付間違いの問題はほとんど起きないんじゃないかな。

 ただし、閏年処理が単に「閏年であるかないかのフラグ立て」でしかないなら問題ないけど、閏年処理の結果によって直接異なる関数に飛ぶような場合(プログラムのソースはなるべく分かりやすく書くのが基本だが、ステップ数を少なくすることばかりに気を取られている奴がいるのも事実)だと、その関数のエラー(関数名のタイプミスとかも)がでてくる場合があるけどね。

 おっとここでおもしろ気なニュース。
 Direc TVとSKY Perfec TVが統合との話。
 一本化は視聴者としては便利だし、放送側としても便利。
 ただし、SKY Perfec TVの独占状態はどうだろうか?
 まぁ、見守りましょう。

 んでは。
00/02/25(追記分)

日本的ルサンチマン



 なんか掲示板の方に俺が社会に反論する話を書いているってだけで
「「社会=悪」とか言ってるお前はルサンチダメダメ野郎だ!!」
 なんて書いてるおもしろ君がいますが、俺は彼のような「社会に唾して喜んでるのは……」なんて連中こそが実に日本的なルサンチマンを持っていると考えるわけです。
 そもそも日本人が社会に対して物を言うことを「ダサい」いや、別に「イケてない」でもいいんだけど、そういうふうに考えるようになったのは、やはり「全共闘世代の敗北」ってのが大きいわけ。
 「全共闘世代の敗北」ってのは橋本治が言うところの「大人はわかってくれない」なんだけど、実際に全共闘で戦った連中(トップではなくて、中間部分で暴れてた連中。トップは安田講堂の時にはもういなかったわけだから)は実は何に負けたのかなんて分かってないわけだ(もちろんこれが勝ち負けの問題ですらなかったって事すら)。

 まぁ、その辺の分析はお好きな人に任せるとして、全共闘世代は敗北したと。
 で、その時に一部の人は「それでも戦い続ける」という選択をした。まぁそういった連中が後のセクト世代をボロボロにしたわけだけど、善し悪しは別としてそういう選択をした。
 一方、大多数の人は「大人はわかってくれない」から戦いをやめた。そしてその世代が会社に収まり、現在を支える年代となった。
 さて、その年代の人がどうなったかといえばごらんの通り、見事に「分からない大人」になった。その過程はこうだ。
「敗北した自分」がいるわけないだけど、「自分の」敗北は認めたくない。そこで「負けた自分が間違っていた、自分は子供だった」としたわけ。
 つまり「変えにくい世間」を変えることを諦めたかわりに「変えやすい全共闘」を変えることを選択したわけ。それでようやく自分のアイデンティティを確保することができた。つまり「自分は目覚めたんだ」と考えることにしたわけ。(なんか「つくる会」に賛同した人もそんなこと言ってるね)
 それがつまり「社会に対して文句を言うバカな人」「文句を言わない努力家の俺」という優越感になったわけ。
 結局は彼らは極度のチャーチ嗜好(宗教概念なんで、ここに適用するのは間違っている気もするが、セクトがOKなら、これもOKでしょう)と化した。

 わかる?全共闘という巨大なセクトで戦い続けることが出来なくなった人間が、自分が間違っていたことを認めたくがないためにチャーチにはまり込んだのが、今の「分からない大人」であり、この考え方はまさしく「ルサンチマン」なんだよね。
 だいたい、大前提としてわれわれは社会の中で生きてるんだよ。だからその社会という入れ物に不満があればそれを「いいもの」にしようというのは当然だし、だからこそ社会に対して「論」もする。そしてその「いいもの」というのは時代によって変わっていくものだから、常に社会に「論」(もちろん同意も反論も含むんだよ。わかってる?)していくのは社会に生きている人間としての「当然」であるわけ。言葉を変えると、「絶対」なんてものはないんだから、常に「相対」をすり合わせていくしかない。ってことだ。

 ところが日本的ルサンチマンを持った人間というのは今現在の社会を「絶対」と考えている。そう考えないとアイデンティティを確保できないからだ。だから社会に反する「セクト的思考」を持った人間に対して、憎々しいまでの反感を抱く。自分が踏んだ「社会に反しているのは子供だ!!」という道を辿らせようとする。自分が正しかったことを証明しようとする。彼らは自分の生きている「社会」ではなく、まったく別のものである「個人」に「反論」(まさに反論のみ)をする。それが現在の日本を覆っている、全共闘敗北世代の日本的ルサンチマンなのだ。
00/02/25(追記分)

まぁ、そんなこったろうと



 もういいかげん朝の10時なので寝ないとまずいのだが、最後に「日の出講芸」のサイトに行ってしまったのが大間違いで、メモがわりにこれだけ書く。

 アンチゴー宣のページが更新されてて、それを見るとあの「漬け物石」が50万部突破しているらしいのだ。で、それはどうも池田の大ちゃんの本がベストセラーになるのと同じような状態らしいのね。そのことを詳しく書いているのが「『国民の歴史』のばらまき問題」という文章。

 特に、
6) 東京・練馬区の石神井公園団地では、全戸の郵便受けに投げ込まれているようだ。この団地は1棟40戸で10棟あるが、同団地に住むYさんの棟全戸の郵便受けに投げ込まれていた。他の棟についても、Yさんの知人(複数)に問い合わせた結果、全棟に投げ込まれていた。
 なんて、彼らの異常性を表わしていて最高じゃない?
 だって、あの広辞苑並の分厚い本が全戸(400戸)の郵便受けに投げ込まれてるんだよ。よく誰も通報しなかったよな。オウムのビラなんて目じゃねぇって(笑)。
00/02/25

