時は今、世紀末
1月の日記。

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(「f」は上旬「l」は下旬です)

ご意見ご感想はメール、もしくは掲示板までよろしくお願いします。

著書、絶賛発売中:『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)

スタイルシートを導入しています。
「読めない」等ございましたら、掲示板等にて教えてください。

00/01/31

ゲーマーですかーーーーーーっ!!



2000年 1月 31日 (月) 06時 51分 17秒 現在


あなたは 210%
昔のゲーマーです(多分)


かなり古くからのゲーマーですね。
よっぽどゲームが好きなんでしょうか。
というか生きがいに近いものがありますね。
いや、生きがいでしょう。
気がつくとゲームセンターにいるということが
良くあったりすると思います。
ロケテスやハイスコア更新のために
遠征したこともあるのではないかと。


 ゲーマーらしいっす。
 ていうか、手元にサイコソルジャーのテープあるんだけど、どうよ。
00/01/29

日本はもう国家の体制をなしていません。とっとと滅ぼしてください。



 あーあ。大変だ。
 tbs.co.jpより転載。

石井久子受刑者の双子を入学拒否

 埼玉県都幾川村の教団施設に住む、石井久子受刑者の双子の子供に村の教育委員会が小学校
の入学通知をださなかったことがわかり、波紋をよんでいます。

 オウム真理教の石井久子受刑者の双子の姉妹は、今年4月、住んでいる都幾川村の教団施設近くにある小学校に、入学するつもりでした。 ところが、入学を拒否されたのです。石井受刑者は、地下鉄サリン事件に関わった教団幹部の逃走を手助けした罪で去年、懲役3年8月の実刑判決を受けています。双子の姉妹はおととし、都幾川村に住民登録し施設で石井受刑者の現在の夫と妹と一緒に住んでいます。そして姉妹は、石井受刑者と松本智津夫被告との間に生まれたことが、これまでの裁判の中で明かになっていました。
 姉妹に対しては、地元で入学拒否を求める声が強く、村では去年9月信者の子供の就学を認めない方針を打ち出してたのです。 これに対し石井受刑者の夫は手紙を出し、去年10月25日には弁護士らとともに村役場を訪れ、入学を認めるよう求めました。その交渉は会議室で70分間に及びました。石井受刑者側と村の言い分は平行線をたどり、結局、村は学校教育に支障をきたしたくない、住民感情を考えると超法規的措置を取らざるを得ないとして、入学通知を送らないことを決めました。
 学校教育法施行令では、入学の2カ月前までに小学校の名前と入学式の日時を記した入学通知を保護者に出すことになっていますが、今回の決定に文部省も戸惑いを かくせません。就学拒否運動は、各地で起きていますが、松本被告の四女や長男の場合でも教育を受ける権利と一連のオウム問題は、別として入学通知はだされていて、拒否の決定は初めてのケースです。
【終わり】(28日16:06)
 憲法違反です。「就学の義務」は国や自治体に課せられた義務です。親が就学を望んでいるのであれば、それを拒否することは許されません。裁量権もへったくれもありません。交渉してどうたらいう問題ではありません。心ある人権団体は幾川村役場を訴えましょう。

 結局「住民感情」ってのはなんでもありなのな。まさしくファッショ。
00/01/28

だから日本は信用されない



 とりあえず「ハッカー」と「クラッカー」の混同は本日サービスデーにつき、許してあげるとしても、「ハッカー行為」ってどういう意味なんだろう。
 ハッカーを「侵入者」という意味とすると、「侵入者行為」という、よく分からない日本語になる。
 本来は「ハッキング」。「行為」という言葉をどうしても使いたいなら「ハック行為」だよな。
 あと「ファイアーウォール」を「防火壁」と訳す行為もバカすぎ。
 まったく、ら抜き言葉程度で目くじら立ててる場合じゃねぇっすよ、ほんとに。

 日テレ早朝ニュースの中で、例の南京大虐殺否定集会の件に触れ、解説のオッサンは「日本では集会などの自由は憲法で認められており、中国の抗議を受け入れることはできない」などとバカ発言。
 そりゃ、集会は自由ですが、本当の問題は「中国が日本国内の市民集会にいちゃもんを付けた」事ではなく「日本がいまだに戦争責任問題に決着を付けていないこと」であり、だからこそ、こういう集会に対して中国、並びにアジア圏の不信の目が集まるのであり、結局は「日本はいまだに戦争責任について真剣に考えていない」という評価をされるわけです。つまり「国の怠惰によって、市民活動が世界的に否定されてしまうこと」が問題なのです。
 ちゃんと問題点の認識をしてから発言しましょう。
(んでもって、その次のオウム報道では手のひら返して「オウムは分散化して規制を逃れようとしている」「とっとと規制しろ」なんて事を発言。犯罪を犯していないオウム信者の集会などの自由はどこへ?(笑))

 先日散々突っ込んだ野田正彰教授であるが、あの文章を読むと「とんでも」にしか見えないが、実はまともな教授であることが判明。「日の出講芸」のこの文章を読むといいかも知れません。
 とはいえ、昨日の文章はどう読んでも「とんでも」。
 真実はわかりませんが、インタビューアーが明らかにバカなので、自分の都合のいいとこばかりを並べて、捏造に近いものにしてしまった可能性が考えられます。ぜひ、野田教授にゲラチェックをお願いしたいところですな。
00/01/27

日本式責任押し付け型レトリックの見本



 技術庁のメガネをかけた「いかにも」な職員の話。
「(しどろもどろになりながら)これ(クラッキングされたページ)は公開情報でありまして、機密情報はファイアーウォールの中にありますから大丈夫です」
 バカ丸出し。
 ていうか、普通は公開情報とはいえ、サイト内容の書換によって、それを見た人が不利益を得る可能性がある以上(今回のように「いかにも」なクラッキングならいいが、たとえば細かい数値の部分だけが書き換えられたとしたら、どうすんの?)、ファイアーウォール程度の(家を出るときに鍵をかける程度の)セキュリティーの確保は当然である。
 あと、機密情報が入っているようなコンピューターはネットワークから切り離しておくことをお勧めする。ていうか、機密情報がファイアーウォール内にあることをばらしてどうすんの?ひょっとして、このインタビューに答えてた人はどっかの国のスパイさんだったのかな?

 この文章は「日本式責任押し付け型レトリック」の典型的見本のような文章である。とりあえず読まなくていいので、眺めていただきたい。

■「間接的コミュニケーション中毒」 …理想なき情報社会の果て

 面と向き合って話すのは苦手だが、携帯電話やパソコンは一時たりと手放せない。そうした間接的な「コミュニケーション中毒者」が増えている。交わされる会話や電子メールの中身は、感情のこもったものは少なく、情報の交換が多い。特に日本で、こうしたゆがんだ現象が急速に進んでいるといわれる。なぜ、こうなったのか、そして行き着く先は――。精神科医として文化の変容を追求してきた京都造形芸術大学の野田正彰教授に聞いた。
 もうこの前提がいきなり嘘丸出しである。
「交わされる会話や電子メールの中身は、感情のこもったものは少なく、情報の交換が多い」
 というなら、通常の会話なら、感情がこもった情報の交換以外の会話が多いのだろうか?

 また、
「特に日本で、こうしたゆがんだ現象が急速に進んでいるといわれる」
 に関しても、言われているだけで検証も実態の把握もされていないのが現状である。

 そして、引用しないが、眺めてみるだけでも、インタビュアーの質問が「最近の若者は「間接的な「コミュニケーション中毒者」」である」という「思い込み」を前提にしており、はっきりいって「とんでも」の域をなんら出るものではない。

 本文内では教授(笑)がやたら若者のことを痴呆者のように描くが、じゃあ大人は教授が書いている痴呆者と違うのか?という点についてはまったく触れていない。そのくせに今の若者から痴呆化が始まったようなものの言い方をしているのである。
 この点が顕著なのがこの一文。

――感情の交流がないことを示す現象で、他に目につくのは。

 援助交際もそのひとつ。性交渉の代価としてカネを受け取る。感情交流の体験も意味も知らないがゆえに、交換や効率としてしか異性関係を考えられなくなっている。このことの異常さに我々は気がついていない。米国では、高校生の男女関係でいろいろな問題が起きているが、日本ではそれはなく、いきなり援助交際。なんとも象徴的です。我々は、ゆがんだ近代を作ったことに関して、もっと批判的に考えなくてはならない。
 今、まともに「援助交際」と言うものを研究している人だったら、「日本は援助交際」の対比として「米国では、高校生の男女関係でいろいろな問題が起きている」なんて事は書けないはずである。なぜなら「援助交際」は「高校生の男女関係」の問題ではなく「高校生の女性と大人の男性」の問題だからである。
 ちなみに「援助交際=高校生の女性と大人の男性」というのだって、本当は嘘である。援助交際をしている人の絶対数というのは、女子高生よりも、女子大生やOL、さらには人妻の方が遥かに多いのが現状なのだ。
 まぁ、この部分に出血大サービスで目をつぶってあげるとしても「買う大人の男性の問題はどこ行った?」と尋ねたくなってしまうのである。きっと「買春問題」と言ってもピンと来ないんだろうなぁ、この教授。

 また、以下の一文も興味深い。

――携帯で話しているほうが落ち着くという人が若者中心に増えているようですね。

 会うよりも電話で話すほうがいいという若者も多い。会ってしまうと、気を遣う。相手の視線や態度、いろいろなものが見えてプレッシャーがかかるのが苦痛になる。電話は、いやなら切ってしまえばいい。また、会って話しても視線を合わさず、話す内容は断片的な情報のやり取りばかり。「あの映画観た?」「あの店行った?」という会話ばかり。電話と同じ話し方をする。80年代にコンピュータにのめり込む若者の面接調査を行ったが、彼らの間でも「結論を早く言って」という会話が多かった。人との会話が情報の交換のみになって、感情の交流が極めて少ない。他人との関係の希薄さを、電話でつなぎ止めている。極端な例を挙げると、ふろにまで携帯電話を持って入る若者さえいる。
 さて「80年代にコンピュータにのめり込む若者」とは何物なのか?
 今のようにパソコンや携帯電話が若者のアイテムになったのはつい最近、90年代後半の事である。
 しかし、教授が面接調査したのは「80年代にコンピュータにのめり込む若者」である。
 ていうか、教授の言う「コンピュータ」が「ファミコンを初めとするゲーム機(MSXなんかもこっちだな)」なのか「パソコン」なのかがよく分からないのだが、どっちにしたって、80年代にこういったものにのめり込んでいた「若者(小学生とか中学生ではないのは明確だ)」というのは、今、携帯や電子メールを使っているような「メインストリームの若者」ではなく、「オタク的若者」である。
 この2者を同等のものとして比較するのは「田舎の商店街」と「都心の巨大デパート」を同等として比べるくらいに無理がある。
 しかも自分が若者の中に降りていくのではなく「面接調査」などという手段(その風景が目に浮かぶようだ)で何が分かるというのだろうか?手抜きもいいところである。

――自分のアパートにも帰らず、プログラミングなどに熱中するコンピュータ中毒は男性に多いようですが、携帯電話の依存には男女差がありますか。
 これはインタビュアーの言葉であるが、ここで「アパート(独身の男性若者をイメージさせる)」「プログラミング」「コンピュータ」という言葉を使うことの不自然さを分かっているのだろうか?「自分のアパート」は「家」、「プログラミングなど」や「コンピュータ」は「仕事」でいいのでは?(まぁ、それだと「携帯電話」に繋がらないからね(爆))

――このままの状態が続くと、日本社会はどうなりますか。

 今のように「島国」が維持できればとの前提で考えれば、現実感が希薄になり、生きていることに飽きやすくなる人が増えてくるだろう。「ああなればこうなる」という仮想現実に慣れ、世の中で起きることに興味を持てなくなる。だが、「島国」が維持できるとは考えにくいので、外国人との文化摩擦が増加する。現在でも感情の交流ができない若い世代が海外でものすごい文化摩擦を起こしている。世界では、人と人との関係は、感情の交流が基本だからだ。
「現実感が希薄になり、生きていることに飽きやすくなる人が増えてくる」というのなら、研究者がすべきなのは「なぜ現実感が希薄になるのか」を探求することである。
 研究者の仕事とは、人が社会の一員として自分を認識した時に、どのような利点を得て、どのような束縛を得るのか。そしてそれのバランスは時代によって代わりゆくものであり、それを調べる事であり、けっして「現実はこの程度のものである」と人間の向上心を否定したり、「仮想現実を叩いていい気になる」事ではない。

 あと、後半部については、外国人と文化摩擦を起こしているのは、若者よりも大人なのでは?
 六本木とかに行くと、外国人となんの摩擦もなく普通にしゃべってる若者はたくさんいますけど、どーなんでしょうか?