戯言



 テクノ歌謡のアルファ編を買う。
 これでテクノ歌謡シリーズはコンプリートですな。
 結局アルファが最後になったってのはすでに持ってる曲が多数だったからだけど、もう「真空キッス」だけで十分幸せです。
 そいえば、昨日ちょっと思い立って、Yahooオークションで戸川純がらみを見てみたら、レコードとかあって、ジャケが大写しになっていて「レコードの方がジャケが大きくていい」という人の気持ちがよーくわかりましたわ。
 もちろんその写真はいただいておきました。
 あー、でもなー。「ダイヤルyを廻せ」は3年前くらいまでは確実にCDショップにあったんだよー。なんで買わなかったんだろうか?まったくCDってのはあるときに買っておくもんですな。


 さて本題。
 「HTMLにこだわる」「テーブルにこだわる」
 今回の主役はこの Steve Mulder という人が書いた2つの文章です。

 この人は一見、いいことを言っているように見える。
 ひとまず「HTMLにこだわる」のトップのページに書いてあることは基本的に同意できることばかりである。
 シンプルなコードはサイトの保守管理を容易にするし、ブラウジングするユーザーも表示が早くなり、いいことずくめである。
 ところが彼はこうも言っているのだ。
 各テクニックを見ていきながら、そのテクニックを使うときに発生するかもしれないリスクについても述べるつもりだ。完全に大丈夫なテクニックもあれば、ダウンロード時間の短縮のために「純粋なHTML」の道からはずれてしまうテクニックもある。自分のサイトにやってくるユーザーたちを気持ちよくさせるだけの価値があるリスクかどうかを判断するのは、使うひとの判断にまかせたい。
 ??ちょっと疑問を感じつつ、中身をみて行くと……。
 なんかほとんど重箱の隅をつつく程度のことをやってる。確かにいらない属性やら繰り返しは必要ありませんよ、それはそうだ。けれどもタグに関しての理解がインターネットが鳴り物入り状態だったころの解説本レベルなのはどうにかなりませんかね。
 垂直方向のスペースが欲しいときは、旧式の<P>タグのことを忘れちゃいけない!1行以内に<BR>タグを何度も使うのは、余分なスペースを得るためには安易な解決策でしかない。
 ってなんすか?<P>タグも<BR>タグもスペースを空けるためのタグではないんですがねぇ。
 誰もが普遍的な規格に合意しない限りは、同じ目的を持つタグがばらばらに存在していくだろう。だから、同じ処理をさせたいときには、つねに短いタグのほうを使うようにしよう。ここで、簡単な一覧表を紹介しておこう。

太字にするときは、<STRONG> ではなく<B>を使う。

イタリック体(斜文)にするときは、<EM> ではなく<I>を使う。
 これも無茶苦茶。STRONGタグは「強い強調」でBタグは「太字」。EMタグが「強調」でIタグは「イタリック体」。つまり、ブラウザで表示されるときにどっちも同じ表示をされるってだけで、それぞれのタグの意味はまったく違うのである。こんなことはまともなHTMLリファレンスなら書いてあって当然なのである。

 これだけでも失笑者なのだが「テーブルにこだわる」の方のこの部分
 さて、この最後のテクニックを使って、限界まで挑戦してみよう。これは公的なHTMLではないし、あまり知られていないブラウザでは不具合が発生するかもしれないため、注意して使う必要がある。

 HTMLのタグを閉じてないときに(とくにテーブルを使っているときには)、たいていのブラウザではそれを気にしないという事実が ある。次のコードを削っていってみよう。

<略>

 ほとんどの閉タグ(</FONT>、</I>、</P>など、また</TD>と</TR>さえも)を削除しても、メジャーなブラウザだと、結局はこのテーブルはその意図通りに正確に表示される。

<略>

 繰り返すが、コードが少なければ、ページは速くなるのだ!
 にいたっては爆笑である。ていうかバカ?

 そりゃ「どうせブラウザで見るだけなんだから、ブラウザに関係しなければ何をしてもいいじゃないか」という気持ちはわからんでもない。
 しかし、ブラウザってのはどんどんアップデートされるものなんだよね。
 その際にHTMLの規定にしたがってないものはいくらでも意図しない形に変更される可能性がある。その際の保守管理の手間を考えれば、HTMLはできる限り正確に書いていくのが1番ラクである。
 また、彼の方法でせいぜい100バイト程度を程度を削ったところで、通信インフラは整備されてどんどん早くなっていくのだから、そこでの100バイトがいったい何秒の差になるというのだ?
 確かに商用サイトではそれが勝負の分かれ目かも知れないが、それならばサイトを細かくくぎって、ページ毎のサイズを減らしていくとか、手段はいろいろあるわけですよ。わざわざHTMLの文法を破るというリスクを冒す必要なんかない。

 まぁ、こういう考えの人もいるんだなぁ、と。それだけですね。
00/02/23

今日はメモだけ



 インターネット詐欺で逮捕された「なかにし」君。
 騙されてしまった方のページ。

 そろそろ本格的に「中古ソフト」について書こうと思う。

 マスコミ連中「定説」高橋君を嘲笑状態。まぁ、確かに大手の定説屋であるところのマスコミからすればプロパガンダの伴わない定説など、定説に値しないだろうからね。
 「9条改正は定説です」

 寝る。以上。
00/02/22

佐野ってこんなとこ



 カルドセプト、初期ブックで全クリアを目指す、セプターにはおなじみ「チャレンジ君」開始。
 ブックは「火・地」ブック。
 ゼネスには余裕で勝つも、セバスに負けかける(なんとか勝ったけど)。
 ていうか、グレムリンがいないと、援護系のクリーチャーの土地レベルを上げられると手も足も出ないんですが……。