 ちなみにその下の「「京都大学新聞」に出ていた話」にしたって、だったらその「中国とマレーシアからの2人の留学生」に日本の大人のことを聞けば、「日本の大人は感情の交流があってリッパである」という話をするのだろうか?
 これは単に2人の留学生が「日本の学生はどうですか?」という質問をされたから、「日本人学生は」という主語で話をしただけに過ぎず、本来は「日本人は……」と思っていると考えるのが妥当である。

――ゆがんでしまった日本人の感情の交流を元に戻すことはできるのでしょうか。

 修正しなくてはいけない。このままではやっていけない。小さい時から豊かな友人関係をつくり、成長していかなくてはならない。大多数の国ではそうしている。子供が適応の練習にたくみになるのではなく、いつも「何をしたいのか」と問われる関係が望ましい。自分が何をしたいかという動機、そこから生まれる人間関係が豊かな感情を育むのです。日本で「携帯電話や電子メールが及ぼす若者への影響」などの研究は、もっと進めていかなくてはいけないと痛切に感じる。
 ごった煮のような結論である。
「小さい時から豊かな友人関係」と「携帯電話や電子メールが及ぼす若者への影響」の繋がりがまったく見えない。
 まさか今の若者が「小さい時から携帯電話や電子メールを使っていたから、感情が歪んでしまった」とでも言いたいのだろうか?
「いつも「何をしたいのか」と問われる関係が望ましい」と考えるのはかまわないが、今の日本のシステムで「何をしたいのか」といったところで、馬の鼻先ににんじんをぶら下げるようなもんである。それならば余計に「「携帯電話や電子メールが及ぼす若者への影響」などの研究」なんていう的外れなことをしている暇はないはずである。素直に「日本のシステムが及ぼす人間への影響」を研究でもしたらどうなんでしょうか?
 まぁ「援助交際」や「コンピュータ」などの言葉をイメージのみで語るような人間がまともに論文書いても、誰も見向きもしないから、こういうマスコミ向けの駄文を書いて、他人の気を引いてるんだろうね。

のだ・まさあき 1944年高知県生まれ。北海道大学医学部卒、長浜赤十字病院、神戸市外国語大学教授を経て現職。
「コンピュータ新人類の研究」(文芸春秋)で第18回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。専攻は比較文明論、精神病理 学。近著に「気分の社会のなかで 神戸児童殺傷事件以降」(中央公論新社)。
 あ、やっぱり(爆笑)
00/01/25

適当に思ったことを書きつくること



 金銀ババアの金が死亡。そういうものだ。

 韓国で地下鉄工事をしていた上の道路が突然陥没。バスが生き埋め。うちの現場(六本木)は大丈夫か?特に六本木交差点の直下。今掘ってるところだからねぇ。まぁ、陥没するなら俺のいないときにしてくれ。全面封鎖の応援くらいは行くからさ(笑)

 内ゲバともとられかねない内部の動きを隠ぺいもせずに警察に通報するアレフは、もはや危険性のない団体だよなぁ。
 ちなみにこの件に関しては「単なる兄弟げんかでは?」という見方も結構あります。ちなみに兄弟げんかでも不法侵入で逮捕できます。でも、家宅捜索って?

 確かワールドビジネスサテライトだったと思うが、Win2000の性能の特徴として「音質がCD並み」と言っていた。
 あの、どーいう意味なんでしょうか?分かんないんですけど。

 ハリボテ君のところがジオに消されてました。
 まぁ、彼の文章が「有害」ってことはないので、ジオからすれば「道に落ちてたカラカラに乾いたウンコを始末した」ってだけのことでしょう。まぁ、ハリボテ君は「削除された」とヒーロー気取りですが(笑)


 さて「結果よりもその過程(努力したこと)が大切なのだ」という言葉は結構使われますが、その真意を分かってる人なんてのはほとんど日本にはいません。いたらもっといい国になってるって。
 たとえば日本の民主主義ってのは「アメリカというお上様」が突然持ってきてくれたもので、お上バンザイ的にその結果のみを鵜呑みにした。
 だから日本においての「社会保障」の考え方は亀井某の発言を引用するまでもなく、くだらないものであり、今後数十年のスパンにおいては日本よりもロシアやキューバの方が社会的に発展する可能性が高い。
 なぜかといえばこれらの国々は「社会主義から民主主義」という、民主主義を会得するのに必要な手順をしっかりと踏んでいるのであり、この移行において、民主主義国家においての社会保障という考え方が初めてできるのである。
 ところが日本の場合は「お上からもらった民主主義」というよく分からない過程を持つため、社会保障というものも「あって然るべき」ものではなく「お上の慈悲」ということになってしまう。
 社会保障だけではなく、最近は主権を誰が持っているかすら分からなくなっている様子で、つい最近まではお上のものであった主権が、最近は「世論」の物になっている。これだけ聞けば「民主主義としては正しいのではないか?」と思うかも知れないが、その世論は「マスコミ」の物である。要は単に「お上」が「国」から「世論」になっただけの話である。
 この状況を憂いて、「お上を国に戻すべきだ」などというヘタレ漫画家もいるが、そもそも「お上」という考え方自体が前世紀の遺物であることは、まぁ、まともな人なら分かっていることだろう。

 こんなもんで。
00/01/21(追記分)

更新記録



 「ことばのちから」改め「ZAP」を更新。
 ちなみに名前の由来はドルアーガです。60階でマトックを振るうのです。
00/01/21

読書日記



 掲示板の方、ほっといてますが申し訳ありません。何を書いていいのか分からないのです。

 河上氏の日記に書かれていたコンピュータ犯罪捜査官のページ、あっさりと次のページに進めました。だってソースに答えが書かれてるんだもん。
 別にこんなもんは、なんの知識がなくても、コンピュータ上での文字列の原理さえわかってれば簡単ですな。
 さあ、みんなも解いて、爆笑しよう。

 しかし、あの今日ニュースで流れてたどこぞの土人(嘲り)の「バンザーイ」は「最高ですかー」の数倍気持ち悪いな。


・ここ数日の読書日記

 サイゾー(インフォバーン)斜め読み

 宮崎哲弥氏が「いいかげんにしろ「ユダヤ系団体」! 卍はハーケンクロイツではないっ。」との文章を書いていた。
 冒頭は「「アメリカのユダヤ系団体」に日本の各地の地図を送ろう! きっといたるところナチに占領された(以下略)」で始まっている。俺の「任天堂は京都の地図でも送れ」の文章をパクったな。(嘘)
 ちなみに花くま先生のマンガの「なんだよあれー 桜庭じゃないの!?」は格闘技ファンの総意だと思います。船木(ボンクラス)は試合を辞退しろ!!