 えっと、前述の通り、実家に帰ってまいりました。
 で、親とほとんど断絶状態(こっちから)だった俺がなんでわざわざ実家に戻ったかというと、引っ越しの許可を得るためです。そうです。
 ヨブは佐野へ帰ります。
 とろろ美味しゅうございました。って、死ぬんじゃないけど。

 さて、ヨブが佐野に帰ると部屋が南向きになるんで衛星放送が見られる。と、いうわけで、ヨブはスカイパーフェクTVを見ようと考えました。なぜならあの「北野チャンネル」が見れるから。
 北野チャンネルは年末に「シベリア超特急スペシャル」を放送したり、ターザン山本が出ずっぱりだったり(嘘)、まぁ、非常にキレまくったコンテンツなので、ぜひみたいと思ってました。
 そして聞けば「サイトがある」との事なので見に行くと……。

 えー、気を取り直して。ここから佐野の話題。
 まぁ、引っ越すんで、久しぶりに佐野の情報でも集めようと思い、佐野関連のサイトをチェック。
 まずはここ「EVER GREEN HOME(多分これがサイト名だと思うんだけど……)」
 なんかトップページからサイトをつくる際にやってはいけないことを全部やってる。なんだこの無意味な画像の群れは。ラーメンとミステリースポットのサイトじゃないのか?
 さらに、フレームの使い方を100%間違えてる。せめて1度はクリックしてチェックしようね。
 あと、この「佐野ラーメンの歴史」というページ。いいたいことは分かるが日本語が無茶苦茶すぎ。しかも見出しとその内容があんまりあってないしな。
 あと、わざとやってんだかなんだか分かんないけどさ、トップページのMIDPLUGのコントローラー。実はGIF画像です。音がうざいんで止めようと思ったら、MIDPLUGのサイトに飛んでしまいました。
 あー、別に佐野の変なところを探そうとしていたわけではないのに(だってYahooで検索したんだぜ)、普通にこんなところに来てしまいました。
 あ、さらにこの「青竹打ち製麺法」なんか、画像の大きさ指定がパーセント指定になってる。試しにこのページを表示して、ブラウザのウィンドウサイズを大きくしたり小さくしたりしてみな。画像も一緒に大きくなったり小さくなったりするから。
 やっぱりというかなんというか、ソースを見たら汚いのなんの。って、なんでこんなに「BLOCKQUOTEタグ」が多用されてるの?お前はなんの引用をしてるんだよ。

 いや、違うの。別に変なページを紹介しようってわけじゃなくてさ。んーじゃあ次のページ。
「万葉のくに ミレニアム2000」
 何か?佐野には「全てのホームページはMIDPLUGを鳴らさなければならない」という法律でもあるのか?そして「素直にMIDPLUGのコントローラーを表示してはいけない」という法律まであるのか?
 ちなみに、このページではタイトルと「要チェックです!!」の間の変な空間にあるゴミみたいなのをクリックすると、MIDPLUGのコントロールが出来ます。なんで?
 ちなみに内容はほとんど佐野と関係ないリンクが多数。ていうか、おまえは何をしたいんだ?

 あー、もう疲れたので、ここを適当に見てください。もう知りません。
00/02/21

素敵なランディさん



 伊集院と桃井の件に関しては、いろいろ考えてたら「芸能論」というところにまで行き着いてしまい、面倒くさくなったので、しばらくパス。ごめん。

 本題。
 えっと「田口ランディ」って人気のあるライターなんですか?俺全然しらないんだけど。
 まぁ、文章読んだかぎりでは「バブルの利ざやを喰いまくった、もしくはその夢をいまだに見ている方々」が好きそうな文章ですな。趣味人的というか、ものに理屈をくっつけて、それでなんか語ってる気になっているという。
 「出来の悪い神足裕司」といったところか。
 まぁ、このProfile見れば、そのバブル真っ只中の人間像が分かろうってもんです。

 そしてそんな素敵なランディさんの文章のひとつがこれ。

 感想。
 これじゃ「ポケモンカルト」だよ。
 皆さまご存知の通り、ドラえもんの黄金パターンといえば
「のびたが困る」→「ドラえもんが道具を出す」→「困ったことが解決」→「のびたが調子に乗る」→「もっとどうしようもないことになる」→「ドラえもんが「もう知らない」と言って終わり」
 だいたいこんなふうになる。
 素敵なランディさんはドラえもんが道具をすぐに出すことのみを取り上げ「四次元ポケットなるポケットから次々と未来の道具を取りだして、のび太君の願いを叶えてくれる、というのがドラマの設定である」と断言している。
 しかし、道具はあくまでもストーリーの導入に過ぎず、ドラえもんの本質はその後の「ドラえもんの道具によって起こるドタバタ劇」なのである。そしてドラえもんの大抵においてのびたは道具によって、もっとひどい目に遭うのだ。まったく不勉強もいいところである。

 そして素敵なランディさんはその次に「父性、母性」というマジックワード(どうにでも自分の都合のいいように使える言葉)をもって日本を語りだす。たかだかドラえもんという「ギャグマンガ」を曲解する程度のくせに。

 そもそも「父性、母性」といった言葉に「自己」はない。
 この世の中が「母性だらけだ」というのは構わない。ルールが必要だというのもわかる。しかし、なぜそこに「父性」という「お上から与えられるような概念」が必要なんだろうか?
 自分でもその下で書いているように

「ねえねえ、父性と聞いて何をイメ−ジする?」といろんな人に聞いてみたのだが、似たよ
うなものだった。石原慎太郎という答えが割と多かったのにも驚いた。

 今や、日本の父性の象徴は東京都知事なのか。これはもしかして、東京都民が無自覚的に行
政に父性を求めていたからなのか。だとすれば、都民はその感性で危機管理をしているとも言
える。さすがコスモポリタン東京人だなあ、などと妙な事に感心してしまった。
 と、日本人のほとんどが「父性」などという言葉を使うときには、その「父性」をお上に求めているのだ。いわば責任放棄である。このことを無理矢理「父性、母性」といった言葉で説明するならば、
「父性という概念を与えてくれる母性を持ったお上が欲しい」
 ということだ。とても「さすがコスモポリタン東京人だなあ」などと感心するような代物ではない。
 そんなお上をありがたがる前に、単純にしっかりとした自己を持ち、自己と「さまざまな世間」をすり合わせていけばいいではないか。

 そして素敵なランディさんはさらにここで自分の子供の頃を思い出す。そして自分の日常が「母性に浸っていた」という。
 しかしそれはあくまでも素敵なランディさんが「父性、母性」といったものを全て外に求めていたからだ。そしてそれに甘えていたからだ。だからこのようなコラムで「子供に父性を与えるべきだ」というのだ。ピアノにあこがれていた親に子供が産まれると、必ずといっていいほど子供をピアノ教室に通わせる性質によく似ている。
 しかし素敵なランディさんは自分の「甘え」を「父性アレルギー」のせいにする。「自分が甘えるのは「父性」がないからだ。「明確な他」がないからだ」と。そしてその上で「父性を持ちたい」などという。

 素敵なランディさんにアドバイスをあげよう。
 あなたの求めている「父性」は「ドラえもん」の中にある。
 あの「コスモポリタン東京人」が選んだ父性を持った人、石原慎太郎そっくりの登場人物がいるではないか。
 そう、ジャイアンである。

 ドラえもんの世界におけるジャイアンは「明確に絶対」である。
「のびたのものは俺のもの」であり「ジャイアンリサイタル開催」を宣言すれば必ず実行される。
「国民の税金は東京のもの」であり「南京大虐殺なんかなかった」のである。
 そして「バモイドオキ神」が言えば「殺人をしてもいい」のである。

 つまり、素敵なランディさんの求めている「父性」そのものこそが所詮は「自分の中で組み立てた妄想の秩序」にすぎない。

 世の中に「絶対」や「明確」などというものはない。
 全ては「相対」であり「暗中模索」だ。
 「父性」などという都合のいいものは、この世の中に転がってなんかいないのである。
00/02/20(追記分)

もう、ほとんどのサイトでは突っ込む気もないらしい



 19日分はちゃんと書いたのにアップを忘れてました。

 ちょっと実家の方に戻ってきました。
 なんか両親の頭の中では俺は「なんか気にくわないことがあるとすぐにぎゃーぎゃー騒ぐ、親の料理を作った後にケチを付ける息子」ということになっているらしくて、まぁ平和(笑)なのです。もうあの歳になると人間変わらないみたいね。

 さて、昨日のテレ朝の鳥越の番組で「Dr.キリコがどーたら」なんて特集をいまさらしていたが、これがひどいのなんのって。だって、いまさら「自殺のホームページは45,000件(もちろんデュルケムの「自殺論」もバシバシヒットだ)」って、もはや木村太郎ですら言わないこと言ってたし、「チャットと呼ばれるホームページ」などの意味不明の言葉や、そのチャットで質問した「死ねる薬を持つことで、それがお守りになるという気持ちはわかりますか?」という質問に「多数の人が「分かる」と答えた」といいつつも、画面に映ったチャット(もちろん斜め撮りなので、不明瞭)には返答している人間はおおよそ6人。しかもそのうち少なくとも3人ほどは「分からない」と答えていたのは、どういうことか?
 ちなみに前半部のメインは「終わる世界」という自殺までの日数をカウントダウンしたページであるが、そのページがプロバイダによって消されたことを言うときに、薬物の違法販売のページなどが消されていることを挙げ「こうした違法ページは接続業者によって削除されることになっている」などと大嘘を付き、「終わる世界」のページが「違法だから消された」かのように報道していた。(もちろんただの日記に違法性などあるはずがない)
 肝心のDr.キリコの部分は鳥越自身が北海道の彼の家に行くという力の入れようだが、その中身は「草壁が青酸カリを送った女性が自殺」と従来の「草壁が青酸カリを送った女性が「草壁の送った青酸カリを飲んで」自殺」と思わせる表現をなんの注釈もなく(自殺した女性は確かに草壁に送られた青酸カリを持ってはいたが、自殺に使ったのは(実際は本人が自殺する気だったのかすら分かってないのだが)他の薬物である)使っていたし、VTRが終わっての鳥越の結論は「草壁は現実と仮想の区別がつかず、女性の死を知らされたときに現実に戻った」という有田君ライクの極一般的なマスコミ報道とかわりのないもの。
 誰かを一生懸命救おうとした人間が失敗すると、誰も救おうとしたことのない人間がしたり顔で陰口をたたく。まったく嫌な世の中だね。
00/02/20