 GON!(ミリオン出版)斜め読み

 もめん(中村ポチ)はしばらく見ないうちに髪伸ばしてたんだね。全然似合ってないと思います。はい。ていうか、切ってないだけ?
 ちなみにヘビセンターの「ハブに噛まれた足」の写真は俺のトラウマになってます。今見てもグロいです。


 広告批評(マドラ出版)だいたい読んだ

 楽しく読ませてもらってます。橋本治の文章が連載と特集の2本も読めるお買い得号。特集は橋本治、東浩紀、橋爪大三郎、養老先生と楽しく読んだところで、次は誰かな?ふーん巽……パス、ワン(笑)
 で、題材が「セクシュアリティ」ねぇ。さすが巽孝之という「女」ですなぁ。ほんとにそっくり。
 ちなみに、ラジオCMコピー大会に応募するつもりです。頑張んないと。


 ルール(藤原和博 宮台真司/インフォバーン)半分ちょい読んだ

 前作「よのなか」に引き続き、とても役に立つ本である。
 今改めて「憲法は国家への命令です」と書かれると、自分がかなり憲法と法律を混同していたことに気づく。実際に裁くのは「法律」であり、法律は「憲法」に基づく。混同してはいけない。


 スローターハウス5(カート%ヴォネガット(・ジュニア)/ハヤカワ文庫)冒頭部のみ

 おもしろそうです。
 本当に頭しか読んでないので、何とも言えません。これから読みます。


・本屋で見かけたけど買ってない本

 無教養なんちゃらとか言う本(山形浩生/どこだかわかんねぇ)

 面白そうだったが、たいていが彼のサイトで読めるので買わなかった。


 「ホビット ゆきてもどりし物語」のビジュアルブックとか何とか(文章は当然トールキンだが、絵は知らない/原書房)

 なんかアメコミみたいな本でした。
 あれだけ映像を喚起させる文章を持った本を、なんであんなふうにしてしまうかは疑問ですが、別に「ホビットの冒険」もちゃんと存在する以上「あってもいいや」が感想です。当然私的には文章の方の「ホビットの冒険」をお勧めします。子供に読ませたり聞かせるときはなおさらです。
00/01/20

ダテ車イス



 21世紀が2000年から始まると思っていた首相や、憲法改正をすれば他国から尊敬されると思っている参院議員会長がいる、バカが特産の後進国、日本からお送りしています、夜のシマネコ。
 パーソナリティの東天王ヨブでございます。

 まぁなぁ、オウムの名称変更やらが新法のがれっていっても、そもそも団体が個人の集まりである以上、団体規制という考え方自体がザルなんだから、どうしようもないでしょ。
 しかし、紀藤弁護士あたりは比較的冷静に今回の発表を評価(麻原の事件への関与を「関与したのではないかと思われる」としたことに対して)しているのに対して、我らが有田君は「新法のがれ。こんなものに意味なはいんですよ」を繰り返すのみ。ねぇねぇ、公安からいくらもらってるの?

 ニュースで八代さんちの英太君(バカ)が首相官邸に取り付けられた昇降機に乗ってにこにこしていた。小渕君(バカ)も誇らしげだ。

 誇らしげなところ、水を差すようで悪いのだが、今現在、世界で言われるバリアフリーとは障害者が誰の力の借りずに一人で生活できるような状態(障害者を障害者にしない)のことを指すであり、結局は誰かが車イスを機械にセットしなければならない階段の昇降機というのはバリアフリー界においては時代おくれの代物である。
 ちなみにハートビル法に基づいて設計されている都営12号線の各駅には、車イスの乗れるエレベーターはあっても、係員の補助が必要な昇降機は設置されていない(ハズだし、あっても「念のため」である)。昇降機とはあくまでも現状の施設を少しでも障害者向けにするための後付けの設備に過ぎないのである。
 バリアフリーといいたいのなら、あの写真を撮るためだけにある、バカみたいな10段程度の階段をなだらかなスロープに改装するのが本当である。
 結局のところ、こういうバカな人達が、運転手がいちいち降りなければならないリフト付きバスや、駅員がいちいち鍵を開けなければならない障害者専用トイレなどという前世紀の遺物を増やして満足するのである。
 やはり、周りにいつも秘書なんかがいて、それを自分の手足として動かすことになんの疑問もない八代君の車イスは「ダテ」なんである。
00/01/16

2000年のCM論



 しばらく、風邪の後遺症だかなんだかしらないけど、指先のひび割れがひどかったんだけど、白色ワセリン塗って一晩置いておいたら嘘のようによくなった。

 さて、最近はずーっと好きなCMってのが全然なかったんだけど、久しぶりにいいのがありました。
 それはクレヨンしんちゃんがでている「住宅情報 賃貸版」のCM。
 どんなCMかというと、音楽にあわせてしんちゃんが「ち〜ん たいばん」と歌うもの。ちなみに「ち〜ん」の部分でしんちゃんが腰を突き上げる、ちょっとお下品テイストな物。
 しかし、音楽が落ち着いた音楽のおかげで、そのお下品さが鼻に付かない。きっとこれがバカな音楽だったら多分「ち〜ん」と「ちんちん」を掛けたことが前面に押し出されたダメなCMになっている。
 まぁ、世間的にはなんの評判にもならないんだろうが、間違いなく販売促進効果や、知名度UP効果の高いCMであると考えます。

 一方、間違いなく広告計雑誌などで話題にはなるけど、俺的には、そして世間的にも笑われているに違いないCMが小錦のでているローソンのCM。こっちは嫌なほど目にするので、解説をする必要はあるまい。
 多分「コンビニエンスっぽさ」を追及して、ああいう軽薄な(80年代バブルCM黄金時代を経験した業界人はすぐに「自分が世間だ」とばかりになんでもケーハク(こういう漢字で書けばいいようなものをいちいちカタカナにしたりする)な物に堕させてしまう癖がある)CMにしたんだろうが、もはや若者=軽薄という捕らえ方は通用しないし、キャラクターも散々サントリーのCMで使い古された小錦を使うようなセンスでは……。
 そして中身もせいぜい会議で「コンビニっぽい言葉を作ってこい」で集まったスローガンを列挙しただけ。本当に「業界の論理」の域を何も脱していない、古いCMである。
 このCMをみていると、単に「おでんがおいしくなった」程度のことしか言わない、つまらないCMの代表格であるセブンイレブンのCMが非常に正当なものに見えてくるから不思議である。

 さて、最近思うのだが、もはや「購買に対するきっかけを作るためのCM」ってのは必要ないように思うんだよね。
 もちろん今までにない新規の業種なんかが領域を開拓するためのCMってのは必要なんだけど、もはやその存在意義が個人によって確定されてしまったものをもう一度企業の手に取り戻すためのCMってのは無効のような気がする。
 特に「生活」にかかわるコンビニのようなものは、品ぞろえといい、存在意義といい、最初っから消費者の手に委ねる形体のものであり、それがために儲かるのであって、儲けたいわ自分で所有したいわでは話があわない。
 そりゃ、広告代理店としては飯の種を確保しようと、企業にCMを作らせようと必死なんだろうが、そういった「ただ売るためのCM乱発」ってのがカンヌ等での日本CMの不振という現状に繋がっているとすれば、自分で自分の首を締めていることにならないだろうか?

 とまぁ、狭義のCMを考えるよりは、広義のCMを考えることが、今後2000年代を広告代理店が生き延びるために必要なことであると。そう考えています。
00/01/11

豊かってなんだ



 「日の出講芸」の「アンチゴー宣」の中の92章の批評文。はい、開いて。
 ビックリである。べつによしりんが根源的な差別者であることには今更驚かない。驚いたのはよしりんが「日本は豊かだ」と思っている点である。
 ハァ?
 わざわざ歴史を捏造して「戦争は正しかった」だの「日本のおかげでシンガポールが独立した」だの「日本のおかげで初等教育が広まった」だのと、現地の人を貶めることでしか自我を得られないような人間が数多く存在するような国のどこが「豊か」なんですか?

 だいたい、元の話(発言者3月号)が分かんないんでアレだけど、
「その寝たきりのお祖母さんを 何十年間介護できるというのは 日本という国だからですよ 豊かだからですよ」
 なんて、大嘘もいいところだよね。ちゃんと社会保障の整ってる国では、ちゃんと社会設計の中に身体に障害を持つ人の存在を組み込んであるから、妻が何十年も滅私奉公をしたり、バカみたいに高い費用を払って、姨捨山のような山奥の施設に年寄りを押し込んだりする必要なんかないんですがね。で、その結果が本当は動けたはずなのに、ベットに括り付けられて動けなくされた「寝かされたきり老人」の量産なんですが。
 で、どこが「豊か」?

「この日本の豊かさは 我々の祖先が 築き上げてきた 歴史の賜物だ」
「ご先祖の 智恵と 努力と 勇気と 犠牲的な 死によって やっと 到達した 豊かさだ」


 だってさ。
 で、その「やっと到達した豊かさ」がこれ?
 あれだけたくさんの人の「智恵と努力と勇気と犠牲的な死の結晶」がこれ?
 こんなもんのためにわれわれの祖先は死んでいったの?
 うふふ、素敵(嘲笑)

「この豊かさに至る歴史を 知らぬ者は オウムの若者のように 「疚しさ」 にたえられず 出家してしまう」

 少なくともオウムの若者は日本が「豊か」だなんて思ったこともないでしょう。
 「豊か」ではないから、精神的充足を求めて宗教にはまってしまう。
 というのが普通の考え方なんだけどね。

 結局、よしりんの言う「豊か」ってものが「経済」でしかないのな。
 もっとも「国=公」なんて平気でいえる人間だから、そんなもんだよな。
 こいつももう40後半だよな。
 一度でいいからちゃんと物を考えてくれ。
 いや、それ以前に地球儀を見て、地球には日本以外の国があることを認識してくれ。
 その次に、アメリカの首都がニューヨークではなく、オーストラリアの首都がシドニーでないことを覚えてくれ。
 いきなり世界情勢なんて、難しい事覚えなくていいから。
 ていうか、どうせ覚えられないだろうし。
00/01/10(追記分)

流行ってるんだろうか



 前年の流行語大賞で「雑草魂」「リベンジ」「ブッチホン」などという、いったいどこで流行ってたんだろうという言葉が大賞となっていたが、どうも「よしりん派」の人達の間ではいまだに「サヨク」とか「右翼」ってのが流行っているらしい。
 実のところ、俺はまだ「戦争論」を立ち読みでちらっとしか読んでいないんだが、それだけ見たってよしりんがバカなのは丸見えである。
 さて、今日紹介するのはこのページ「日の出講芸」である。このページの「アンチ「ゴー宣」」が大変面白い。
 断言してもいい。このページを読んでなお、よしのり派でいられるというのは、そいつが根っからの非国民だということです。
 彼らの好きな「公」という言葉を使うなら、今後日本が国際社会の中でしっかりとした足場を築くには、先の戦争責任をしっかりと精算することは必須であり、その「公」の目的のために、「日本は正しいと思いたい」という「個(本当は「私」なのだが、よしりん語で言うと「公」の反対は「個」らしいので、それに従う)」は縛り付けるべきものである。
 もっとも、われわれのような普通の国民は「公」なんて持ち出さなくったって、私的にそれを行なうことができるんですがね。

 なんてことを書いていたのが今から3時間くらい前。
 今ちょっとマズイ発作が起こってまして。
 まぁ、鬱なんだけど。
 最近は積極的に海外の社会福祉の状況なんかを教えてくれる本を読んでるんだけど、こういうのを読めば読むほど、そして「つくる会」みたいなクズ発言を読めば読むほど、自分が日本なんかに生まれてしまった不幸を呪うしかなくなってしまいました。
 だって、もう努力したってどうにもならないもの。
 甘えじゃないですよ。今の日本においての個人軽視の状況が「どうにかなる」と思ってるほうがよっぽど甘えです。
 自分を甘えさせないために、事実を認識する。認識すればするほど嫌になる。
 そりゃ「日本は間違ってなかった」など言って権威にすがってりゃ楽でいいけど、そうした楽をするやつが増えた結果、日本はまったく進歩しなかった。いまだ発展途上の第三国のままだ。
 日本人はロシアや旧東ドイツなどの旧共産圏を「貧乏だ」と思ってるかも知れないけど、現実はそんなことはなくて、庶民の生活は日本より、よっぽど安定している。しかも、社会主義を経験したということは、社会保障の大切さを理解しているということでもあるから、経済的に発展さえすれば、今後は他の先進国に並ぶくらいに進歩することができるという期待もある。
 ところが日本には期待感などまったくない。経済成長も止まり「経済成長が人を幸せにしない」事がハッキリした今もなお、景気でしか社会を語れない子供が社会を牛耳り、不満を持とうにも「不満を持つほうが悪い」といったプロパガンダが跋扈し、人はみな自己弁護に終始する。
 で、それで俺にどうしろって言うの?
 ああ、生きてくのがヤダ。

 最後に、この「野次馬小屋」のページも非常に面白いのでぜひ。
00/01/10

無知って怖いね



 今日読んでたもの。”ここだけ” の用語解説
 これを読んでいると「日本の会社がネットを使って利益を得ようなんて言語道断」とか「群馬ってやな県だな」とか思うこと必至。必ず全部読むこと。日本の著作権制度がどれだけ「個」をバカにしたものかがよく分かるから。
 そういえば、例の「服部 VS 亜星」の当時、俺は亜星を大人げないと思っていたけど、いまこれを読んだ後に考えるに、本当に無知って怖いなぁ。と思うもの。そっかJASRACって服部一族と中曽根一族運営の利権団体だったんだね。

 いろいろ考えるに、俺が今まで考えてきた、ゲームの中古販売のことやら、コナミの事なんかがいろいろ変わってくるね。とはいえ、やはり大半のユーザーが考えているような事は思わないけど。

 昨日久しぶりに新宿ジョイポリスに行った。
 まぁ、あんまりジョイポリスは好きじゃないんだけど、アトラクションを選べば結構遊べる。
 何といつの間にかスタンプラリーのアトラクションまでできていた。とはいえ、誰にも分かる場所にでかいスタンプ機が置いてあるようでは。ナンジャのスタンプラリーの魅力はスタンプが隠れていることだというのに。
 ゲーセンの大型筐体物をさらにでかくしただけのアトラクションが15アトラクション中5個もあるのも問題。ていうか、やっぱりデカイゲーセンなんである。ゲーセンのくせに入場料をとられるゲーセンなのである。
 ただし、ワンダーエッグのQ-ZARが終了してしまった今、地方は知らないが東京でQ-ZARができるのはここだけという点は武器である。そういや、ワンダーエッグのQ-ZARのセット一式はどうなってるんだろう。倉庫で遊ばせておくくらいなら、ナンジャのナンダーバードのゲーセン一個ぶっ潰して、Q-ZARスペースをつくって欲しいものである。まぁ、小さい子向けではないかも知れないが。