まとめてみよう



 掲示板でのD氏とのやり取りについてちょっとまとめてみようと思う。

 このことの最大の問題点ってのは掲示板で通りすがり(このハンドル禁止にしようかな。空白のほうがまだ気分がいい)の人が
「東天王ヨブ氏が現状を変えるために努力しないで、他者を批判しているだけだから、D氏が「そんなことではだめだ」と忠告したように思えたけど」
 と書いた通り、「現状を変えるために努力しない東天王ヨブ」が前提条件になってしまうことだ。
 これを示すためにD氏が持ち出したのはほとんど一年以上前の事例である。
 しかしそれが現状の東天王ヨブを規定しきれないのはあたりまえだし、そもそも俺はこのページで自分のプライバシーの全てをさらけ出しているわけではない。特にここ1年は自分のことはほとんど書いていない。すなわち、このページの読者は俺のプライバシーの事はほとんど分かっていないことになる。

 ここで俺がひとつ失敗したことがある。掲示板で「D氏が知り合いだ」なんて書いてしまったことである。本当は鮭わかめさんに変な心配をかけないための気遣いのつもりであった(ハリボテ君みたいな展開だったし)のだが、後々考えれば別にそんなことを書く必要はなかった。逆にそれを書いたおかげでD氏の言葉が「東天王ヨブのプライベートをよく知る人間からの忠告」みたいになってしまった。
 実際、D氏とは友達ではあるが、基本的には月に1、2回合ってゲームしたり酒飲んだりしている中で、それほどお互いのプライバシーには詳しいわけではない。少なくともここ半年はこの日記で書いている以上のプライバシーは話していないはずだ。だから「現状を変えるために努力しない東天王ヨブ」というのは彼の思い込みである。
 もちろん、じゃあ自分が「現状を変えるために努力しているか?」というと疑問符を持たざるを得ない。ていうか、だいたいそういうのって自分で分かるものじゃないでしょ。努力しているつもりでも気のせいだったって事もいっぱいあるわけだし。
 さて、それは置いといて、問題点として「「現状を変えるために努力しない東天王ヨブ」が前提条件で、しかもそれが「D氏の思い込みに過ぎない」。けれども思い込みだとは思われてない」ということがあるわけだ。これを打開するには当然「東天王ヨブは現状を変えるために努力をしている」事を示すしかないのだが、先ほど書いたように「現状を変えるための努力」というものが非常に分かりにくいものであるし、さらにはそれを示すために「自分のプライバシーを開示しなければならない」事になる。そして俺はそれを開示したくなかったのだ。
 だって、考えてもみて欲しい。自分のページでなんで自分の開示したくない(都合が悪いわけではない)プライバシーを開示しなければならないんだ?少なくともそれを「開示しろ」などという権限は誰にもない。
 つまり、D氏の「君のプライバシーを掲示板に開示して「現状を変えるために努力していること」を証明せよ」に対して俺は「その必要はない」と拒否していることが、まずこの話のバックボーンとしてある。まぁ、主題だね。
 このあたりがD氏の最初の01/29書き込みとか、01/30とかに見えているわけ。

けれども表面上はまったく違う話で推移していくわけなんだ。

 次回に続く。
00/02/19

電気って便利だね



 いやぁ、大変でしたよ。金曜の夜。
 俺ん家だけ灯火管制しかれちゃって、電気がまったく使えない始末。
 しかもここ数日は夜が非常に寒くて、風呂無しのボロ木造アパートは非常に風通しが良く、まぁ快適。
 とっても静かな夜だったので、読書も進みまくりでした。
 ていうか、電気が使えなくなってたんだけどね。
 当然ネットにもアクセスできませんでした。

 一応明かりは懐中電灯でとってたけど、物悲しいことこの上なし。
 テレビも見れないし、暖もとれないし、何しろネットにつなげない。
 なんか改めて電気の素晴らしさを実感しました。
 原子力バンザイ。(笑)
00/02/15

日テレのプロパガンダ



 なんか例の少女監禁事件の絡みで日テレが「メーガン法」をやたら宣伝してますな。
 「メーガン法」ってのは性犯罪を犯したものの住所を地域住民に「積極的に」知らせる法律。
 しかし、例の事件の場合はそもそも警察のコンピュータ入力ミスから犯人の名前が上がらなかったのであり、その時点でメーガン法もクソもないと思うのだが。
 なんかメーガン法推進派の発言ばかり流して「メーガン法は全世界で制定されるべきだ」などとしているが、これがあくまでも「推進派」の発言であり、当然批判派もいるんであって、現実としてアメリカ以外ではいまだ制定されていない。
 さらに日テレは「異常犯罪が増えていること」と「今回の件の懲役年数が短すぎる」ということを根拠にしているみたいだが、前者は「警察組織自体の捜査能力の低下や腐敗」といったことも踏まえなければならないし、後者はそもそも「監禁」というものが「脅迫のための監禁」「身代金を奪うための監禁」といわば「手段としての監禁」としてしか定義されていなかったところに、今回のような「監禁のための監禁」というケースがでてきた。ならば今までの監禁罪と別のケースとしての「長期監禁罪」とかいうものをつくって、懲役年数を長くすればいいだけだ。

 つまり、日テレのいっている理由で加害者の人権を著しく侵害(加害者の人権と被害者の人権は両立されるべきものだ!!)する「メーガン法」などを即検討するには値しないと思われる。
 まぁ、あそこはそういう極端な判断が好きだからなぁ。有田ホーセー君なんか「優れた法律」なんて断言してたし(笑)。

 明日はほんの一部でほんのちょっとごたごたしている「伊集院 偽ヒロスエ発言」について書きます。
 あらかじめ「イジューインネット」(UP`s掲示板)「桃井はるこの『モモイズム宣言!』」(はるこBBS)を見とくと分かりやすいかも。
00/02/14