 と、今思い付いたんだが、大人向けのアミューズメントパークってなんだろうか?
 多分ジョイポリスはそういうところを目指してるんだと思うが、いまいちゲームゲームしてて違う気がするんだよな。

 長島のバカ息子がプロ野球ニュースでバカ発言。
 台湾の話題で「あっちの60歳くらいの人は日本語しゃべれるんですよね。習ってるから」
 しかもいつものあのバカ口調で。
 本当に日本は歴史から何を学んだんだろう。
00/01/08(追記分)

あーあ、もったいない



 「ここだけの速報」より。

中国 Zhang Qi情報省ソフト部長、水曜日のWindows禁止令報道に対して公式コメント。発令も要請も一度たりとしていないと否定。我々はNTのユーザーでありWindows2000に興奮して期待していると。

 あーあ。せっかくMS植民地と化している日本なんかを抜いて、一気にアジアコンピューター関連のトップに躍り出ることができるチャンスだったのにね。
 せっかく世界中のSEが中国によいイメージを持って、産業を支えてくれるチャンスだったのにね。
 もったいない。
00/01/08

昨日の補足



 昨日書くのを忘れていたこと。

 そもそも、歴史というのは後の時代によって反省されるべき性質の物である。
 西尾先生は「後から悪かったなど言うこと」などというが、人類の歴史というのは「後から悪かったなどということ」による自己反省の繰り返しであり、そのことが新しい時代を構築する種となるんだ。
 だから、たとえば環境問題にしたって、先進国と第三国の主張の食い違いの点として、先進国が「産業の発展は環境の保護を優先して」というのに対し、第三国は「貴方達だって、散々今まで環境を破壊して自国を発展させてきた。われわれがそうできないのは不公平ではないか」ということがある。
 でも、これはやはり第三国の人には申し訳ないが、環境問題が地球的規模の問題である以上、先進国の言うことに従うべきなんだよね。もちろん、先進国は環境破壊を伴う第三国の発展のかわりに、環境に配慮した第三国の発展ということを考える義務がある。
 つまり、自由(ねつ造)主義史観の連中は「戦争に慰安婦がついていくのは当時の常識だった」というが、歴史というのは常に後から自己反省されるべき性格のものであり、「当時の常識は悪かったので、今後はそういうことがないようにしよう」というのが文明の発展というものなんだ。
 7、8年前にアメリカで「コロンブスに懲役何百年」なんて判決がでたって事があったけど、これはそういうことなんだよね。
 当時、良かったとか悪かったとか、そういうことは関係なくて、現在に照らし合わせてそれが良いのか悪いのかを判断し、それを未来にわたって行なわないようにする。それをやっていくのが、現在の人間の使命であり、それをまともにしないから今の日本人は世界でも爪弾き物なのである。

 後もう一つ、彼等は「戦争に行った人達は当時の常識に従っただけなのに、犯罪者扱いするのか?」というが、それは話が全然違う。
 当時の常識が間違っていたのだから、その罪は「全体集合体」にかかってくるものであり、その全体集合体は「個人の集まり」ではないのだ。
 こう考えると分かりやすい。
 たとえばどこかの銀行で、大規模な帳簿の操作が見つかったとする。この時にその銀行の上層部の人は断罪されるべきである。では、その帳簿の操作をそれと知らずに行なってしまっていた一般の社員は断罪されるべきだろうかというと、それは違うわけでしょう。そしてこのときに「○○銀行は国民の信頼を裏切った」とすることはイコール「一般社員への断罪を求めている」わけではないよね。つまりこれは「法人」に罪があって「個人」には罪が無いと考えられるわけ。
 戦争責任にしたって「国」が責められることと「国家の構成員」が責められることは話が違うわけ。これはよく混同されるけど、世界的に日本が責められているのは「戦争をしたことの責任」であり、日本の人が責められているのは「戦争をしたことを反省しないことの責任」である(上に書いたことそのもの)。
 つまり、日本人個人にとっての「戦争責任をとる」ということは、戦中の人間に「強姦魔、人殺し」のレッテル張りをすることではなく、われわれ戦後の人間が今後一切戦争状態などに突入しないですむように社会を構築していくことである(それを混同している人が感情的に描いたマンガがこれ)。戦争はもはや政策の選択肢として利用してはいけないのだ。だからこそ、今世界で続発している民族紛争にもっと関心を持つべきだし、破防法やオウム特別法や盗聴法などの国民をある方向に縛り付ける法案などに目を光らせるべきなんだ。

 俺はそう考えるけどね。
00/01/07

「つくる会」って……



 そっか、自殺幇助未遂って罪もあるんだね。

 もう、ハッキリ言って、例のメールのやり取りで手に入れた筋肉弛緩剤で自殺未遂の件における、TVコメンテーターの発言は聞くに耐えません。
 今日だって「自殺の美学は分かるけど、その前に生きることを……」なんて発言をしているバカがいたしな。まぁ、ハリボテ君程度の頭でくだらないコメント出して、既得権益にすがってぬくぬくと生きているやつに、まともな発言を期待するほうが無理なんだけどね。

 「ここだけの速報」でおもしろげな記事発見。引用。

:中国 YangchengEveningNews紙Windows2000政府禁止予定の広報記事。Microsoft噛み付くも政府否定。しかし政府ブラックリストに乗っているOSであるとの報道否定せず。記事では国産Red Flag-Linuxを官公庁OSとしWindows2000は不許可にするとY2K教訓と宇宙開発現場からのBackDoor警告で安全プラットホームしか使用しない国策と結ぶ。

 中国という国家単位でWin2000使用禁止という措置ってすごいですねぇ。まぁ、国家のものってのはやはり、信頼性が必要ですから、このような措置は当然ですね。

 さっき古本屋で「新しい日本の歴史が始まる」という例の「つくる会」の本を買ってきました。で、最初の部分だけちょこっと読んでみたら、西尾幹二先生の言ってることが、全然わけがわかんない。
 西尾先生はこの「八月十五日以前の日本人、以後の日本人」と題された話の中で
「今からすれば、当時の状況を「これが悪かった、あれが悪かった」と言うことはいくらでもできるが、その当時の人達は、自分たちが判断できるかぎりで最善だと考える行動を起こしてきた」といってるんですね。で、それは確かにそうとも考えられる、ちょっと妥協して納得してあげてもいい。しかし、西尾先生は将棋をもちだして、こういう話をする。

「これ(後から「これが悪かった、あれが悪かった」と言うこと)は人が将棋を打っているときに、別室で解説している人の自由です、われわれはテレビの解説をみながら、いろいろ学ぶことはできます。しかしほんとに何を学んだのですか。横から見て学ぶというのは、あとから、全部終わってしまってから、シマッタ!といって学ぶことと同じで、これは行為のさなかの学びではないんですね。
 本当に体験して理解しているならば、本番を迎え、再び棋士として相手を迎え撃つとき、それが生きてこなければいけない。本当に駒を撃つときに、傍観者としての知識は果たして役に立つでしょうか。


 たとえば、学校なんかで火災訓練を行なう。しかしこれは「行為のさなかの学び」ではない。でも、これは本当に役に立たないんでしょうか?将棋にしたって、よくおじいちゃんが自分の盤上で名人戦なんかの手を再現して、うんうんうなってますが、これは役に立たないんでしょうか?そんなことないでしょ。役に立ってるでしょ。
 ていうか、こうやって「後から自分や他者の行為を反省し、その学習の中から新しい規律を作る」というのはすなわち「進歩」って事だろ。つまり、西尾先生はこの「進歩」を否定してるわけだ。
 結局この文章で西尾先生がいっているのはこういうこと。
「世の中は全て偶然で動いているのだから、物事の当事者以外がそれを云々いうことに意味はない」
 けれどもそれは「人間の学習能力」の否定だよね。歴史から物事を学ぶことの否定だよね。

 人間は先の戦争、そして冷戦状態の中で「国家間紛争解決の手段として「戦争」という手段を選ぶことの愚劣さ」を学んだわけ。もっとも、一部の日本人やアメリカ人なんかはまったく学ばなかったんだけど、そういう話はひとまず置いておいて、それを学んだと。
 その中で「人権」が重要だという話になって、これまで軽視されてきた「女性の人権」というものが確保されるようになってきた。で、ここに「従軍慰安婦」の話が絡んでくるんだね。
 「つくる会」は「慰安所は軍部が作ったものではなく、民間業者が作ったものだ」とか「強制連行はなかった。あくまでも合意の上だ」とか「慰安所は現地の人間を強姦しないために有用だった」とか「ほかの国も慰安所を持っていた。日本だけではない」とか言うんだけど、そんなことはどうでもいいわけ。重要なのは「日本人が女性を押し込めて性的奉仕をさせた」という事なんだ。お金を払ってたとか、衛生に気をつけてたなんて、男のヘリクツにすぎないんですわ。
 だいたい、当時の資料を見たって「女性をそこで働くしかない状況にさせていた」というのは明らかなんだ。そしてたとえそれが民間業者が行なっていたとしても、軍部がそれを黙認していたことも確実だと。で、軍部だろうが民間だろうが、それを日本人が行なったことは確実なんだ。外国だってやっていたかも知れないが、それはどーでも言い話。自分の罪も認めずに、他人の罪なんかに言及できる訳ねぇじゃねぇか。順序が逆。

 ともかく歴史ってのは「これからの人間」のために学ぶんであって、決して当時の人間を賛美するものではない。それを分からずに、ただひたすら当時の日本の弁護ばかりをする「つくる会」は非常にマヌケだということです。
 だいたい彼等は「愛国心」がどうたら言う割には、彼等の言論というのは「日本人としての責任逃れ」に終始していて、俺なんかまったく彼等に愛国心を感じないんですけどね。
00/01/07

つまんない話



 東証、ハイテク株を中心に大暴落。ざまぁみろ。爆笑。

 今日はちょっとプロレスの話。
 この前、テレビで新日恒例の東京ドーム大会見たんだけど、オーちゃん・村上 VS 橋本・飯塚の一戦は最高でした。
 しょっぱなから、なぜか突然リング上で前髪を切りだす飯塚。やっぱりこれは、藤波も見てたって事で「やってやるよ」って事でしょうか?きっと猪木もあの日と同じ苦笑をしていたことでしょう。
 ていうか、もうこの時点で笑いのスイッチが入ってしまい、まともに試合として見れなくなってました。
 そして、飯塚不利の局面で測ったようにリングに上ってくる新日セコンド。黒猫さん目立ちすぎ。
 このときに中西が見えない所から張り手をしたとかでオーちゃんが怒ってるけど、これが黒猫さんだったら面白かったのにな。オーちゃんが「橋本の前にブラックキャットとやらせろ」とか言ってな。試合開始5秒でSTOをくらってダウンする黒猫さんの姿が目に浮かびます。
 まぁ、試合結果はどうでもいいですけどね。

 そういえば、今日電車の中づり広告でおもしろい記事を見ました。
「対談 21世紀にパソコンはなくなる」
 いやぁ、あまりに唐突無形なタイトルに笑ってしまいました。ていうか、おまえらの言うところの「パソコン」ってなんだ?
 どうもどっかの情報工学の人と、作家の対談らしいんだけど、こんなんだから岩谷なんちゃらなんていう腐れオタクがデカイ顔をするんだよ。
 そりゃね、俺だって、多分こいつらが言っているであろう「インターネット端末としてのパソコン」はなくなると思いますよ。どうせそんな話でしょ「iModeがどうたら」なんて言っているの姿が目に浮かぶもの。
 けれどもね、古くからのパソコンユーザーが考えている「汎用CPUとしてのパソコン」は無くなりませんよ。どう考えたって。まったくどこのネット携帯端末で素材をフォトショップで加工して、メールに添え付けするなんて芸当ができるっていうんだか。
 だいたいさ、マスコミのパソコンを見る目ってのは「インターネットができる」であって、iMacやら低価格パソコンなんてのはこの考えから生まれているわけだけど、俺らはこれが「変種」である事はちゃんと理解してるからね。岩谷なんちゃらだって、言ってることはマヌケだけど、パソコンユーザとしてそれはちゃんと理解してるのは分かるもの。
 もう、それ以前の人間がパソコンについて何言ったってダメですよ。

 あとは、メールのやり取りで毒物を手に入れて自殺未遂の事件で、マスコミ各社からドクターキリコ事件が引き合いに出されてますが、あの事件は彼の青酸カリが自殺に使われていない以上「自殺幇助」ではなく、「薬事法違反」ですので、念のため。
00/01/05(追記分)