くだらねぇなぁ



 世の中には非常にどーでもいいものというのがあるもんで、これもその一例。
 この人自体も最後の1行の論理の飛躍っぷりが非常に楽しいのではあるが、レスの中の「残酷な日本人!?」ってのが非常にブチキレていて爆笑もの。しかもその後これがアメリカで生まれたアイデアであるとまで指摘される始末。ちなみに「伊勢エビキャッチャーをつくってる会社」などという発言(ゲーセン独自にUFOキャッチャーの中に水槽入れて伊勢エビ突っ込んでるだけだろ)等もあり、とてもじゃないけどまともに状況を想定しているととは思えませんな。
 あと「金魚の場合伝統なので、ある程度しかたないと思います」の意味も不明。ていうかこっちの方がよっぽど残酷だと思うけどな。観賞用うんたら言ってますが、私自身、金魚すくいは何度もやったことがありますが、その後に金魚を飼った記憶はありません。きっと殺して野良猫の餌にしたり、爆竹突っ込んでたりしたんだと思いますが。
 ちなみに「じゃぁ、釣り堀はどうなる?」という発言(「まったくその通り」の内容)があってから、場がまともになったようで、ちょっと残念です。ちなみにあれは「ゲーセンだから感情的に「悪い」」といっているんではなく、キチガイだからですので、お間違えのないように。

 とまぁ、久しぶりに某S君(ハクされてるね(笑))いうところの「あやしいワールド@女」であるところの532を見てまわってたら「あなたの周りの男性は優秀?」などという「いかにも」なトピックを見つけてしまい、読んでみたらもう最高。ていうか、議論が数十年前。いまだに「虐げられている女性」を売り物にして議論ごっこをしている。
 ていうか、雇用の話をするんだったら、まず今の雇用形態が「専業主婦が存在する家庭」を前提にしていることを指摘してから「マイホーム幻想の崩壊」に行って、それから「仕事と生活を個人で両立できる社会」という話になるのが普通だと思うんですけどね。そうなれば当然話の過程の中で「労働時間の抜本的短縮(出退勤時間コミで8時間程度。ということは、宅地問題にも踏み込むことになる)」とか「出産休暇(男性の場合は出産補助休暇)の制度化」とか「育児休暇(男女とも)の制度化」とか具体的な話はいくらでもでてくるはずなんだけれども、どこまでいっても「優秀な女性より、無能な男性が給与を多くもらっている事例」ばかりを出してストレス解消している始末。
 ハッキリ言って「感情がどうたら」なんてどーでもいいんですよ。要はそんなもんで仕事がどうたらなんて侵害のされ方をされないような社会、いわば人間なら普通ありうる程度の個体差を全部飲み込んで包括できるような社会作りが重要だって事です。女性が出産するくらいで会社でどうのこうのなる自体がおかしいんですよ。
 とまぁ、こういう話が1番建設的な議論だと思うんですがね。
 ま、外国行ったくらいで先進的だと思っている女性なんてこんなもんですか。
(せっかくだから「スペシャルリンク」の方に532へのリンクを張っときました)
00/02/13

誰が誰に侵害されているのか?



 なんかテレビで「児童ポルノの根絶を目指す」とか言ってるババアがでてたので(日本の本屋の100軒中98軒が児童ポルノを扱ってるんだってさ。まぁ、18や19や20の娘がセーラー服着ているポルノはあるけどな。それは児童ポルノか?)面白がってみていたら、そのババアが入っていったところが何とガーディアンエンジェルスの事務所(笑)。飯森君がガーディアンエンジェルス語でいうところの「児童ポルノ」(きっと日本人のポルノは全部児童ポルノ)の事をとうとうと語ってました。で、児童ポルノって何?
 別に「児童ポルノの根絶」に対してはなんら異存はございませんが、それならば逆に「児童ではないポルノの権利」を守らなければなりません。そんなあたりまえのことが彼らにはどうして分からないんでしょうか?
 「ポルノがそもそも悪だから」とでも彼らはいいそうですが、だったらそれは「オウムは犯罪集団だから殺してしまえ」というのとなんら変わりはありません。ちなみに戦争の原因ってのも「あいつらは邪教徒だから」とか「あいつらは悪い民族だから」という、正義の理由からです。(もちろん、その「正義の理由」を自分の利益のために操った人間がいるのは承知の上)

 通信傍受法にしろ児童ポルノ法にしろ「悪いやつがいるから」という理由で中間の議論をまったくせずに法律が制定される事例がここ最近増えています。ここを分かっていなければいけないのですが、法律の制定をもって個人の行動を規制することは「人権侵害」です。つまり、この世の法律というのは全て「人権侵害」なのです。
 とはいえ、全ての自由を認めていたのでは社会が成り立たないので法律をつくることになるわけですが、その時もひとつ法律を作るたびに人権が侵害されることをハッキリと認識しておかなければなりません。つまり、その法律が「人権を侵害してまで成立させるに値するか」ということをしっかりと議論しなければならないのです。
「俺は悪いことをしていないから盗聴されない」とか「私はポルノ自体が嫌いだから」などという自分勝手(!)な理由で人(そういうことをいっている人間も含む)の人権を侵害してはいけないのです。

 結局のところ、彼らが児童ポルノの児童ポルノたる根拠(つまり「児童ポルノ」だと思われるメディアが17歳以下の子供のポルノを掲載しているという事実)をまったく提示せずに、まるで日本に児童ポルノが蔓延しているかのように広報し、情のみに訴えかけるような排除活動をすることは「人権侵害だ!!」といわざるを得ないということです。
(よく「外国では日本は幼児ポルノの発進国といわれている」なんて話を聞きますが、これの実情はほとんどが「日本人自体が外国人から見ると子供っぽく見える」という理由のようです。まぁ、卍とハーケンクロイツを間違えるバカもいるわけだし)
00/02/12

人は人、我は我?



 asahi.comより転載。

仏とベルギーがオーストリアへの抗議でEU会議を退席

 欧州連合(EU)の社会問題担当相会議が11日、議長国ポルトガルのリスボンで開かれ、EU14カ国の制裁を受けるオーストリア新政権からも右翼自由党のシクル社会相が出席した。新政権に最も強硬なフランス、ベルギーは、同社会相のスピーチが始まると席を外し、抗議の姿勢を示した。オーストリア問題で、EUの活動が影響を受けたのは初めて。

 現地からの報道によると、退席したオブリ仏雇用相は「政治的な姿勢を示すための行動」と語った。二国以外はオーストリアの演説を聴いたが、初対面のシクル社会相に進んで声をかける閣僚はなかった。

 オーストリアは、14日にブリュッセルで開かれるEU外相理事会で、フェレロワルトナー新外相(国民党)が、新政権の基本姿勢を説明する予定だ。
 ということなんですが、日テレの報道アナウンサーは「今まで大人らしい振る舞いをしてきたEUだが、今回は子供のケンカという印象をぬぐえない」と発言。まったく日テレはワイドショーも腐ってるが、報道も腐ってるな。(まぁ、オウムの時から実証済みではあるけどね)
 まぁ、戦争責任という物をまったくまともに捕らえたことのない日本人にはピンと来ないんだろうが、彼らからすれば「いまだに戦争は終わっていない」というか「多数の人が集まれば、いつでも戦争の危険がある」んであり、またEU統合においてはネオナチなどの人種的な極右勢力や、宗教などをいかに扱っていくかも重要な問題であって、こういう初遭遇みたいなところで不快感を表明せずにナァナァに済ませたのでは後々に悪い影響が残るのが分かってるからだよね。
 だいたい日本はこれを「他国のこと」なんて感じで見てるけど、日本なんてのは一部の人から見れば「存在自体が極右」だったりするわけだし、国内でも平気で戦争を賛美する輩がいて、しかもそれがけっこうな支持を得ているという状況もあって、まったく他人事ではないということ。

 以上。
00/02/11

まぁ、一言二言



 へぇ、あのドキュソCMもちゃんと競合やって生まれてるんだねぇ。

 最近宮崎の親分がテレビに出ずっぱりみたいだね。まぁ、この週末はずっとそうでしょう。

 おいおい、徹子の部屋にドラえもん(のぶよではない)が出てるぞ。もはや伝説と化した徹子のセーラームーンのコスプレとか、たまにむちゃするよな、あの番組。

 今日はこれから部屋の掃除をする。そろそろいろいろ準備しなければいけないので(謎)
 それじゃ。
00/02/09(追記分)

デジタル人間



 掲示板の話についてはいったんまとめなきゃいけないだろうな。
 とはいえ、自分の論理だけね。向こうが何を言いたかったのかはいまだによく分かんないから。
 まぁ「自分の発言に責任を持て」って言いたいんだろうけど、彼の理屈は加減を越えている。
 きっと、この戦後社会によくいる「デジタル人間」なんだろうなぁ。ここでいう「デジタル人間」ってのは「社会的にどうか?」という点でしか人間を判断できないって事だけどね。
 今の人も「デジタル人間」とはいわれるけど、1バイト分くらいの判断基準はもっているよね。彼らは1ビットだから「1か0か」だけ。性能差で言えばファミコンとプレステくらい違う。

 まぁ、今回はこんなもんで。掲示板の件については後でまとめる。
00/02/09

ついに出た!!



 ついに出た!!
「オウムは死ね」の論理。
 以下は“マスコミ天誅”掲示板@Der Angriffより転載。

2000年2月8日 /北國新聞 コラム「時鐘」

 本当は肩の荷がおりたような気分なのに、それを押し隠して、容疑者が自殺したのは捜査がたるんでいたからだ、と警察を責める論調ばかりだから、きのうに続き、京都の小二男児殺害事件を論評する

 容疑者というのは、事件解明の重要な手掛かりだ。その容疑者を取り逃がし、自殺までされたのだから、結果的には捜査の大きな落ち度といわれても甘受すべきだろう。が、それはそれとして容疑者が自殺してくれたため、厄介な事件が向こうの方から決着してくれたというような一面も否定できないのだ

 容疑者の自殺を願うわけではないが、容疑者の死によって厄介なことがらに終止符が打たれることだってある。もし、彼が命が惜しくて自殺しなかったとすると、精神鑑定の問題が持ち上がったり、事件の真相解明ということで容疑者自身もよく分からないような「やみ」の中を歩かされるかもしれないのである

 自ら招いた結末とはいえ、哀れといえば哀れだが、容疑者の自殺によって、厄介なことが神様の計らいで片付いたようなものだ、と考えるのは許されないふらちだろうか

 事件現場に残されていた犯行声明に「今はにげますがあとで名前を言うつもりでいます」とあったそうだが、彼はその時点から自殺を考えていたのかもしれない。あのとき逮捕できたとしても、すきをみて自殺を図ったような気もする。かくて、いっせいに捜査の落ち度を責めるそのさまが気楽にみえてしかたがないのだ

 コラム子には、容疑者の自殺が、オウムの面々のふるまいと対照的にみえる。口先だけのおわびで自殺する者が一人もいないオウムの面々に比べると、自分の凶行を自分の命であがなった容疑者の方が上等にみえる。
 この「北国新聞」っていう新聞はコラムが普段からそうとう偏っていて、とても面白いんだが、今回はさすがに笑ってもいられず、こちらに転載した次第。