むー



 テレビショッピングで堂々と偽ファービーが。
 しかも一体7800円。高いよ。

 えー、皆さんお気づきのこととは思いますが、昨日の日記は途中で終わってます。ソース見れば、一応続きは書いてあるんだけど、なんかしっくりと来ないんだよね。

 とりあえずそれだけです。んでは。
00/01/05

セガは壊れたままなのか



 セガの大川会長が本格的に壊れてしまいました。
 いまさらピピンや3DOの名を出すまでもなく、ゲームコンテンツもいいかげんなままに「マルチメディア」を謳う機種ってのはどう考えたってダメなんであって、そもそも「自分のところのゲームのセンスが悪い」「どうやってもマニア向け」という問題を解決せぬままに「じゃあこれからはマルチメディアだ」と。だからセガは昔っからダメなメーカーのままなんですよ。
 上記の文章見れば分かるけど、大川会長が言ってることは広告代理店の、もはや2000年代になって流行らないのに、いまだに80年代を引きずっているような、くだらない思考そのものなんですね。
「我々があなたの暮らしを規定してあげます」「私たちのコンテンツを買えば楽しい暮らしができますよ」って、すでに消費者はメーカーに暮らしを規定されることに嫌悪感さえ覚えているというのに。
 もはや消費者とメーカーの関係ってのは「メーカーが消費者に合わせてモノを作る」になっているんであって「消費者がメーカーに合わせて商品を買う」ではないんですね。もう「おいしい生活」は必要ないんです。
00/01/04

依存について



 更新情報
 ノーマルリンクをちこっと更新しました。


 今日はあるページを紹介します。
 それがこの「あきれた小学校」というページです。
 まずこのページはそのタイトルからして、学校批判のページです。
 で、まぁ、そこそこ楽しく読ませていただいたんですが、なんか違和感があるんですよね。
 それに関して「なんでだろう」って考えていたんですが、結局それは私の教育の考え方が「教師が良い人だろうと、クズ人間だろうと、教える教科さえちゃんと理解していれば機能するシステムであることが大事」であると考えているけれど、このサイトの作者さんは学校のシステム自体にはなんら言及せずに「こういう教師はダメだ、こういう親はダメだ」という物書きに平気でとどまっているという事だったわけです。
 作者のその姿勢はこの”よくある質問”の中の”対処法を書け”と題した文章がもっとも明確に表しているように思います。
 つまり、作者の中での対処法というのが「個別の対処法」つまり小局的対処法にとどまっているわけです。
 でね、もちろん俺は全ての人間に「絶対大局的に考えろ」なんて言うつもりはありませんし、それが絶対的に不可能なのを知っています。
 けれどもね、小局的なモノの見方ってのはその見方をする当人がよっぽど優れた知識を持っていないと、単なる偏見をもってモノを語ることにしかならないわけですよ。だからこの作者はたとえばこんな文章を平気で書いてしまう。
 これは”もっと困った人達”の中の”お金はきちんと払いましょうね、Nさん。”と題された文章で、もちろん「あきれた小学校」のサイト内にある。つまり、自分がどんなサイトを作っているのか分かってないんです。小局的にしかモノを見ないから。
 いや、別に俺が借金してるから、借金を悪く言うやつが嫌だとかそういうんではなくて、自分のサイトに対してすら、この程度の物事の見方しかできない奴が、教育について何を言ったってダメだろうって事です。
 つまり彼は”対処法を書け”の中で「対処法そのものを書くことに意味があるとは思えない」という意味のことを言っているが、現実は単に彼には対処法なんてもの自体が考えつかないわけです。ただ自分の学校についての現実をネットで愚痴ることにしか意味を見いだしてないんです。

 だから、彼の文章は読み物としては非常に面白いんですね。つまり、多かれ少なかれ、同じ世代の親達が学校に対して感じている違和感みたいなのをズバリ言葉にしてくれている。当然子供の頃にそれを見抜いていた人達や、現在親になって、そのおかしさを実感している人達は共感するわけです。
 けれどもね、それは毒にも薬にもならないわけです。
 一番最初のオープニングのところに

>ただし、この先のページには毒が含まれています。
>あなたの体質に合えば、それは媚薬に変わります。
>もし合わなければ・・・不快感があなたを包むことになります。


 なんて書かれてますけど、嘘ですよ。このページに毒なんてまったく存在しません。ただあるのは学校教育に疑問はあるものの、その疑問を先生やPTAにかぶせて鬱憤晴らしをすることしか思い付かない人間達の傷の舐めあいであり、それは現在の学校教育とまったく同じ「ルサンチ依存体質」なんです。

 だから彼自身、自分のことを”はじめに”で言ってるじゃないですか。

>他の学校とは違うんだと、はなもちならない優越意識を持った親たちと、
>他の学校の教師とは違うんだと、妙なエリート意識を持った教諭たち。


 ってね。
 それが自分のことだと気づいているのかいないのか知らないけど。
00/01/03(追記分)

着地点。そして後付けの限りなく不可避な予言



 あー、なんかさっきの日記書いてたらむかついてきた。
「世の中には食べられないなど、もっと不幸な人間がたくさんいる」
 なんて言ってたクソオヤジのことだ。
 普段は「やじうまワイド」でコメンテーターぶってるあの染みハゲメガネジジイだ。
 だいたいこの手の若者批判はいいかげんなまでの自己肯定と過剰なまでの自己信仰によっている。

「日本の若者は不幸ではない。なぜならば我々が幸福な日本をつくったからだ」
「世界には食事すら満足にできない国があるんだぞ、それもこれも我々が戦争という時代を乗り切ったからだ」
「日本の復興は我々が成し遂げたんだ、なのにおまえ達はすねをかじってばかりで……」

 クソッタレ。
 所詮おまえらのやったことは、口を開けた犬にその汚らしい右足を突っ込んだだけなんだよ。
 近所の連中が俺に近寄ってくるのは、あんたの威光や人気じゃない、
「やーい、やーい、おおバカマヌケの噛まれ足の息子!!」ってからかいに来てるんだよ。

 所詮テレビなんてのは、そんな自分の立場を知ることもできない無能をいい気にさせて、それをみて愉しむという下衆なメディアなんだ。まぁ、見てる側がそう感じているうちが、まだ社会が健全な証拠なんだろうけど。
 けれども、見てる側がそれすらわからなくなった時には……。
00/01/03

怠惰、あるいはある種の予言



 明けましておめでとうございます。
 私は風邪を引いてからというもの、何もせずにただ寝ていました。
 お金を稼ぐという愚行さえなければ、人生とはなんて快適なんでしょうか。
 眠いときに寝て、起きたければ起きればいい。
 人生に意味などないのだから、ただそうしていればいい。

 なのにそれを邪魔するのは、
「ある種のモノはある種のモノよりも意味がある」
「ある種のモノはある種のモノよりも価値がある」
 などの放言をするマヌケどもで、今日もテレビで「世の中には食べられないなど、もっと不幸な人間がたくさんいる」などというマヌケな発言をするやつがいて、新春早々本当におめでたいもんだと感心するんですが、こういうやつが1億人も集まれば平気で戦争を起こすようなマヌケな国家が生まれるわけで、まぁ、日本も滅んでめでたいなと。

 まぁ、今年で本当に世紀末になったんだから、全部精算する意味でも、日本を滅ぼしちゃったらいかがでしょうか?
 どーせ、ほっといても滅ぶんだから、なるべく被害者が少ないうちに滅ぼしてしまうのが我々の仕事でしょう。

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