 上記の文章に対して反論をしていく。

 本当は肩の荷がおりたような気分なのに、それを押し隠して、容疑者が自殺したのは捜査がたるんでいたからだ、と警察を責める論調ばかりだから

 そもそも警察というのは「犯罪者の罪を立証する」のが仕事であり、それには「刑事裁判を受けさせる」しかないんだから、それができなかった警察は責められて当然である。
 ちなみに京都府警というのがアカ狩り専門でそれ以外がまったくできないおもしろ警察であることはzakzakの記事を参照のこと。(ひょっとしてそういう警察だからこそ、北国新聞が擁護をしているのかもね(笑))

 容疑者の自殺を願うわけではないが、容疑者の死によって厄介なことがらに終止符が打たれることだってある。

 終止符は打たれていない。
 容疑者が死亡しようと、警察は容疑者を刑事告訴しなければならないのであり、裁判所は判決を下さなくてはならない。また、被害者の家族が賠償を求めれば民事裁判が始まる。どこに終止符が打たれたというのか?

 いっせいに捜査の落ち度を責めるそのさまが気楽にみえてしかたがないのだ

「容疑者の自殺によって、厄介なことが神様の計らいで片付いたようなものだ」などと考えているほうがよっぽと気楽だろう。

 コラム子には、容疑者の自殺が、オウムの面々のふるまいと対照的にみえる。口先だけのおわびで自殺する者が一人もいないオウムの面々に比べると、自分の凶行を自分の命であがなった容疑者の方が上等にみえる。

 オウムのおわびが「口先だけ」というのなら、毎月1500万を地下鉄サリン被害者のために支払うと決定したことをどうとるのだろうか?
 ていうか自殺しなければ口先だけなのだろうか?
 じゃあ、自動車事故で人をはねて殺してしまった人は自殺しなければならないのだろうか?一時の激情で人を刺し殺してしまった人は自殺しなければならないのだろうか?
 というよりは、犯罪を犯してしまったことで犯人が自殺したところで、被害者の家族が喜ぶのだろうか?まぁコラム子は喜ぶんだろうが、俺はそんな奴と付き合いたくはないな。

 コラム子には「自殺した容疑者の方が上等に見える」らしいが、犯罪は犯罪であり、自殺は自殺であり、賠償は賠償であり、そこに上等も下等も存在しない。
 まぁ、俺には「オウムは死ね」などと言っているコラム子より、自分の凶行を自分の命であがなった容疑者の方が上等にみえる。(笑)
00/02/07

正しいデジタルの使い方



 泡盛はあなたの一生を台無しにします。ていうか、麻薬以上の破壊力。俺の場合、たいていの酒は一晩寝れば次の日にはほとんど残らないんだけど、泡盛は1日中二日酔いだった。多分しばらく酒は(ビールも)飲めないような気がする。考えるだけでも気持ち悪い。うぇ。

 フジテレビが野党が議会を欠席していることに対し「(うろ覚え)国会議員の給料は3千万。野党の議員は議会を欠席している間に数十万の給料をもらっていることになる(もちろん黒バックの床に落ちるお金というイメージ映像)」と低レベルのプロパガンダ報道。「学校の欠席はいけない」というように「欠席しちゃダメだよ」という低レベルの国民多し。
 それでいて与党は「国会正常化を画策している」といいもの報道。とはいえ、今期国会でやっていることといえば「比例定数20削減」や、「得票数が極端に少ない場合の」比例定数での復活禁止だのと、どう考えても「野党潰し」であり「正常化を画策」などとはまったくお笑い。大政翼賛会化も近し。

 さて、ここ数日紹介したくて仕方がなかった。ちびっこ広告図案帳(オークラ出版)の紹介。
 この本は少年少女誌の子供向け広告をその当時の「色」にこだわり、原寸サイズ(一部例外あり)で再現したもの。
 今回は「65〜69 編」として、1965年から1969年までの広告を集めています。

 で、俺がこの本になんで魅かれたかというと、この本が単に「こんな広告があった、懐かしい」的な羅列ではなく、製作者が「当時の色」の再現にこだわったことにより、当時の子供たちが感じたであろう「わくわく感」を再現したところが非常に魅力的だったのです。
 「当時の色」というのは、現代の「フルカラー」ではなく「天然色」、つまりほとんど「CMYKベタ」という世界。(CMYKとは、色の3元色である「シアン」「マゼンタ」「イエロー」+「ブラック」のことで、原則的にはこの4色の配合で全ての色を印刷できることになっている)
 だから、いかにも目に悪そうな色が強烈に並んでいます。それが本当にその当時を再現していて最高なわけです。まさしくこういった使い方こそがデジタルの正しい使い方だと感じました。

 まぁ、この本をいくら言葉で説明しても魅力が伝わらないので、ぜひ書店で目を通してみてください。本当に強烈な色彩ですから。で、気に入ったらぜひご購入をお勧めします。本のサイズから言って、長く本屋に置かれる類いの本ではありませんし、古本屋に出回る率も低いでしょうから。4800円という高価な本ですが、即買いの価値アリです。
00/02/03

更新予定



 フクダさんの「チャンバラクロック」移転。

 最近はどうも日記の更新が遅れてしまう。
 今回は掲示板のおかげである。詳しくは掲示板参照。

 ・カート・ヴォネガットの本の書評、もしくはカート・ヴォネガットの本という総体に対する論評
 ・「ちびっこ広告図案帳」という本の紹介

 これが今考えている次回の更新予定です。
 あー、忙しい。
 んでは。

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